西日の中でワルツを踊れ

郷倉四季

2013年【西野ナツキ】01 缶コーヒーは既に空だった。

 缶コーヒーは既に空だった。


 ベンチの近くにはゴミ箱が設置されていた。

 徒歩で十歩ほどの距離だろう。一度、手を振り上げて缶を投げ入れようと思った。


「ねぇ、あのお兄さんが投げる缶がゴミ箱に入ったら、あたしたち恋人になりましょうよ」


 後ろから女の子の声がした。

 ぼくが座っているベンチは一本の木を囲うように作られている。声の主はおそらくぼくの後ろに座っているのだろう。


「どうして?」


 今度は男の子の声が聞こえた。

 少々戸惑った響があった。


「好きな男女が一緒にいるなら恋人になるべきよ」


「僕たちはまだ十歳だし、恋人ってよく分からないよ」


「大丈夫。あたしの友達は恋人が三人いるわ」


「全然、大丈夫じゃないよ」


「なによ、有? あたしのこと嫌いなのかしら?」


「よく分からないよ」


「分からないことは、恋人になってから知っていけば良いのよ」


「そういうもんなのかな?」


「何にしても、お兄さんの缶がゴミ箱に入るかどうかよ。入ったら、それが運命なのよ」


 運命。

 空っぽの缶コーヒーが数メートル先のゴミ箱に入るかが、幼い男女の運命になってしまった。


 空の缶コーヒーを妙に重く感じる。

 ぼくは出来るだけ自然な動きで缶を放った。

 それを後ろの二人が注目しているのは振り返らなくても分かった。


 缶はゴミ箱の手前で落ちた。

 間抜けな音の後、缶はコロコロと地面を転がった。

 ぼくはわざとらしくも溜息をつき、ベンチを立った。


 後ろから男の子のほっとする吐息と、女の子の苛立たしげな舌打ちが聞こえた。

 缶を拾ってゴミ箱に捨て、公園の散歩道を進んだ。


 待ち合わせの為に公園を訪れたが、何もベンチに座って待つ必要はない。

 公園の入り口に居れば相手も分かるだろう。

 そう思った矢先、声を掛けられた。


「ナツキさん。お待たせいたしました」


 ぼくは柔らかい笑みを心掛けた。


「いえいえ、紗雪さん」


 紗雪と会うのは今日で二度目だった。今回も紺色のスーツ姿だった。

 動きやすそうなパンツスタイルのスーツは彼女によく似合っていた。


 顔立ちが幼い紗雪はぱっと見ると新卒の社会人という印象を持つ。

 それは二度目でも変わらなかった。


「そういえば、私が買った服を着てくれているんですね。サイズ、大丈夫でしたか?」


 並んで歩き出してから紗雪が言った。


「ぴったりでした。病院を出る時、ナースさんに似合っているって言われましたよ」


「良かったです」


 ぼくの姿は、黒のジーパンに灰色のティシャツだった。

 現在、ぼくは一文無しで槻本病院に入院している。

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