第9話 助力



 傭兵ギルドのダリアス支部を血の海に沈めたヤトは用事を済ませて外に出た。背には革製のリュックを背負っている。

 支部の外はさして変化は見当たらない。もともと傭兵ギルドは荒くれ者の吹き溜まりであり、騒動など日常茶飯事であったのが幸いした。今回の騒ぎも通行人にはいつもの喧嘩か何かかと思われていた。

 おかげでヤトは大して注目もされず、野次馬などにも煩わされる事は無かった。

 無かったのだが、一人の小柄な中年女性がヤトを見つけると、慌てて近づいて手を引っ張った。


「申し訳ありません。私の顔を覚えていますか?」


「――――確かサラさんの使用人の一人ですね」


「マオと申します。もう貴方だけが頼りなんです」


 切羽詰まった様子のマオに、ヤトは次の面倒事の臭いを感じ取った。そして彼女は人目を気にする。ここでは落ち着いて話が出来ないのだ。

 マオはそれ以上何も言わずヤトの手を引いてギルドから離れた。



 二人が腰を落ち着けたのは、街の中央から離れた区画。そこは貧しい住民が暮らす下町の安宿だった。主に金の無い男女に短時間部屋を貸して金を得る、いわゆる連れ込み宿と呼ばれる宿屋だ。

 そこで何が行われているかは両端の壁から漏れ聞こえる男女の嬌声が教えてくれた。勿論ヤトもマオもそんな行為をする気はないが、男女が人目を避けて話すにはこうした状況が最も警戒心を抱かれない。

 薄い壁から聞こえる濡れた打音が不快だったが、マオは無視して説明し始める。


「姫様がダイアラスに捕らえられました。アルトリウス殿や他の使用人も同様です」


「護衛の僕が離れるべきじゃなかったかな。いや、あのお姫様なら人質が居たら同じか」


 なにせ護衛騎士の命を助けるために自分の命を差し出そうとするぐらいだ。仮にヤトが傍に居ても他の使用人の命を奪うと言われたらどうなるか分かったものではない。却って別行動で良かったぐらいだ。

 そして、その事実がギルド支部での暗殺に繋がった。あれは余計な事を知っている者の口封じだ。

 ヤトもどこからサラの旅の行程が漏れたのか薄々気付いていた。国境近くの村に滞在する日は、この街を旅足った日から計算すれば容易く分かる。

 つまりヘスティ側のロングやメンターとアポロン側の領主ダイアラスやゲドは情報共有をしていたと考えていい。

 それと殺さずに捕らえたという事はまだサラに利用価値があるからだ。王女ならどちらの国にも使い道がある。ならば奪還するのが雇われ者の義務である。


「マオさんはサラさんがどこに捕らえられているのか知ってます?」


「いえ、私は屋敷から逃げるので手一杯でして、誰がどこに居るのかもまったく……」


 マオは委縮するが、ヤトは使用人でしかない彼女にさして期待していない。

 現実的に考えると戦力は己のみ。単に領主の館を襲撃して領主と私兵を皆殺しにするだけなら十分だ。問題は相手が人質を多数確保している事。いざとなったら彼等を見捨てるのも選択肢に入れているが、最初から切り捨てるのは契約に反するので困る。

 となれば先に人質を奪還するか、一気に頭を斬ってしまうのが最良の選択である。ただしそれには色々と用意するものがある。


「人手が足りませんね。まずは人集めから始めないと」


「ヤトさんの味方がこの街に居るんですか?」


 ただの人斬りに意外な長所があると思ったマオは最低評価から少しだけ上方修正した。

 基本方針の固まった二人は卑猥な音とすえた臭いのする安宿から喜んで出て行った。

 宿の従業員は二人の利用した部屋が全く汚れていない事に首を傾げて、掃除をせずに済んだのを喜んだ。



      □□□□□□□□□□



 安宿を引き払った二人は下町よりさらに街の中央から離れた、スラムと呼ばれる浮浪者や孤児が道端に座り込んだ、見るからに治安の悪い場所に居た。

 王宮勤めのマオはあからさまに顔をしかめるが、ヤトは全く気にせずに何かを探すように建物を観察しながら歩いている。

 そんな二人を住民たちは注意深く観察している。まるで餓えた虎狼が獲物を観察する目だ。もし弱い獲物であったなら、我先にと飛び掛かって財産を、それどころか命も簡単に奪っていただろう。

 それをしないのはヤトの纏う、吐き気すら覚える血の臭いの濃さ故だ。明らかに自分達より格上のケダモノに襲い掛かるほど、ここの住民は愚かではなかった。でなければもっと早く死んでいる。

 視線により居心地が悪くとも安全が確保されているマオは気を紛らわせるためにずっと何かを探しているヤトに話しかける。


「あの、何を探しているんですか?」


「タグを探しているんです。蛇の形の」


 マオにはタグと言う言葉は分からなかったが、蛇の形の何かを探しているのは分かった。それが何を意味するのかまでは分からないままだが。

 そしてかれこれ三十分はスラムを歩き続けて、人が全くいない区画まで来たところで、ようやくお目当ての物を見つけた。

 それは朽ちた石壁に刻まれた白い蛇の形をした落書きだった。城仕えのマオには何となく紋章のように思えた。

 蛇の落書きのある建物に扉が無いが、奥へと続く通路があった。二人はそのまま通路を進むと、四方を別の建物で囲まれた中庭のような場所に出る。

 その建物の壁を丹念に調べると、一角に同じ白蛇の落書きを見つけた。


「ここだ」


「でも扉がありませんけど」


「窓があるでしょう」


 確かに言われた通り、一階部分にかつて窓と思われる、今は腐った木枠しか残っていない四角の大きな穴があった。それによく観察すると、木枠に土埃が払われた形跡がある。誰かがここから出入りした形跡だった。

 ヤトは軽々と、スカートのマオは必死に窓枠を跨いで建物の中に入った。

 中には誰もおらず、石材や木材の欠片が無造作に散乱していた。

 今度は腰から鞘ごと剣を外して、床の木板をあちこち叩く。部屋中に鈍い反響音が連続するが、一か所だけ音の違う箇所があった。

 ヤトはその板の周辺を屈んで丹念に調べ、巧妙に塗装された格納式の取っ手を見つけて板を持ち上げた。


「あっ階段!」


 マオは驚きの声を上げた。彼女も王宮暮らしなので、この手の隠し通路や隠し部屋の存在は知識として知っているが、実際に見るのは初めてだ。

 ヤトは何事もなかったかのように地下への階段を降り、マオもそれに倣って灯りの無い階段を慎重に降りる。


「隠し蓋は締めておいてください。そのままだと怒られるので」


 それだと日の光すら差さない完全な暗闇で怖いが反論は出来なかった。

 言われた通り蓋を閉めるとマオは恐怖でどうにかなりそうだったが、先に進むヤトの足音と己の触覚を頼りになんとか一歩ずつ足を前に出す。

 階段が終わり、長い通路を無言で進むと、奥にうっすらと光が見えた。ランタンの火だった。扉も見える。ようやく文明の息吹を感じる事の出来たマオは安心した。

 そして鉄で補強した頑丈そうな扉を開けると、小さな部屋の隅で小柄な隻眼の中年男が机で書類仕事をしていた。男はミニマム族だった。


「お邪魔しますよ」


「邪魔するなら帰れ」


 書類から目を離さず黙々と蝋燭の火を頼りに読み続ける男の無粋な対応をヤトは気にしない。

 そして懐から一枚銀貨を出して彼の机に置いた。


「――――ここの流儀は?」


「蔑むな、金を惜しむな」


「客か。奥に行け」


「あ、あのヤトさん。ここは一体何なんですか?」


 つい膨れ上がった疑問を抑えきれなくなったマオがたまらず問いかけた。


「そっちは素人か。まあいい、後学のために覚えておけ。ここは悪党の溜まり場、日の光から見放されたどん詰まりの最期の住処」


 男はそこで一度言葉を切ってから、ほんの僅かな時間、悔恨と諦観を乗せて己の墓場の名を口にした。


「ようこそ日向の住民。ここは盗賊ギルドだ」


 日向で暮らしたことしかないマオは言葉の意味を理解出来なかった。



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