第20話
「そんな強さに意味があるのか。守るものが何もなくても?」
「ハハ、守りたいか。愛する人を守りたい、と? そんな感情は刃を鈍らせるだけだ。泥沼に嵌まり込んでずぶずぶと沈んでゆくようなものだ。エレオノーラのことを言っているのか? そうだ、俺はあの女に惚れていた。その気持ちを見抜かれ、利用された。割りの合わない仕事を山ほどさせられた。鼻先に人参をぶら下げられた馬みたいにな。手に入るはずがないのに、薄甘い期待を抱いてしまう。愛など足枷に過ぎぬわ。あの女に出会わなければ、俺はもっと強くなれたはずだ。剣で生きていくと決めた時に思い描いた強さを、手に入れられたはずなんだ。少なくとも、おまえの天性に嫉妬しないですむくらいの強さをな……!」
キリアスは闇色の瞳を物憂げにギドウへ向けた。
「……やっぱりもうあんたは俺の知ってる師匠じゃないんだな」
「まだ期待していたのか? どこまで甘い奴なんだ。いい加減失望しきるがいい。俺がどんなに醜い心根の男かわかっただろうが」
「今のあんたは俺が尊敬してた師匠を穢すだけだ。死餓鬼が生前のその人を貶めるように」
「だったら殺せ。死餓鬼を葬るように」
「そうさせてもらう」
下段の構えから切り上げる。肩を上下させながら、それでもギドウは最初の一撃を防いだ。構え直す暇を与えず第二撃を放つ。甲冑の隙間から切っ先が入り込み、左腕の付け根を貫いた。剣を抜き、踏み込みながら柄頭を手に叩きつける。剣を取り落として前屈みになったギドウの首を突く。血を噴き出しながらギドウは仰向けに倒れた。
血泡を唇に浮かべて彼は水音まじりの笑い声を上げた。
「やっとおまえの本気を感じたぞ。やっぱりおまえは化け物だな。戦場に出たこともないくせに、金縛りになるくらいの凄まじい殺気だった。どうだ、思い出したか。おまえはきっと前世で山ほど人を殺しているよ。そうだろう?」
黙然と見下ろすキリアスの表情は鋼でできた仮面のように硬く、動かない。蒼白になったギドウの唇が、鮮血に染まる。
「ひとつだけ、願いを聞いてくれないか。かつておまえの師匠だった時代に免じて。俺が死んだら首を斬り落としてくれ。おまえだって、元師匠のこれ以上浅ましい姿は見たくないだろう」
ぴくりとキリアスの頬が動く。
「……あんたも死餓鬼になるっていうのか」
「念のためさ。実を言うと俺はとっくに死人でね。殺されて、黄泉返った」
「殺された……? 誰のっ……、誰の仕業だ!?」
「決まってるだろ。俺の今の雇い主――ナヴァド・ラガルだ。奴は俺を殺し、生き返らせた。奴の剣――〈
噎せるように力なくギドウは笑った。
「そんな顔してるようでは、奴には勝てないぞ。首を落としたら、俺のことなど忘れてしまえ。怒りも、恨みも、何もかもだ。必要なのは敵を倒す意志だけだ。感情なんかいらない。心など邪魔だ。無駄なんだ。そんなもの……虚しい、だけ、だ……。……エ……」
血に染まった唇が声のない言葉を紡ぐ。薄目を開けたままこと切れたギドウを見下ろし、キリアスはきつく剣柄を握りしめた。振り上げたそれを一気に振り降ろす。
瞼を閉じてやるとギドウの顔は不思議なほど穏やかで、静かに微笑んでいるように見えた。血の匂いを載せて夜風がヒョオと鳴った。
背後で、かすかな衣擦れと金具のこすれる音がした。
「――死んだのか?」
平淡な男の声。まるで聞き覚えのない――。跪いていたキリアスは剣を握って跳ね起きた。金色の髪の見知らぬ男が立っていた。二十代の半ばほどであろうか。秀麗でありながら鋭さの際立つ顔が篝火に浮き上がる。磨かれた銀の甲冑に、白いマントをつけていた。
青年は無感動な瞳をギドウに向け、呟いた。
「始末に来たが……、その必要はなかったようだな」
「始末……だと?」
「せっかく挽回の機会をくれてやったというのに、運のない男だ。届いたジャリードの宝珠は偽物でね」
「……! 貴様がナヴァド・ラガルか」
剣先を床すれすれにまで下げた構えで、低く問う。男は黙って目を上げた。乏しい灯の中でも、彼が蒼い瞳をしていることがわかる。そのまなざしは凪いだ水面のように滑らかで、底知れない。沈黙し続ける男に対し、キリアスの内にふつふつと怒りが滾り始めた。
「答えろ! 俺の師匠をこんなにしやがったのは貴様なのか!?」
ナヴァドの口許がわずかに綻ぶ。
「ギドウはよい弟子を持ったようだな。本意なき主より、弟子に始末をつけてもらえて彼も喜んでいることだろう。気に病むことはないぞ。彼は亡者、すでに人としては死んでいた。――そう、彼を殺したのは俺だ」
「どうしてっ……!?」
「役に立ちそうに思えたのでね。腕は確かだったし、何より彼は引き裂かれ、苦しんでいた。だからいらぬ荷物を捨てさせた。人として彼を殺し、亡者として黄泉返らせた」
青年の平淡なまなざしの下で、魚影がよぎるように何かが動いた。
「……おまえは誰だ? ジャリードの兵ではなさそうだな」
「ヴァストの王子、キリアスだ!」
「ああ……、おまえがそうなのか。ギドウにはヴァスト王族の殲滅を命じたのだが、彼はふたりも見逃した。潔くすべての荷を捨てられなかったのだな。結局は、降ろさなかった荷物が彼を圧し潰した」
ナヴァドは腰に下げていた剣をゆっくりと引き抜いた。黒い剣だった。柄や鍔だけでなく、刀身までもが黒い。白を基調とした彼の戦装束に対し、それは寄り添う影のようであった。あたかも黒曜石で造られたかのように、篝火を反射して刃が妖しく輝いた。
「その剣が〈さかしま〉か」
「ほう。ギドウから聞いたか」
「あんたの部下は皆死人かよ。生きてる奴にはろくな人材がいないらしいな!」
「死人は決して裏切らぬ。期待に沿わない場合はあってもな。ギドウが死んでまた部下が減った。今のままでも充分ではあるが……、おまえなら二人分以上の働きが見込めそうだ」
「誰が貴様なんかの! 俺の主は俺自身だ」
「おまえの意志など問うてはおらぬ。ヴァスト王族の生き残りを生かしておく気は元よりない。ただ、ギドウを倒したその腕は惜しい」
薄く笑った青年を取り巻く空気が寒々しいものに変わる。まるで初夏から厳冬期に急転したかのような感覚に、キリアスはぞくりとした。
ナヴァドが黒い剣を掲げる。暗黒が凝集したかのように、それは夜闇を一際くろぐろと圧倒した。まっすぐに立てた剣の平をこちらに向け、祈りを捧げるかのように目を閉じる。次の瞬間、柄を肩に引きつけた恰好で、まっすぐにこちらの顔を向いた切っ先が目前に迫っていた。
避けられたのが奇跡としか思えなかった。構えを移行する動作さえ見えなかった。激しく剣がかち合い、闇に蒼い火花が散る。反撃に移る糸口さえ掴めず、キリアスは防御一方に追い込まれた。
剣筋がまるで読めない。いや、読めても反応が追いつかなかった。二歩先の動きを予想できても、相手はそれより先を読んで的確な攻撃で封じてくる。どうにか間合いの外に脱出し、剣を構え直した。
ナヴァドの唇が、初めてはっきりした笑みの形に綻んだ。
「なるほど。今まで引き抜いてきた誰よりもよい手応えだ。キリアス王子、あなたはとうに師匠を追い越していたようだな」
「……ギドウがあんたを恨んでないと言った理由がわかったよ」
圧倒的な差を見せつけられて、ギドウは率直に感嘆したことだろう。悔しいなどと歯ぎしりできるレベルではない。努力では到底補えない断絶があるのだと認められる潔さを、彼は持っていた。根っからの剣士だったのだ。
ギドウが自分に対し苛立ちや恨みがましい気持ちを抱いたとしても無理はない。悪気も自覚もなかったにせよ、キリアスが師匠に『遠慮』して『手加減』していることを、彼は敏感に察していたのだ。
「ホント、悪いことしたなって今になって思うよ。俺、師匠の
「傷つけたくないという思いは、時に却って人を傷つけるものだ」
独りごちるようにナヴァドが呟く。睨み合った視線のぶつかり合いに、キリアスは認めざるを得なかった。こいつは同類だ。師匠が言うところの『異常な』奴。向こうも同じように感じているのがわかってしまって、ひどくむかついた。
「……頭に来る。てめえみたいな人でなしと一緒にされて文句言えないなんてな!」
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