第13話

「神官長がおっしゃるには、あの恐ろしい闇夜の幾日か前、兄君が――国王陛下が宝珠を持って訪ねて来られたのだそうです。何でも、奇妙な道化師が王城に現れて宝珠を渡すよう迫ったとか。脅しに屈するわけではないが、どうも厭な予感がするのでしばらく預かってほしい、と」


「……なるほど。用心深かったのはエドゥアルド様だけではなかったようですね」


 ナイトハルトが独りごちる。キリアスは黙って眉根を寄せた。


「神官長はこれをキリアス様に差し上げたいと仰せです。いずれにせよ世界が大きく再編されるのは必定。イシュカもヴァストも、そういう意味では『滅びる』だろうと神官長はおっしゃいました。他の六国も同様だと」


「ジャリードの城は落ちてない」

「わたしには世界の行方はわかりません。ただ神官長はあなたに宝珠を託すと。宝珠をどうしようと、それはあなたがお決めになればいい、と」


 不機嫌に眉を逆立て、キリアスは吐き捨てた。


「要するに厄介払いしたいってことだろ。一方的に人に押しつけて自分は知らんぷりかよ。俗世のことには関心ないってか? 気楽なもんだな、お祈りだけしてしゃいいんだから」


 さすがにムッとした顔でギーゼラは言い返した。


「そんなことありません! 言ったでしょ、神殿には避難民が押し寄せてるんですよ。神官長だって彼らの面倒を見てるんです。最初はその中に死餓鬼に噛まれた人も混じってて、その人たちが亡くなって死餓鬼になって蘇って――。本当に皆、危ないところだったんですから!」


 怒りで浮かんだ薄い涙で瞳がキラキラと輝く。


「自分が王位につけばどうにかなるくらいなら、神官長だってとっくにそうしてます! 神官長はあなたを見込んで宝珠を託そうとなさったのに……」


「俺は家族の仇を討ちたいだけなんだよ! 妙な期待は迷惑だっ」


 キリアスは怒鳴り返すと部屋から出て行ってしまった。茫然とするギーゼラを見やり、ナイトハルトが溜息をつく。


「うーん。どうも後引いちゃってるようですねぇ」

「原因はおまえだろーが」


 カドルーがじろりと横目で睨む。


「あれでも一応主君だからな。あの方が天下を取ってくれたら安心して暇を貰えるんだが」

「自分が引退したいから若君に天下取れって? おまえ、そういう魂胆だったのかよ」


「……キリアス王子は竜と出会う宿命さだめだと、神官長が。だからわたし、あの方が八葉州の新しい皇帝になるのだとばかり……」


 肩を落としてギーゼラが呟く。彼女は掌に収めたイシュカの宝珠をしょんぼりと眺めた。


「竜と出会う宿命……?」


 アーシファにギーゼラは頷いた。ナイトハルトは肩をすくめた。


「ま、それが本当に宿命なら、どう足掻いてもいつかはそうなるでしょうよ。ともかく今のあの方は敵討ちで頭がいっぱいですからね」


 アーシファはハッと頭を巡らせると、慌ただしく部屋を飛び出していった。しかめっ面でぽりぽり頬を掻きながらカドルーがナイトハルトを窺う。


「ところであの盗賊夫婦、どうするよ?」

「他国者の我々に彼らを裁く権限はないが……、かといって野放しにするのも迷惑だな」


 しばし考え、ナイトハルトは人の悪い顔でニヤリとした。




 あちこち捜し回り、城壁の上でようやくキリアスの姿を見出してアーシファは安堵の息をついた。矢狭間の間から鬱蒼と繁る森を黙然と眺めている。黒衣の少年を半月がひっそりと照らしていた。


 アーシファは彼と並んで暗い森を眺めた。黒々とした森は呑み込まれそうに深い。アーシファは思わずキリアスの腕をぎゅっと抱え込んだ。そうしないと、彼が闇に飛び込んでしまいそうな気がした。


「……好きにしたらいいよ。復讐したいっていうキリアスの気持ちはよくわかるつもり。あたしだって、皆が大好きだった。大切な人たちだった。あたしにとってはキリアスたちが家族みたいなもんだから……。帝都に呼び戻されて、お父様もお母様も亡くなって。伏魔殿みたいな宮城に閉じ込められてる間、毎日ヴァストでの日々を思い出してた。ヴァストで過ごした八年は、本当に楽しかった」


 ふとキリアスがアーシファを見る。


「……おまえの両親も殺されたんだろ。仇を討とうとは思わなかったのか? 表向きは病死になってるけど、本当は毒殺されたんだって聞いたぞ」


「もちろん思ったよ。でも、疑わしい人は皆死んじゃったの。互いに殺し合ってね……。〈始祖の剣〉が失われてしまったんだから、帝位なんてもはや虚飾でしかないのに。そんなものを巡って血族同士で争って。馬鹿みたい。それともあたしたち、そうやって殺し合って滅びなきゃいけなかったのかなぁ?」


「馬鹿言え」


 泣き笑いの声を上げるアーシファの肩を、キリアスはぐいと引き寄せた。


「……お父様が皇帝になんかならなきゃよかったのに。そうすればきっとふたりとも死なないですんだ」

「おまえの親の仇も俺が取ってやる」


 アーシファは啜り泣きの合間に小さく噴き出した。


「どうやって? もう皆死んでるよ」


 押し黙るキリアスにもたれかかり、アーシファは囁いた。


「戦乱が終わって、誰もが安心して暮せる平和な世の中になったら。それがあたしの敵討ちになるのかもしれない。だからね、キリアス。それまで絶対死なないで。一緒に新しい世界を見よう」

「……ああ」


 低く確かな声でキリアスは答えた。月影に浮かぶ横顔は相変わらず厳しかったけれど、アーシファを不安にさせる絶望的に黒い翳が、わずかにせよ薄らいで見えたのだった。




 明くる払暁――。とある小さな都市の城門前に一台の荷馬車が止まっているのを城壁外に住まう人々が発見した。幌が外されて剥き出しになった荷台には、大きな鳥籠のようなものが置かれている。処刑されるほどではないが犯罪を犯した者が入れられる鉄製の吊り籠だった。これを城壁等から吊るして見せしめとするのである。


 鉄籠の中では縛り上げられた下着姿の男女が猿ぐつわを噛みしめ、屈辱で顔を真っ赤にしていた。荷台には『盗賊騎士モールドレット卿とその妻女』と大きく殴り書きされている。城壁外の人々は面白がって泥や腐った野菜を檻に投げ始めた。


 晒し台や吊り籠に入れられた人間に対しては物を投げたり唾や罵声を浴びせることが許されている。恥をかかせることが罰の目的だからだ。石を投げられても大きなものは檻で弾かれるので命の危険はない。


 騒ぎを聞きつけて役人が出てくる頃には、夫婦はすっかり汚物まみれになっていた。


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