第17話
「見殺しにせよと?」
「護衛などつけず、放っておけばよいのですよ。自ら死に急いでくれるでしょう」
端整な顔でうっすら笑う青年を、ジャリード王は恐ろしいものでも見るように眺めた。ナイトハルトは悪びれもせず王を見返し、ニコリとした。
「あの方が亡くなったら、アーシファ姫を娶られてはいかがですか。何と言っても皇家最後の姫君だ。利用価値大いにある」
「皇家の? ……そうか、同じ名前だし年頃も合う。どうも怪しいとは思っていたのだが、やはり遠縁の娘というのは嘘だったか」
「シャルの王子との結婚を厭うて逃げ込んできたのを幸い、手元に留めておいたのですよ。実質的にはすでに滅んだとはいえ旧皇家の最後の姫を奥方にしておけば、後継者であることをアピールできますし、何かと都合がいい。帝領の住民にも受け入れやすいはずです」
「皇帝の私領地か……」
カスラーンは欲深な光を目に浮かべた。帝領は皇家の直轄領で、八葉州全土、それも地味の肥えた穀倉地帯や風光明媚な土地に散らばっている。そこから上がる租税はすべて皇家の収入となるのだ。今は各領主に押さえられてしまっているが、それを我がものにできれば莫大な収入が期待できる。
「アルフレート王には奥方がおられましたから、弟君のいずれかと妻わせるつもりだったのでしょう。陛下は独身、何の問題もありませんね」
色と欲、両方を同時に満たせると知ってカスラーンの心は一気に傾いた。そこに駄目押しするごとく、ナイトハルトがさりげなく付け加える。
「実は、もうひとつ宝珠が手に入るあてもあるのですが」
「何……!?」と色めき立つジャリード王を躱し、ナイトハルトは澄まし顔で微笑んだ。
「いえ、やめておきましょう。あまり手の内を明かしすぎては却って危険ですからね。宝珠と姫君を奪われ、殺されてしまってはたまりません」
「そなたの望みは何だ。ただ商売の後ろ楯がほしいというだけではなかろう」
「そうですね。最終的には自由都市同盟の終身盟主になることですかな」
平然と言い放つ青年にカスラーンは目を剥いた。自由都市同盟の盟主は『九人目の王』とも言うべき存在である。領地を持たない代わりにすべての物流を押さえている。経済活動の要はことごとく彼の手に握られているのだ。
ただし盟主は主要都市の持ち回りで、任期は一年。各都市は平等であるという都市同盟の理念を示し、腐敗を防ぐための方策である。ゆえに今まで八州の王と同列に扱われることはなかったし、特定の王家と結びついて私腹を肥やすこともできなかった。
だが、ナイトハルトは終身盟主になるという。それはつまり、各王家に庇護されるレベルを一気に飛び越え、同等の立場に立つということだ。
「王冠を持たぬ王になるというわけか……」
「先にも申し上げましたとおり、私は商人です。王冠も玉座もいりません。そんなものはほしがる輩に高値で売りつけてやればいい」
「玉座の売買か。恐ろしいことを言う奴だな」
「私にとっては〈竜の宝珠〉も商品のひとつにすぎませぬ。ほしい者に高値で売る。ただそれだけのこと。今ならお安くお譲りいたしますよ? いずれ陛下が新たな皇家を興した暁には大いに協力もできるでしょう」
カスラーンは上擦った笑い声を洩らした。
「あてがあるとかいう宝珠をそなたが手に入れてしまったら、途端に値を吊り上げる腹だな? ――いいだろう。そなたを我が国の家臣として迎えよう。ただし、ヴァスト王家が完全に滅んでからだ」
「結構です。ではヴァストの宝珠は当分私が預かっておきますがよろしいですね? 手元にないと、キリアス様が見たいと仰せの時に困りますので」
「よかろう」
鷹揚さを誇示するようにカスラーンは重々しく頷いてみせた。一礼したナイトハルトは目にしたたかな光を湛えて切り出した。
「ひとつお願いがございます。まことに不躾ながら、陛下がお持ちの宝珠を見せていただくわけにはいかないでしょうか」
「ふん……。普通ならおいそれと見せるわけにはいかないが、ヴァストの宝珠を見せてもらった返礼だ。いいだろう」
カスラーンは部屋を仕切る垂れ布の向こうへ行き、やがて小箱を手に現れた。ナイトハルトが持参した箱と大きさは同じようだが、こちらは金の留め金や宝石で仰々しく飾りたてられている。懐から取り出した鍵を差し込んで開けると、詰め物をした深紅の天鵞絨に半透明の黒い珠が半ば沈み込んでいた。
「持って見てもよいぞ。特別だ」
「恐れ入ります」
ナイトハルトは自分の箱を隣に置き、ジャリードの珠を掌に載せた。
「……不思議なものですね。この珠はまるで生きているようだ」
呟いた青年は、ふと思いついた様子で自分の箱を開けると、ヴァストの〈竜の宝珠〉を手にとってジャリードの珠にくっつけた。
「近づけると脈動が強まるようです。共鳴しているのかもしれませんね」
「どれ」とカスラーンは反対にジャリードの珠を持ち、ヴァストの珠にくっつけてみた。集中して眉根を寄せていると、考え込むようにナイトハルトが呟いた。
「もしかすると、呼んでいるのかもしれない。すべての珠が集まると、〈始祖の剣〉が現れるのでは……」
「〈始祖の剣〉だと……!? 皇家から失われた神剣ではないか」
「推測に過ぎませんが、可能性はあると思います。〈竜の宝珠〉と〈始祖の剣〉を共に手に入れてこそ、まさしく〈竜の申し子〉を名乗れるのですからね」
悔しげにカスラーンは顔をゆがめた。
「こちらの宝珠は二つ。そなたの『あて』とやらが本当でも三つか。向こうは少なくとも五つの珠は手に入れたわけだな」
「逆転の余地は充分にあります。フォリーシュは妖術を用いて他国を出し抜いた。生き残った兵や民には、家族が死餓鬼の犠牲になるなど恨みを持つ者が数多くいることでしょう。彼らは喜んでこちらの側に立つはず。それに、金を出せば傭兵も雇えます。フォリーシュ軍の中枢も元を正せば傭兵だ。お任せ下されば、資金についてはどうにもでなります」
自信たっぷりに請け負い、ナイトハルトは自分の箱を抱えて恭しく一礼した。
「――それでは、ヴァストの血筋が絶えた時にまた改めて」
涼しい笑みを浮かべた青年商人が退出した後、カスラーンはこれまでにない薔薇色の夢想にしばしふけっていた。
新月を明日に控えた夕刻、戻ってきた斥候による敵陣の報告を、キリアスはカスラーンの側で聞いた。戦陣に加えてほしいというキリアスの願いを受け、ジャリード王は彼に装備と数名の歩兵を与えることを約束した。通常の指揮系統から外れた遊撃隊である。
報告によれば敵陣に目立った動きはないという。増援もなく、兵の数はせいぜい三百人ほど。ただし、そのほとんどが騎兵である。死餓鬼の姿はどこにもない。
これを聞くとジャリードの家臣たちは一様に楽観的な顔つきになった。結局のところフォリーシュ軍の勝利は奇襲によるもの。死餓鬼という想定外の戦力を一気に投入しての大規模な奇襲がうまくいっただけなのだ。所詮は弱小の軍しか持てない国が奇策に打って出て、たまたま成功したにすぎない。
そんなジャリードの重臣たちの嘲りを、キリアスは末席で黙然と聞いていた。傍らに控えたナイトハルトは相変わらず涼しい顔である。
宝珠を引き渡す刻限は新月の真夜中。だが、それまで待つ必要はない。その前にこちらから奇襲をかけようではないかという意見を、カスラーンは承認した。夜闇に紛れて歩兵を敵陣の両翼に接近・待機させ、夜明けと同時に攻める。敵が装備を整える前に襲撃すればかなりのダメージを与えられるだろう。そして飛び出してきた生き残りの騎兵を、主力の騎兵部隊が迎え撃ち、城壁からの弓兵が彼らを援護する。
作戦が決まると家臣たちは慌ただしく散っていった。
「出陣は夜明け前。早めに休んで、できるだけ眠っておいた方がいいですね」
ナイトハルトの言葉にキリアスは気乗りしない様子で頷いた。
「何か気になることでも?」
「おまえは妙だと思わないのか」
逆に問われ、ナイトハルトは鋭く微笑んだ。
「いいえ、むしろ当然だと思いますね。我々は囮を見せられているだけですよ。あんな少数で攻城戦を仕掛ける気など最初からあるわけない」
「やはり本隊は別だよな……」
「森の向こうはすでにフォリーシュの陣地だ。そっちに大規模な本隊が控えているに違いありません。問題は、それをいつ投入してくるか。本隊の到着前にあの先遣隊を破って森に防御柵でも造れればいいのですが。こちらの思惑どおり、敵が期限を設けたことで却って油断しててくれることを祈りますよ」
「報告した斥候の兵士なんだが……、ずいぶん顔色が悪かったと思わないか」
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