第12話

「じゃあこんなことしてないで早く逃げようよ!」

「夜の移動は危険だ。せっかく招いてくれたんだから休ませてもらおう。俺が起きてるからおまえは少し寝ておけ」


「寝られるわけないでしょ!?」

「いつまでも起きてると怪しまれる。疲れて寝てしまったと思わせるんだ」


 アーシファはしぶしぶ寝台に横になった。いつでも飛び出せるように身支度は完全だ。矢筒を背負い、弓を抱えて暗闇に横たわっているうちに、強行軍の疲れが出て眠くなってくる。ついうとうとしてしまったアーシファは、激しい物音と女の金切り声で飛び起きた。


「アーシファ、灯をつけてくれ。大丈夫、こっちは取り押さえてる」


 キリアスの落ち着いた声に、急いでランプを灯す。床に押さえ込まれてぜえぜえ喘いでいるグウィネスの姿が浮かび上がった。やや険のある美しい顔を憎々しげにゆがめ、上目づかいに睨み付けている様は魔女のようだ。


 すぐ側の床には取り落としたらしい短剣が転がっている。殺すつもりで忍んできたのかとアーシファはゾッとした。


「カドルー、そっちはどうだ?」

「縛り上げてやりましたよ。姫君はご無事ですか」

「平気よ、何ともないわ」


 キリアスは隣の部屋――自分に割り当てられた部屋に女を放り出した。ランプの灯されたその部屋にはナイトハルトが腕組みをして待ち構えていた。寝台では丸めた毛布が上掛けを被っており、その上に深々と短剣が突き刺さっている。


 後ろ手に縛り上げられた盗賊夫婦は床に並んで座り込み、不貞腐れた顔でぶすっとしていた。この期に及んで言い繕う気はないようだが、何を訊かれても頑として答えない。


 動けないように手足を厳重に縛り上げ、猿ぐつわを噛ませたふたりを物置部屋に放り込むと、一行は城内を見て回った。


 ひっそりとして誰も出てくる気配がない。召使たちはそれぞれの部屋に閉じこもっているのだろう。見かけた給仕も小間使いも、一様に青ざめて生気のない顔をしていた。領主夫妻が怖いのではなく、死者が蘇って徘徊するこの世の中自体に怯えているのだ。


「警備の兵もいないね。一応領主なんだから、騎士や家士の数人は従えてるはずなのに」

「死餓鬼にやられたんだろ」

「そうだね」


 そっけないキリアスの答えに、アーシファは小声で呟いた。領主夫妻の部屋は豪華に飾りたてられていた。おそらくすべては盗品でまかなわれているのだろう。この状況では彼らの凶行を取り締まる者もいないやりたい放題だ。


 部屋という部屋に詰め込まれた贓品を調べていると、キリアスが急に顔色を変えて一振りの剣を取り上げた。


「これは……」

「どうしたの?」

「イシュカの神殿騎士の剣だ。柄頭と鍔の形からして間違いない」


 イシュカはネドラムとは反対側で国境を接する隣国である。ヴァスト王家とは昔から繋がりが強く、いち早く同盟を結んでいる。


「確かイシュカ王とキリアスとは従兄弟同士だったよね」

「ああ、叔母が嫁いだ。父のすぐ下の妹だ」


「エレオノーラ叔母様のお姉様ね?」

「そう。子どもをふたり産んで亡くなった。兄が王位を継ぎ、妹は神殿長になった」


「イシュカは八葉州でもとりわけ信仰の篤いお国柄ですからね。帝都の神殿にも神官や警備のための騎士を大勢出していた。争いを好まない国でしたが、それだけに乱れた世の中を憂えていたことでしょう」


 ナイトハルトの言葉にアーシファは頷いた。


「ハル。イシュカ王は亡くなったんだよな」

「落ち延びたという情報はありませんね。王城と運命を共にされたのでしょう」


「神殿は? 神殿も死餓鬼に襲われたのか」

「いや……、そういえば神殿が襲われたという話は聞かないな。そっちの情報は重視してなかったが、片手落ちだったか」


 ナイトハルトは思案顔で腕を組む。キリアスは手にした剣をじっと見つめた。


「じゃあ妹の方は生きてるのかも……」

「まさかあの夫婦! ひょっとして逃げてきた神官長を――」


 アーシファの悲鳴じみた叫びにキリアスは首を振った。


「神官長は任を解かれるまでは神殿から一歩も出ない。たぶん彼女は俺が生き延びたことを知って、自分が無事であることを知らせようとしたんだ」


「大いにありえますね。我々商人と同様、神殿にも独自の情報網がある。シャニーエにも小規模ながら神殿はありますし」


「きっと到着前にあたしたちが逃げ出しちゃったんだね。でも、どうして後から来てあたしたちより先にモールドレット卿に捕まっちゃうの?」

「そりゃ途中で追い抜かれたんでしょうよ。何せ我々は時々寄り道してましたからね」


 ちろりと皮肉含みのまなざしでナイトハルトはキリアスを眺める。


「……神殿騎士は金目のものなど持っていない。神殿で宿泊も食事もできるから、路銀だって最小限しかないはずだ」

「物入りなら神殿にツケとくこともできますよ」


 ナイトハルトが真面目くさった顔で商人らしいコメントをする。


「神殿騎士を殺したところで奪えるのはわずかな金と、武器、馬くらいだ。それより生かしておいて身代金を要求した方がずっと実入りがいい」

「確かに。神殿はまずもって捨て置いたりしませんからね」


 そこへ、他の部屋を点検して回っていたカドルーが息せき切って走ってきた。


「大変ですよ若君! 見てください、これ。まったくあいつら手癖が悪すぎる。いったいいつのまに盗み出したんだか……」


 カドルーが両掌で包むようにして持っているもの。それは半透明の黒い珠だった。


「〈竜の宝珠〉……!?」

「えっ、そんなはずないよ! だってあたし、ずっと持ってたもん」


 アーシファは慌てて矢筒を外し、底から布包みを取り出した。もちろんその中には〈竜の宝珠〉があった。キリアスはカドルーが持っている珠を手に取った。


「……こっちも本物だ」

「そ、そうなんスよ。触ったらあったかいし、鼓動みたいなのを感じるでしょ。てっきり姫君が持ってるやつが盗まれたに違いないと……」


「あたしだって用心してるよ!?」

「す、すいませんッ」


「イシュカの神殿が使者をたてたことはどうやら確実ですね」


 鋭い目でふたつの宝珠を見比べながらナイトハルトが呟く。キリアスは頷いた。


「捜そう」

「え? イシュカがどうしたんですか。つか若君、これどうすりゃいいんで!?」

「とりあえず持ってろ」

「勘弁してくださいよォ。これ持ってると落ち着かないんですよ。生き物みたいだし、何か赤ん坊でも持ってるみたいで」


「姉さんに子どもが生まれたときの練習だと思え」

「そんなー」


 やむなくカドルーは珠を適当な布でくるんで懐に入れ、探索に加わった。やがて地下牢の入り口が見つかり、その中には果たしてひとりの騎士が閉じ込められていたのである。




「――ありがとうございます」


 渡された水を飲み干し、騎士はホッと溜息をついて碗を戻した。晩餐を取った食堂で、アーシファはまじまじと騎士を見つめた。キリアスが肩を貸して地下牢から救い出した時には暗くてよくわからなかったが、それは若い女性だったのである。


 聞けばまだ十九歳だそうだが、少し翳のある美貌や落ち着いた物腰が醸しだす雰囲気のせいか、ずっと大人びて見えた。女騎士はギーゼラと名乗った。


 キリアスがヴァスト最後の王子だと聞かされると、ギーゼラは絶句してまじまじと彼を見つめた。


「イシュカの神官長は無事なのか? 俺は彼女の従兄弟なんだ」

「はい、聞いています。神官長はあなた様が生きておられることを知り、わたしに〈竜の宝珠〉を託されたのです。あなた様に渡してほしいと」


「何故俺に。これはイシュカ王家のものだろう。神官長はイシュカの姫君、還俗して女王として即位すればいい。宝珠があれば誰も文句は言わないよ」


「神官長は一族の方々をはじめ、戦乱で犠牲になった人々を供養していきたいと願っておられます。それに、神殿には大勢の人々が死餓鬼を恐れて避難してきています。その方々のお世話や、処分された死餓鬼の埋葬で……」


「神殿には死餓鬼は現れないのですか」


 ナイトハルトがふいに口を挟む。ギーゼラは戸惑った顔で頷いた。


「はい。遠巻きにうろうろしているだけで、一定の距離以上に近づいては来ません。日によってはだいぶ近くまで来ることもありますが、神殿の中には絶対に入りません。これも世界を見そなわす偉大なる竜のご加護です」


 組んだ手を胸に押し当て、ギーゼラは俯いて祈りをひとくさり呟いた。ナイトハルトは信心が薄いようで疑問顔だった。


「ところで、そもそもどうして〈竜の宝珠〉が神殿に? 王権の標なのだから王城になければ意味がない」


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