第29話 混迷のゾット平原



 ――――――夜半。

 アポロン軍はまだ夜の明けない内から動き出していた。

 兵士は簡単な食事を摂り、装備を整える。丘一つ離れたヘスティに悟られないように、火の類は一切使わず、保存食と水で薄めたワインの朝食だ。

 兵士は今か今かと突撃の号令を待っているが、夜明けまではまだ少し時間があり、多くが戦に焦がれていた。

 指揮官の貴族の中には夜襲をかけてはどうかと意見もあったが、ランスロットがそれでは暗くて同士討ちの可能性もあると反対した。そして大多数が夜明け前の寝起きに仕掛ける方針に賛成した。

 ヤトも食事を済ませて、今はじっと戦いを待っている。周囲には傭兵として参加した亜人達が居た。ドワーフのゾルと人狼のゼクシだ。女エルフのヤーンはカイルと共に砦の守備に残った。

 時間を持て余していたゼクシが、気分を落ち着けるためにヤトに話しかける。


「なあ、アンタは戦い以外に好きな事とかあるのか?」


「無いですね。そもそも戦いと剣以外に興味がありません」


「じゃあ女はどうだ?」


「どうでもいいです。弱いですし、子作りにも関心が無いです」


 取り付くシマも無いヤトに、ゼクシとゾルは呆れた。彼等とて奴隷として囚われる前には普通の生活を営んでいた。勿論人並みに楽しい思いもして、特定の相手と関係を持つこともあった。しかし恩人のヤトにはそうした経験がまるで無いのを不憫に感じてしまう。

 いくら本人が良いと感じていても彼はまだ若い。だから少しばかりお節介を焼いてしまうのは人生の先輩としての習慣だった。


「あるいは僕より強いか互角なら興味が湧きます。尤もそんな女性が居ると思えませんが」


「顔とか身体の好みは無いのか?」


「人だろうと亜人だろうと皮一枚剥いだら全部同じ、肉の袋じゃないですか。強さ以外に何か違うんですか?」


 これはもう駄目だ、生まれながらに違う。ゼクシやゾル以外にも傍に居た傭兵達の心は一致した。

 むしろヤトにとって、なぜ世の男女はそんな些細などうでもいい違いで一喜一憂して、嫉妬や上下関係を感じるのか理解出来なかった。そんな下らない要素で争うのが如何に馬鹿馬鹿しいか、それが分からない者が世に溢れているのが嘆かわしかった。


 ヤトと傭兵達の下らないお喋りも、空が白くなり始めて太陽が僅かに顔を覗かせた頃には打ち止めだ。後は戦いが終わってからになる。

 先頭では司令官のランスロットを始めとした騎士が先陣を切る準備をしていた。

 ここから先は音を殺しつつ、出来るだけ素早く敵陣に近づく必要がある。よって兵にも吶喊の声は厳禁を言い渡した。

 準備の整ったアポロン軍。ランスロットは突撃の号令の代わりに自慢の白銀の魔法剣を振り下ろし、三千の兵は静かに前進した。

 剣の先には敵兵四千が居た。



 夜明けと共に奇襲を受けたヘスティの陣は大混乱に陥った。夜通しの見張りは少数、兵の多くは寝起きか未だ就寝中。とてもではないが戦う準備が出来ていない。主だった士官もようやく起きたばかり、軍司令官のゴール将軍すら顔を洗っていた最中だった。

 ゴールは混乱して右往左往する近習を落ち着かせると、とにかく寝ている兵を片っ端から起こして戦うように命令した。そして自分も急いで鎧を纏って、陣の中から冷静に指示を飛ばす士官を見つける。


「敵は何処だ!?数は!?」


「敵は既に陣内に多数入り込んでおり、数が把握出来ません!!部隊指揮もこの乱戦ではとても――――」


「くそっ!!奇襲とはアポロンの卑怯者め!―――――貴様は森に行って連中を叩き起こして来い!!」


「はぁ!?まさか、奴らを陣の中に引き入れるつもりですか!!」


「つべこべ言うな!!この状況ではアポロン共に良いようにやられるだけだ!私は指揮系統を立て直す。良いな、これは命令だ!!」


「ぐっ!了解しました!!」


 ゴールは明らかに納得していない様子のまま森へ向かう士官を無視して、混沌とした陣内を立て直すべく行動を開始した。



 陣内で片っ端からヘスティ兵の首を刎ねていたヤトはそれなりに満足していた。最初は寝ぼけた兵ばかりでつまらなかったが、時間が経つごとに態勢を立て直して本来の力を発揮し出した兵が多かった。特に騎士は奇襲に対して混乱も少なく手練れが多い。おかげで五人目の騎士を斬る頃には軽い裂傷を幾つも作ってしまった。


「む、ヤトか。その様子なら息災だな」


「アルトリウスさんも怪我は無いようですね」


 馬に乗った騎士甲冑のアルトリウスが声をかけた。手にはべったりと返り血が付いたサーベルを持っている。あの様子ではかなりの数を斬ったのだろう。彼は脂で切れ味の落ちたサーベルを捨てて、従士から代えのロングソードを受け取った。

 戦は未だアポロン側に優位だ。数の差は最初の奇襲と指揮系統の混乱でほぼ埋まっている。今はヘスティ側がある程度指揮系統を回復させたので組織的な反撃がちらほらあるが、それでも士気はこちらの方が高い。

 それに相手は起きたばかりで空腹。こちらは朝食を済ませていて力が出せる。この差も無視出来ない。

 アルトリウスはこの分なら、あと二時間もあればヘスティ兵を潰走させられると読んでいる。だからこうして戦場のさなかでも余裕を見せてヤトと話していられた。

 しかしヤトは唐突に南の方角を凝視する。自軍が優勢で楽観的だったアルトリウスは怪訝な様子で声をかけるが、ヤトはまるで耳に入っていない様子で神経を尖らせる。


「おいヤト、なんか南の方にヤバいモノが居るぞ!森の鳥が一斉に飛び立って、地響きが腹に来やがる」


 近くに居た人狼のゼクシが全身の毛を逆立てて警告を発する。陣の中の兵にも感覚に優れた者は違和感を感じて南の森に注意を向ける。

 それは次第に陣全体に波及し、戦を止めてしまう兵士すらポツポツと出てくる。

 時間が経つにつれ大きくなる地響きと木々の裂ける音。そして何かを思い出したかのように我先にと逃げ出していくヘスティ兵。

 何かがおかしい。良くない事が起こる。経験豊富な兵ほど勘が囁く。

 勘は正しかった。南の森から姿を現した災厄にアポロンの兵士は誰もが呆気にとられた。

 それは鎧と見間違うほどに発達した鋼の如き筋肉。

 それは巨大な神殿の柱の如き重厚な太さで大地を踏みしめる脚。

 それは樹齢数百年を超える大木を軽々と担ぐ万人力の腕。

 それは万里を見通すと伝えられるほどに巨大な一つ目。

 それは人に似た容姿であったが、比べ物にならぬほど巨大な体躯。


「おいおい、これは夢か幻か?儂は昨日酒は殆ど飲んでいないぞ!」


 ドワーフのゾルが酩酊を疑うが、残念ながら森から現れた災厄は現実だった。

 それほどに衝撃的であり、疑わしい光景だった。

 馬上のアルトリウスが驚愕し、自分の目を疑いながらも、アポロン軍の窮地を認めて吐き捨てた。


「北の蛮夷、巨人サイクロプス!!」


 森から姿を現した二体の巨人サイクロプスによって戦況は混迷を極めようとしていた。



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