第11話
せめて彼ができるだけ死餓鬼と出会わないで済めば、と思う。そのためにも、遭遇確率が上がる夜までには宿に入りたい。
だが、その日もまた予定どおりには進まなかった。街道の真ん中に死体が散らばっていたのだ。遺体はいずれも斬殺されており、死餓鬼に喰われた形跡はなかった。
おそらく盗賊に襲われたのだろう。死餓鬼は死んだ人間には手を出さない。少なくとも、人間に殺されればおぞましい蘇生は免れる。
ナイトハルトの呼びかけに応じ、一行は馬を急かした。その途端、森の中から悲鳴が聞こえた。街道から細い道が分かれ出ていて、悲鳴はその先から聞こえている。
馬を止めたキリアスは、ものも言わずに脇道に飛び込んだ。当然のごとくカドルーが後に続く。
「……やれやれ。今夜は野宿かもしれませんね」
「しょうがないよ、放っとけないもん」
ナイトハルトのぼやきに肩をすくめ、アーシファはふたりの後を追った。
さほど街道から離れないうちに、騒ぎの源が見えてきた。幌をかけた荷馬車が一台、木立の中に突っ込んでいる。その周囲に、ぼろぼろの屍衣を半分朽ちた身体にまといつかせた死餓鬼が群れていた。
骸骨に近いものの中には、比較的新しい、まだ『死にたて』といった様子の死餓鬼も混じっている。
死餓鬼は『仲間』に対して何の関心も持たないが、集団でいたほうが生者を襲うのに都合がいいことは彼らにもわかるのだろう。自然と寄り集まって村から村へ、街から街へさまよい歩く。その歩みが止まるのは、四肢と首を切断された時だけだ。
幌馬車を背に剣を構えているのは一組の男女だった。まだ日は沈んではいないが、深い木立の中はかなり薄暗い。死餓鬼は昼間よりずっと活動的になっていた。しかも、運の悪いことに相当大きな群れだ。
辺りには男女が倒したとおぼしき死餓鬼の残骸が転がっている。それはまだ完全に息の根を断たれてはおらず、執念深く立ち上がろうともがいていた。
女は剣の扱いには慣れていないようだ。持っているのは素人にも比較的扱いやすい広刃の片手剣だが、死餓鬼を近づけまいと無茶苦茶に振り回しているだけだ。
キリアスは長剣を抜き放ち、馬で突進させた。
何体かの死餓鬼が腕を斬り飛ばされてよろめく。馬を返し、さらに上体にダメージを与えると、キリアスは馬から飛び下りた。まずは動きを封じるのが先決だ。
長剣を使った人間同士の戦いなら足を狙うのは反則だが、死餓鬼相手にそんな気遣いは無用だ。ともかく立ち上がれないようにすれば、それだけで被害は激減する。
追いついたカドルーが手順に沿って効率よく死餓鬼を解体してゆく。加勢を得て落ち着きを取り戻したか、男もまた剣を握り直すと目の前の死餓鬼に斬りかかった。
一体も逃すことなく処分し、キリアスは汚れた剣を拭って男に歩み寄った。
「ケガは?」
「大丈夫です。いや、助かった! かたじけない」
男は脱力している女の肩を抱き寄せた。
「お蔭で命拾いしました。私はモールドレット。これは私の妻でして」
「グウィネスと申します。あ、ありがとうございました……」
女は息も絶え絶えといった様子で夫の胸にもたれた。モールドレットは五十絡みだが妻の方はせいぜい二十代後半。ひょっとしたら後妻かもしれない。ふたりともよい身なりをしている。農民ではないだろうと思ったら、やはりこの辺りを治める小領主だった。
モールドレットはぜひとも自分の館で一泊していくように勧めた。
「次の宿駅に着く前に日が暮れてしまいますよ。また奴らが現れたら難儀だ。奴らは夜になると急に生き生きしますからな」
妻からも熱心に勧められ、一行は好意を受けることにした。野宿はできるだけ避けたいし、夜遅くなって宿駅に辿りつけたところで食堂の床で雑魚寝という仕儀になりかねない。
夫妻は死餓鬼の害を避けるため館に閉じこもって暮らしていたが、食糧が乏しくなったためやむなく市場のある街へ買い出しに行った。久しぶりに外に出たこともあってついつい長居をしてしまい、帰路あと少しで我が家というところで死餓鬼の群れに遭遇してしまったのだ。
「ヴァストもやっぱりこんな有り様ですか。まったくどうなってるのやら」
モールドレットはナイトハルトの説明を疑いもせず、キリアスがヴァストの地方貴族の若君だと信じたようだ。自分と同じような小貴族だと知って気が楽になったのか、彼は饒舌になり、しきりにキリアスを気の毒がった。
モールドレットの館はこぢんまりとしているが堅牢そうな城だった。城下の村はほとんど無人になってしまったという。墓から蘇った死者が村人を襲い、死餓鬼と化した人々は王城に押し寄せた。
「正直、こっちに来なくて助かりましたよ……」
食堂で一行をもてなしながらモールドレットは溜息をついた。
「あの闇夜――、死者たちは一斉に王城を目指した。国中から死人が押し寄せたんじゃ、王の軍隊だってとても無理だ。奴らは恐れず、怯まない。別に勇敢なわけじゃなくて、単に痛みも恐怖も、何にも感じてないんでしょうがね。でも、そんな奴らが大挙して押し寄せてきたら……。譬え戦いのイロハも知らないど素人だろうと、人海戦術って奴ですな。並の兵士じゃ、そんな化け物が後から後から現れたら逃げ出してしまいますよ」
「その後、彼らは村に戻ってきたのですか?」
ナイトハルトの問いにモールドレットは首を振った。
「いや、そのままさまよい歩いているみたいですな。どうにか逃げ出して城に駆け込んできた者たちを保護してやったんですが、その者たちは村へ戻って耕作しています。せいぜい以前の五分の一程度でしょうか。城で働いてもらってる人間もいるが、全員は置いておけないのでね」
何となくその口調に冷たさを感じ、アーシファはそっと領主を窺い見た。奥方のグウィネスもまた当然といった顔つきだ。グウィネスは豪華な晩餐用ドレスに着替えている。城の規模から察するにそう裕福な領主ではないようなのに、奥方の身なりは王族にひけを取らない。
食堂も広くはないけれど、壁を覆うタペストリーは高価そうな続き物だ。食器や燭台などの銀器も値打ち物のようだった。煙の少ない上等な蝋燭が惜しげもなく使われている。流通が悪くなってるから、どこでも節約ムードなのに……。
(勘繰っちゃいけないわ。きっとあたしたちを歓迎してくれてるのよ)
アーシファは思い直した。キリアスの従姉妹だということになっているアーシファに、奥方はあれこれと話しかけてくる。当たり障りなく受け答えをしながら、アーシファは何だかひどく落ち着かなかった。
食事の後、ひとりひとりに割り当てられた小部屋に引き取って寝ようとしていると、キリアスが現れた。
「俺もここで休む」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待ってよ。あたしたち、まだそーゆー仲じゃ……」
「馬鹿。あいつら怪しいんだよ。絶対何か企んでる」
キリアスが憮然と吐き捨てる。
「モールドレット卿のこと?」
「女房もだ。あいつ、おまえの身につけた宝石を物欲しそうにじろじろ見てたぞ」
アーシファはびっくりして両腕に嵌めた腕輪を眺めた。領民に対するモールドレットの冷やかな態度に気を取られて気付かなかった。
「目立たないようにしてたんだけどな……」
結婚式をすっぽかして宮城を飛び出す際、いざという時のために価値のありそうな宝飾品を身につけて来たのだ。腕輪は袖で隠し、首飾りはスカーフを巻きつけていたのだが、食事を取っている間にちらちら見えてしまったのかもしれない。
「でも……、宝石好きな女の人って多いよ? じろじろ見たからって盗むつもりだなんて決めつけるのは……」
「あいつらの乗ってた幌馬車な。あれ、あいつらのじゃないぞ。ハルが言ってた。あれは何とかいう商人の交易用馬車だってさ。盗まれた時の用心に、目立たないようにマークがついてるそうだ」
「貸したのかもしれないじゃない。荷物が多くて運ぶのが大変だったとか」
「だったら持って帰るために商人が同乗してるはずだ。それに、今日の昼間、路上で死体を見ただろ? 剣で殺られてほとんど身ぐるみはがれてた」
「う、うん。あの人たち、商人だったんだよね。ずいぶん熱心にハルが調べてた」
「あの死体が身につけてた通行証は、幌馬車にマークのついてる交易商に属するものだそうだ。どういうことか、わかるよな?」
カクカクとアーシファは頷いた。
「で、でも、あの人たち領主なんでしょ。何でそんな……」
「盗賊騎士は前からいたさ。ましてやこんな混乱状態では村からの租税はほとんど上がらないのは目に見えてる。たぶん、以前から街道上で難癖をつけては金品を強奪してたんじゃないか。だいぶん手慣れてる気がする」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます