第10話

「それがダロムにあるの……!?」

「実は以前から王命によりひそかに探していたのです。今から十二年前──アーシファ姫、あなたが母君とともにヴァスト王家に身を寄せた、その時からずっと」

 言葉をなくすアーシファに向かってナイトハルトは静かに頷いた。

「帝位についたあなたの父君は、信頼していたヴァストの先王に剣の探索を依頼された。〈始祖の剣〉がなければ帝位は有名無実。先王の死後はアルフレート王の指示で探索は続行された。十年以上かかって八葉州全土を探索し、ようやくそれらしきものが発見できたというわけです。それがヴァストからそう遠くない場所だったのは何とも皮肉ですが」

「その、ダロムの古い神殿に〈始祖の剣〉があるんだ……」

 アーシファは感極まった様子で呟き、目を輝かせて振り向いた。

「キリアス! 剣を取りに行こう。〈始祖の剣〉を持っていれば帝位を主張できる。たとえフォリーシュ王が全部の宝珠を手に入れたとしても対抗できるはず。そうでしょ? ハル」

「宝珠は王権の証。〈始祖の剣〉は帝位の証。剣の方が威光はあるでしょうね」

「宝珠だって一個持ってるんだし。ね、キリアス。剣を手に入れれば断然有利だよ」

「確かに味方は集めやすくなるな……」

 それまで黙って聞いていたカドルーが顎を撫でてひとりごちる。アーシファは大きく頷き、期待に満ちたまなざしをキリアスに向けた。

「ねっ? ダロムで剣を探そうよ」

「やだね」

 にべもない答えにアーシファはぽかんとした。キリアスは不機嫌な顔でそっぽを向く。ついでに馬の向きまで変えた。

「何で!?」

「興味ない。別に俺、皇帝になりたいとか思ったことないし。今だって思ってない」

「王の意向を継ぐ気はないと?」

 ナイトハルトの声に、キリアスは鬱然と振り向いた。

「兄上が帝位を目指してたんなら別に文句はないさ。兄上には充分その力量があっただろう。だが、俺はごめんこうむる。俺には向かない。皇帝なんてしち面倒くさいだけだ」

「ちょっと! どこ行くのよ」

「俺はジャリードへ行く。あそこが唯一生き延びた王国なら、フォリーシュは絶対また攻めてくる。きっとギドウも現れるはずだ」

「キリアス……」

「帝位なんか知るか。俺は兄上たち三人──いや、四人だ。義姉上のお腹には……」

 キリアスは爪が食い込むほど強く手綱を握りしめた。声をなくすアーシファには見向きもせず、彼は馬を進めた。

「俺はただ家族の仇を取りたいだけだ。そんなに剣がほしけりゃ勝手に取りに行け。なりたい奴が皇帝になればいいさ。何ならアーシファ、おまえが女帝になれば」

「冗談でしょ、剣は皇家を見限って出てったのよ。うちはもうおしまい。役目は終わったと思ってる。それに竜帝は男でしょ、あたしは女だから最初から除外だよ」

 慌てて馬を並べながらアーシファは言った。

「らしくもない。何かっつーと男女差別だ、不公平だーってわめくくせに」

「それとこれとは話が別! あたしは古い皇家の最後を看取る者。そういう役目だと思ってる。だから新しい皇家の最初にはなれないし、ならない。世界はきっと新しい竜帝を必要としてる」

「だったらハル、おまえがなれよ」

「私は陰から操るほうが好みですねぇ。何せ根が陰険なので」

 澄ました顔で美青年はうそぶく。憮然としたキリアスの視線を受け、カドルーは慌てて首を振った。

「いや! 俺は遠慮します。そんな器じゃないのは自分でよーくわかってるし! 若君が皇帝になるってんなら俺、そりゃもう目一杯働かせてもらいますけどっ」

「だからならねぇって!」

 怒鳴ったキリアスは憤然と馬の腹を蹴った。ちらっと大人ふたりを見やり、アーシファはキリアスを追って走り出した。カドルーはがりがりと頭を掻いた。

「実は意外と向いてるんじゃないかと思ったりするんだけどなぁ」

「そうか? 甘やかされた末っ子だろう」

「確かに甘っちょろいところはあるけど、甘ったれともちょっと違うんだよなー。おもり役をしたのはほんの数回だけど、手を焼かされた覚えもないし。むしろあんまり人には頼らん人だと思う」

「自分勝手なのはよーくわかった」

 あくまでナイトハルトは手厳しい。カドルーは肩をすくめた。

「まっすぐなんだよ。おまえみたいにひねくれてないんだ。──ともかく俺はあっちに行くぜ。あのふたりだけじゃ、どうにも危なっかしくて放っとけない」

「ま、あれでも一応主君だからな。やむを得まい」

 わざとらしく大きな溜息をつきながらも、結構楽しそうな目つきでナイトハルトはカドゥルーに続いて馬に踵を当てた。



 ジャリードへ続く街道を進み始めて何日か過ぎた。すでにヴァストを出て、隣のネドラムへ入ってる。ジャリードはさらにその先だ。

 街道で出会った人々や旅籠で拾った情報によれば、ネドラムも他国同様の混乱に見舞われているらしかった。死者が蘇り、死餓鬼となって徘徊している。王家の宝珠は奪われて王族は全滅、火を放たれて王城は廃墟と化した。

 王軍は壊滅状態で、王に直接臣従していた農民たちは死餓鬼の襲来に対して鍬や鋤をもって自衛するしかない。全員が死餓鬼と化した村も多くあるという。各領主は自分の館に立て籠もって戦々恐々とし、領民の面倒を見るどころではない。

 都市は原則的に城門を閉ざすようになり、早朝と昼、市場が開く時と終わる時しか出入りできなくなった。農産物などは近隣の村から来るから、完全に閉ざしてしまうわけにもいかないのだ。

 盗賊の横行も激しくなっている。食い詰めた農民や主君を失った兵士は略奪に走り、死餓鬼に襲われている人を見ても助けるどころか陰で見ているだけ。

 死餓鬼は生きた人間を喰うことにしか関心がない。持ち物はそっくりそのまま残される。死餓鬼が去ると、彼らは先を争って荷物を奪った。時には死餓鬼となって蘇った死体に襲われることもあるという。そしてまた死餓鬼の数が増す。

 交易商人は自衛のため大規模な隊列を組むようになり、効率が悪くなったため各国の物資補給も停滞している。ナイトハルトの予測どおり、各国の商館は在庫商品ともども都市参事会によって差し押さえられていた。

 ここまでの道々、野宿すれば生者の匂いを嗅ぎつけた死餓鬼に必ず襲われた。そういうご時世だけに大抵の旅籠は満室であっても泊めてくれた。床に雑魚寝でも壁に囲まれた場所で休めるだけでずいぶん気が楽だった。

 街道を進む間も頻々と死餓鬼に遭遇した。もはや彼らはどこにでもいた。元々人間は死者に囲まれて生きていたのだ。彼らが墓の下で眠っている限り生者と死者の世界が混じり合うとはなかったが、今や安らぎのない死が生を凌駕しようとしている。

 ナイトハルトはどうせジャリードを目指すならさっさと行きたがったが、死餓鬼騒動にぶつかるたびにキリアスが首を突っ込むものだからなかなか進まない。時には逃げてきた住人に頼まれて街道を外れた村まで駆除しに行くこともあった。

 死餓鬼の始末も今ではすっかり手慣れたものだ。まず手足を切断して動きを封じ、最後に首を刎ねる。それが一番安全確実なやり方であることは、すでに共通認識になっている。

 淡々と無表情に死餓鬼を葬るキリアスの姿に、アーシファは胸が詰まった。彼の黒い瞳はいつも底なしの闇を見つめているようだった。

 傾いた太陽が森の梢にかかる頃、一行は街道を早足で進んでいた。

「急ぎましょう。次の宿駅に着くまでに日が暮れてしまう」

 先頭を行くナイトハルトが振り向いて呼びかけた。

 死餓鬼は夜になると動きが活発になる。彼らには眠りも休息も必要なく、昼も夜もふらふらと徘徊している。昼は動きが大変鈍いため、逃げるのも始末するのも比較的容易だ。

 ところが日が完全に沈むと水を得た魚のようにすばしこく動き始める。尋常でないスピードで動き回り、時には蛙のように跳躍する。視覚よりも匂いで相手を識別しているため、暗闇で戦うのは非常に厄介だ。

 たとえ誰かを襲っていなくても、死餓鬼と遭遇したらキリアスは放ってはおかなかった。放置すればいずれ誰かが襲われる。生前の人格を取り戻す望みはないのだから、悲惨な彷徨から解放してやる方がいい。

 決して口には出さないけれど、キリアスはきっとそう考えているのだろうとアーシファは思っている。

 叔母の住む離宮で死餓鬼と化した家士を自ら『始末』した時、キリアスは長い間剣を握りしめたまま彼の遺体を黙って見下ろしていた。

 切断された彼の身体を埋葬するのも人に任せず自分でやった。家士愛用の剣を墓標代わりに突き立てた前で、彼は長いこと立ち尽くしていた。

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