第27話 三つ首の凶獣



 何のことは無い。砦を出たヘスティの兵士がアポロンの兵士に入れ替わっただけだ。

 村が盗賊やアポロンの残兵に襲われているなど、全てデタラメ。そうしてノコノコ助けに来た兵士達を途中で待ち伏せしていたアポロンの先遣隊が情報を得るための捕虜数名を残して皆殺しにして、装備を奪って入れ替わった。

 元々ここがアポロンの土地であり、傭兵の中にはここの出身者も何名か居たので待ち伏せに適した場所を選ぶのも容易かった。三度に分けて兵を出したのでこちらの被害も軽微。

 おまけに砦の兵士は半数になり、夜通し見張りをしていて疲労も溜まっている。既にアポロン兵の半数が砦の中へ入ってしまった現状で、ヘスティ側に利する要素は兵の数しかなかった。


 完全に開け放たれた門からは次々とアポロン兵が雪崩れ込んでくる。呆気に取られたヘスティ兵はただ茫然とその光景を眺めているしかない。

 門の外ではエルフの弓兵と魔法使いが城門の上に居る敵弓兵を殺して、内からも次々高所を占拠しようと兵士が昇っている。カイルも弓を手にそちらに向かっている。

 しかし敵も兵士。致命的なミスを重ねてもなお戦う気概を失っておらず、散発的ながら抵抗する兵はそれなりに多い。砦内部は完全に乱戦となっていた。

 指揮官のバーグも全ての兵に敵の排除を命じる。しかし殆どが同じ装備の兵士だったので、ヘスティ側が同士討ちを避けて中々攻勢に出られない。


「くそ、アポロンめっ!こんな汚い真似を!―――――――そうか!腕や頭に黒い帯を巻いているのがアポロン側だ!注意して見分けろ!!」


 兵士の乱戦から服装に違いがあるのを見つけたバーグが指示を飛ばす。兵士は即座に対応して敵を見分けて冷静に戦い始める。

 しかし勢いは大きくアポロンに傾いており、何か一発逆転の札でも無ければ容易く砦は落とされてしまう。

 故にバーグは躊躇無く今ある切り札を使ってしまうつもりだった。


「すまん、ここは任せた!私はアレを解き放つ!!」


「バ、バーグ様!アレを使うつもりですか!?」


 近習は正気を疑うが、指揮官として負けを認めるわけにはいかなかったバーグは決断して、全てから背を向けてある場所に疾走した。



 ヤトは未だ混乱の坩堝にある砦内部でヘスティ兵士を片っ端から切り捨てていた。既に十人は首を刎ねているが、一向に減らないそこそこ強いだけの兵士に少々飽きがきていた。彼の悪癖だ。

 余裕のある彼は戦いながら砦内部をあちこち見渡す。

 戦況はアポロンが優勢。城壁の高所を占拠したこちらの弓兵が援護射撃をしており、カイルもエルフに恥ずかしくない優れた弓の腕を披露している。亜人達や盗賊も兵士相手に複数で囲んで難なく倒していた。

 この調子なら彼等も何とか生き残れるだろう。別段誰が死んでも構わないが、率先して死んでほしいとは思わない。生き残れたらそれは本人の力量と運ゆえだ。


 傭兵としての務めを最低限果たすため、都合十五人を斬った頃、砦の奥で何か獣の唸り声と、人の悲鳴が交じり合って聞こえてきた。

 ヤトは直感的に自らが斬る価値のある相手が居ると確信して悲鳴の方へ走る。

 砦の中央へと向かうにつれて増える人の悲鳴と凶獣の咆哮。それは戦場という異質な場所の中でも、さらに場違いと言わざるを得ない。

 砦内部の中央の広場。そこは食卓であり、屠殺場でもあり、ゴミ捨て場でもあった。


「「「GAUGAUGAU!!!」」」


 広場の主はお食事に夢中。血の滴る新鮮な肉を骨ごと頬張って、バリバリ噛み砕いて腹に収めている。頭蓋だろうが内臓だろうがお構いなし。それどころか金属製の鎧すら平気で噛み千切っている。ただ、金属は味がお気に召さないのか歯に詰まるのか、度々そこらに吐き出しては、学習したのか血肉だけを選んで口にしている。

 主はヒグマのような巨体、ライオンの如きしなやかで俊敏な筋肉、黒馬のような艶のある黒毛、短刀のように鋭く長い爪と無数の牙。そして三つ並んだ凶悪極まった犬の首。

 地獄の番犬と恐れられる三首の幻獣ケルベロスが朝食に何人ものアポロン兵士を喰らっていた。


「いいですねえ、そうでなくては」


 地獄絵図を見てもヤトはブレない。彼はまるで飼い犬と遊ぶような気軽さで、一歩また一歩と食事中の凶獣へと近づいていく。

 ヤトに気付いたケルベロスは、また一体獲物が近づいてくると思い、牙を見せる。そのしぐさはまるで笑っているようにも見える。いや、事実新鮮な獲物が自分から身を差し出しているように見えるのだ。それが楽しいのだろう。

 三つ首の狗は優れた脚力を活かして一気に距離を詰め、馬鹿な獲物を巨体で圧し潰しにかかった。

 迫り来る巨体。しかし幾ら速くとも直線的にしか動かない猪に臆するようなヤトではない。彼は余裕をもって凶獣の突進を側面に躱して、すれ違い様に右首の顔を撫でるように斬った。

 口から頬までをざっくりと斬られ、何本かの牙も折られた右首は狂ったように吠えた。そして痛みで我を忘れた右首に引っ張られるようにケルベロスはヤトを猛追する。

 右首が常にヤトを正面に捉えて大口を開いて飲み込もうとした。

 ナイフのように鋭く尖った無数の牙は脅威だが、当たらなければどうという事は無い。先程と同じように右側面に逃れようとするが、ヤトは殺気を感じて反射的に反対の正面に跳んだ。

 その直感は正しかった。右首の上から想像以上に首を伸ばした中首が火を吹く。ヤトは既に逃れたが、代わりに食い散らかした死体は炭化したゴミとなった。恐るべき火力である。

 しかしヤトはそんな事で怯むような可愛げのある性格はしていない。むしろただの狗ではない事が分かり、より強い喜びを噛みしめて今度は反対側に回り込みながら、左の首の牙を躱しつつ前足を半ばまで斬った。手応えから骨までは到達していないが、かなりの深手を与えたと確信した。

 たまらず全ての首が痛みの咆哮を上げる。さらに追撃で後ろに回り込むと、後ろ足と尻尾をそれぞれ斬り落とす。

 これにはさしもの凶獣も堪えてその場に座り込んだ。足が使い物にならなければ、どれだけ巨体でも後はなすがままに斬られて終わりだ。

 この時、ケルベロスは死への恐怖に苛まれていた。相対する二本足は唯の餌ではない。自分を殺す死神。こいつから何としてでも逃れなければ自分は死ぬ。

 恐怖が凶獣を突き動かし、全ての首が無差別に火を吐いて広場を火の海に変えてしまった。

 流石にこれにはヤトも一時的に手近な建物の石壁を盾にして退避せねばならなかった。

 尤もそのまま隠れているはずもなく、すぐに建物の中に入って移動する。この辺りは居住区なので家屋が連なっており、建物内を移動すれば相手を撹乱しやすい。

 とはいかず、ケルベロスも犬の仲間。嗅覚と聴覚には長けており、ヤトの臭いを追って首を向ける事ぐらいは容易だった。

 移動するたびに後ろから炎が迫ってくるのはヤトでも良い気分はしない。どうにかしようと考え、ちょうど部屋の隅に置いてあった白い粉の入った容器二つを手に取って二階に駆け上がる。そして窓からケルベロスに向かって片方の容器を投げ落とした。

 容器に気付いた犬だったが身動きが取れず、炎で迎撃したものの容器は陶器だったので、そのまま身体に当たって中身をぶちまけた。

 瞬く間に粉はケルベロスの周囲に飛び散って視界を塞いでしまう。三つ首全てが粉を吸い込み咳込む。

 苛立った首達は白粉を吹き飛ばそうと火を吐くが、これがいけなかった。

 巻き上がった粉に火が引火して、連鎖的に破裂音を鳴らして燃え上がる。白い粉は小麦粉だった。

 これは粉塵爆発と呼ばれる現象で、一定の空間に可燃物が四散しているところに火種を加えると、連鎖的に粉末が燃える。多くは炭鉱などの密閉空間で可燃性の石炭の塵に引火して大事故に繋がる危険な現象である。

 ただ今回は屋外の開放的な場所なので爆発性は極めて弱く、頑強な皮膚を持つケルベロスにはかすり傷一つ与えられないが、連続的に破裂音が鳴るので、聴覚に優れた相手には非常に有効である。

 現にケルベロスは至近距離からの破裂音で聴覚をかなり痛めており、半ばパニックになって暴れている。

 さらにヤトはもう一つの容器の中身を広範囲に撒き散らすよう、暴れる凶獣の上に投げた。

 小麦粉と異なる白い粉がまんべんなくケルベロスに降りかかる。


「「「GYAAAAAAAAAAA!!!」」」


 ケルベロスはさらに狂ったように暴れ回って転がる。特にヤトに斬られた右首や後ろ足を庇うような動きが痛々しい。

 二度目の粉は塩だった。如何に地獄の番犬と恐れられる獣とて、傷口に塩を加えられては痛みで我を忘れてしまう。

 ヤトは戦場において致命的な隙を晒した相手に慈悲をかけるような性格をしていない。炎が止んだ隙を逃すはずもなく、建物二階の窓から飛び降りながらケルベロスの腹に着地。柔らかい腹を赤剣で深々と刺して横に捻りながら掻っ捌いた。


「「「GYOAAAAAAAAAAA!!!」」」


 三つ首から絶叫が垂れ流されるも、腹を繰り返し剣で刺されるたびに鳴き声は弱くなり、四度目の割腹で遂に息絶えた。

 地獄の番犬と恐れられたケルベロスだろうとより強い者に地獄へ叩き落されるのがこの世の摂理である。



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