第30話 よくある戦場の不運
巨人サイクロプス。
ヴァイオラ大陸の北、ダルキア地方に住む単眼の巨人。神話の巨神族の末裔とも言われている亜人種である。
性質は獰猛にして野蛮。固有の文化を持たず、築かず、狩猟採集を営み、穴倉や森を住処とする。知性はやや低い。道具を作る器用さは持っておらず、精々が獲物から皮をはぎ取って腰巻を作る程度。
それだけならオークやゴブリンのような下等亜人と大差が無いが、彼等は他の亜人種と決定的に異なる点がある。
巨石の如き威容の巨大さだ。人間の優に五倍以上の巨体はそれだけで見上げる者に雄大さと恐怖を植え付ける。
「クソがっ!何でこんなところに巨人がいるんだよ!」
ゼクシが怯え交じりの悪態を吐く。彼の尾は恐怖で萎れていた。生き物が自分より大きなモノに本能的な恐怖を抱くのは自然な事だ。誰も彼を笑う事などなかった。
それは彼だけではない。多くのアポロン兵が大なり小なり恐怖を感じていた。中には一歩も動けず失禁する者、あまりの恐怖に気を失う者も居る。
逆にヘスティ兵はいつの間にか一人残らず逃げ出しており、遠巻きに巨人を応援していた。つまりあの二体の巨人達はヘスティの陣営に属するという事だ。
ヤトは二体の巨人をつぶさに観察する。どちらも獣皮を何枚も重ね合わせただけの腰巻を一枚着けているだけ。肩に担いでいるのはそこらに生えていた樹木を適当に引っこ抜いただけの棍棒。持ち物はそれだけ。
体躯はどちらも人の五倍以上。正確には二体は頭一つ程度差がある。
それと明らかに異なる点。片割れは発達した鎧のような身体と共に豊かな乳房を持っている。それは女性の象徴であった。
亜人でも女の生まれないオークやトロルとは根本的に異なる種族なのだろう。むしろ人食い鬼の『オウガ』に近いのかもしれない。
「ヤト、お前さん女に興味は無いが、アレはどうじゃ?」
ドワーフのゾルが恐怖を振りほどこうとして冗談を言う。ヤトはそれに対して冗談とも本気ともつかない言葉で返す。
「とりあえず斬ってみないことには何とも。はは、嬉しいなあ。あんな大物初めてだ」
玩具を前にした子供のような笑みと、見るもの全てに寒気を与えるような冷淡な瞳がない交ぜになった相貌。
ゾルは自分を助けてくれたヤトを生涯の恩人と思っているが、どうしても恐怖が拭えなかった。同時に、彼を見ていると酷く安心も覚える。
つまり味方としてはこの上なく頼もしく、敵対するにはあの巨人達よりも恐ろしいと本能が教えてくれた。
そしてヤトは待ちきれないとばかりに赤剣を手に駆けていく。勿論目指すは巨人の男女。
ヤトに反応したわけではないが、巨人達は無造作に手に持った大木を小さなアポロン兵達目掛けて振り下ろした。
陣内には雷鳴のような爆音が鳴り響き、地面が抉れ、人だったものの残骸が無数に飛び散り、血と肉の雨を降らせる。たった一撃で数十の兵士が粉々になった。
周囲はこべり付く肉片にパニックを起こして兵士が我先にと逃げ出すも、ヤトだけは彼等と反対方向に疾走する。速度をそのままに、振り下ろしたままの大木を持ち上げる前に飛び乗り、男の方の手首を斬り付けた。
しかし巨人の手から血が零れるが傷は浅い。見た目通り頑強な肉体である。当の巨人は痛みを感じて反射的に大木を振り上げ、小生意気な小人を跳ねのけようとしたが既に逃げた後だった。
ヤトは鈍重な女巨人の股の間を抜けて、左足首に剣を振り下ろす。だがやはり浅い。剣は強固な皮膚と筋肉に阻まれて、肉を少しばかり斬っただけ。腱にも骨にも届いていない。
「これは硬いですね」
たった一言で片づけていい状況ではないが現実は覆しようがない。
尤も今までの斬撃は全て純粋な膂力だけで、剣に気功を纏わせていない。あくまで小手調べの剣筋だ。
それでも傷には違いなく、血を流す巨人を見たアポロン兵は士気が高まる。どれほど巨大でも奴等も血を流す生きた種族であり、不死身でも無敵の神ではないのだ。
兵士達はヤトに続けとばかりに男巨人へと殺到した。
ある者は剣で、ある者は槍、また斧を振り下ろして懸命に巨人を討とうとする。あるいは何十もの弓兵が女巨人に一斉に矢を放つ。
女巨人は鬱陶しいと感じて葉の着いたままの大木で矢を薙ぎ払う。が、全てを打ち落とす事は叶わず、何本かは身体に傷を作り、中でも幸運な一本が巨大な目を掠めた。これには巨人とて堪らず後ろへ下がる。
これを好機と見た兵士はほぼ全て女巨人へと殺到し、男巨人はヤト以下少数の傭兵が相手取る事になった。
ゼクシは足の甲に槍を突き立て、ゾルは戦斧で指を叩き切る。他の傭兵も足を破壊しようと懸命に武器を振るう。
流石に男巨人も痛みで立っていられずに膝を着くが、なすがままにされるはずもなく、不愉快な虫を手で薙ぎ払おうとするが、それはヤトが防いだ。
「『風舌』≪おおかぜ≫」
振りかぶる巨大な手を、気功を練って切れ味を増した赤剣で深々と斬り付けて右手首を切り落とし、薙ぎ払う直前の左腕を肘から切断した。
両腕を失った巨人の絶叫がゾット平原に響き渡る。切断面からは滝のような血が零れた。
すかさずヤトは追撃に入り、一足跳びに男巨人の肩まで登ると、剣を逆手に持ち替え、両手でしっかりと握り直す。さらに先程以上に丹田で気を練り、神経を研ぎ澄ませた。
「『旋風』≪つむじかぜ≫」
呟くと同時に巨人の首へと赤剣を突き立てた。
同時に巨人の体内で竜巻のような暴風が巻き起こり、岩のごとく強固な巨人の肉は爆ぜて四散。首が千切れ、鳩尾までが醜く抉れた。
宙を舞う巨人の首が地に堕ち、ゴトリと大きな音を立てて転がった。
「傭兵ヤトがサイクロプスを討ち取ったぞぉぉ!!後に続けーーー!!!」
離れた場所で弓兵を指揮していたアルトリウスの歓声。それに呼応した兵士が残った女巨人に殺到する。
だが、それがいけなかった。
目の前で息絶える相方を見た女巨人。彼女は火山噴火の如き憤怒の咆哮を上げて、足元に群がる虫のごとき兵士達に出鱈目に大木を薙ぎ払った後に仇のヤトへ投げた。
木を避けようとしたヤトだったが、先程大技を使ったために若干の硬直を余儀なくされて初動が遅れた。
「これは参りました」
数秒後の未来を幻視したヤトは困った顔をしながら大木の直撃を受けて跳ね飛ばされた。
誰もが彼の死を悟った。
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