第16話
同じ頃、アーシファはギーゼラと一緒にあてがわれた部屋で寛いでいた。
「あー、気持ち悪かった! あの親爺、あたしたちのことやーらしい目つきでジロジロ見てさ。ギーゼラに向かっていけしゃあしゃあと、美人がもったいないから還俗しろなんてぬかして。まったく不敬な奴!」
ようやく武装を解いたギーゼラはアーシファの言葉に苦笑した。
「神殿騎士は神官ではありませんから、同様の敬意を要求するのは無理ですわ。それに、神殿と王侯がたの関係は大抵どこでもあまりよくはないのです」
「領地を巡る争いのこと? 神殿はかなりの土地持ちだもんね」
「一部の神殿は完全に世俗領主化してしまっています。一方では土地を取り上げられて困窮している神殿もあるとか。イシュカの大神殿は昔から王家との繋がりが強くて、神官長はほぼ王族出身でしたから……。そのお蔭でかなり厚遇されていたのだと思います」
「ジャリードではいかにも冷遇されてそうだよね。でもこの部屋、何だか神殿と同じような匂いがすると思わない?」
「ええ、わたしもさっきから気になっていたんです」
ちょうど湯の入った桶を持ってきてくれた召使に尋ねると、オリバナという花の香りだと教えてくれた。干した花をこの部屋でしばらく保管していたそうだ。
「そういえば、さっきハルがジャリード王にオリバナって花のこと訊いてなかった?」
考え込むような顔つきでギーゼラは頷いた。
「不思議ですね、乳香の香りによく似ています」
「何だか懐かしい。帝都にいた頃はしょっちゅう神殿に入り浸ってたの。と言っても別に篤信家ってわけじゃなくて、単に行ける場所が限られてたってだけなんだけどね」
両親の死後はずっと宮城に軟禁状態で。自分の居館から出られるのは神殿にお参りする場合だけだったのだ。
「ラァルの竜神殿は全体がひとつの島になっててね。どこにも逃げようがないから見張りもけっこう放っといてくれたの。おかげでちょっとずつ逃亡の準備ができたってわけ」
結婚式逃亡の顛末を話すと、目を瞠ったギーゼラは堪えきれない様子で笑いだした。
「ねぇ。神殿騎士って神官の一種なんでしょ。どうしてギーゼラは神官になったの?」
何気なく尋ねた途端にギーゼラの顔から笑いが消える。慌ててアーシファは寝台の上に座り直した。
「ごめん。単なる好奇心で訊いただけだから気にしないで」
「いえ……。正直、自分でも意外に思っています。神殿に保護してもらった時には、そんなつもりは全然なかったので」
保護、という言葉で何となく事情の一端が垣間見えた。何らかの事情でギーゼラは追われていたのだ。もしくは命の危険に晒されていた。神殿はたとえそれが犯罪者でも、神殿や神官たちに危害が及ばない限りは、逃げ込んで来た者を一方的に突き出すことはしない。
例えばアーシファがシャルの王子と結婚したくないといって神殿に逃げ込めは、無理やり連れ出すことはできない。そして三年間を神殿で過ごせば結婚の取り決めは無効になる。
もちろん、三年の間遊んで暮せるわけではなく、神官見習いとして修行させられる。ヴァスト王家に頼るというあてがなければ、アーシファもそうせざるを得なかっただろう。
「もしかしたら神官長はそんなわたしの気持ちを察して、今回のことを頼まれたのかもしれません。実を言うと、わたしが神殿に入ってからちょうど三年経ったところなのです。神殿に入ってすぐ神官の誓いを立てましたし、外界に出たいと口に出して言ったことはありませんが、神官長は大変に勘の鋭い方ですから」
「誓いを立てたのなら一時的な避難じゃなくて、ずっと神殿にいるつもりだったのね?」
「その時は確かにそのつもりでした。でも、こんな状況になってしまって……」
「そうだよねぇ。もう十年以上も戦乱続きではあったけど、まさか死者が蘇って徘徊し始めるなんて、本当に世も末だわ」
ギーゼラは曖昧な表情で頷いた。
「ええ……。神殿でのお務めも大切ですけれど、外界でわたしにできることが他にあるんじゃないかと。そういう焦りが気付かぬうちに態度に出てしまったのかもしれません。キリアス様に宝珠を渡した後は、自分の好きにすればよいと言ってくださいました」
「そのキリアスがああいう状態だもんねぇ……。もうすっかり依怙地になっちゃって」
「でも、ヴァスト王家を再興するお気持ちはあるのでしょう?」
「たぶんね。でも、今はとにかく仇を討つことで頭が一杯みたい。仇が自分の師匠じゃ、無理もないけど」
「キリアス様とはお親しいのですね」
「幼なじみだからねー。弟みたいな感じかな。あいつの方がひとつ上だけど」
アーシファはふふっと笑った。
「キリアスのこと悪く思わないでやってね。あいつだって平和な世の中が来ることを願ってる。今は復讐心に燃えてるけど、本当は争いごとが嫌いな平和主義者なの。腕は立つのにそれを見せつけるどころか喧嘩を売られても絶対買わない。代わりにあたしが買って出て、結局キリアスが仲裁に入るはめになるのよね」
「まぁ」と目を瞠ったギーゼラが笑いだす。
「だからね、もう少し気持ちが落ち着けばイシュカの宝珠のこともちゃんと考えてくれると思うんだ。それまで辛抱して付き合ってもらえると嬉しいな」
「ご心配なく。宝珠を受け取っていただかないことには離れるわけにもいきませんから」
悪戯っぽくギーゼラは微笑んだ。ふと、アーシファは漠然とした感覚に囚われた。彼女は何か他に目的があるのではないか……? 躊躇している間にギーゼラは『お先に』と寝床に入ってしまい、質す機会を逸したアーシファもまたやむなく寝床に潜り込んだ。
ジャリード王の元を時ならぬ客人が訪れたのは、城内が静まり返った夜半過ぎのことだった。ヴァストの王子に付き従ってきた商人上がりの美青年は、夜空から降りてきた月の如く冴々と微笑んだ。
「かような時刻にも拘らずお目通りいただき感謝いたします、陛下」
「キリアスどのに何か?」
「いえいえ、あの方はぐっすり眠っておられます。……実はあの方には内緒で折入って陛下にご相談が」
「ほう」とカスラーンは面白がるような表情になる。
「単刀直入に申し上げましょう。実は私、主を替えたく思っています。滅んだヴァスト王家にいつまでも付き合うのは泥船に乗っているようなもの。いつ沈むかわかりません。ヴァスト王家に仕える騎士の家系ではありますが、我が一族は何代も前から都市貴族として生きてきました。今では騎士というより商人になっておりますし、別段それを恥じてはおりませぬ」
飄然とナイトハルトは言い切った。ジャリード王は顎を撫で、薄く笑った。
「つまり忠信よりも儲けが大切、ということかな」
「左様で。私は自由都市シャニーエにおけるヴァスト商館を取り仕切ってまいりました。遺憾ながら参事会に差し押さえられてしまいましたが……。それでも色々と商売相手を介した伝はございますし、後ろ楯いただければ何かとお役にたてると思います」
「ふん……。我が国の商館も商売がままならぬことでは差し押さえられたも同然だ。都市の奴ら、たちまちフォリーシュに尻尾を振りおって」
「都市連合としては、早いうちに恩を売っておこうという腹積もりなのでしょう」
憮然とするジャリード王にナイトハルトはいわくありげに頷いてみせた。そんな青年をカスラーンは警戒の目つきで眺めた。
「だが、今は喫緊の時。いずれ役に立てるというだけで召し抱えるわけにはいかぬな」
「ごもっとも。そこで手土産を持参いたしました」
ナイトハルトは袖で隠していた小箱を示した。ありふれた飾り気のない箱をつまらなそうに見やったカスラーンだったが、ナイトハルトが蓋を開けた途端大きく目を瞠った。
「そ、それはまさか……!?」
青年は端麗な顔に妖しい笑みを浮かべた。
「ヴァストの〈竜の宝珠〉でございます」
「奪われたのではなかったのか……」
「ヴァスト王は用心のため弟君に宝珠を預け、城から出しておいたのですよ。どうぞお手にとってお確かめください」
熱っぽく宝珠を見つめていたカスラーンはおそるおそる珠を手にした。
「……温かい。それに……おお、脈打っておる……!」
「本物と認めていただけましたか」
カスラーンは箱に戻した宝珠と微笑を浮かべたナイトハルトの顔を交互に眺めた。
「しかし……、キリアスどのはどうするつもりだ?」
「ちょうどいいことに──というのも何ですが、もうすぐ戦が起こる。あの方は喜んで闘いに身を投じるでしょう。兄君たちを亡くしたからというもの復讐心で凝り固まっておられますから」
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