第六話:畔河~閑職の傍矛~

  佞邪ねいじゃ救国政府 畔河はんが政権 畔河 政庁 仮設調練場


 ――畔河。京賀国からはほぼ真南に位置する地。

 現在は畔河政権の首都みやこにして、同地周辺の中心地。


 古来から石炭と石灰石の産地であり、資源面で同地を統治する諸政権を支えてきた。

 現在、長年の戦乱により石炭産業は衰退。それでも最盛期の遺産は受け継がれている。

 現地の有力な行政機関(政庁)も、その一つである。



「ハッ、ハッ……ハッックション!!」

 その頃、畔河政権の政庁では、一人の男がくしゃみをしていた。

 きっと、何所どこかで誰かが彼のことを噂してくれていたのだろう。悪い意味で……。



 この男こそ、猛己もうきの長男――である『撞建傍矛しゅけんぼうむ』という者。

 氏が『しゅ』、名は『けん』、あざなが『傍矛ぼうむ』である。

 ちなみに、旧名は『亜津志あつし』というそうだ……。



 筋骨隆々だが、何をやるにしてもやる気のない顔からは頼りない感が否めない。

 実際に“意気地いくじ”もなければ、“勇気”もない奴で、「戦場において、論外な奴」というレッテルを張られても、仕方のない男である……。


 父である猛己からも「長男こいつは全く使いもんにならねえ!」と、後継者としては「落第点」と評価され、見放されてしまった始末……。家督も弟が継承する予定。


 それ故に傍矛は今、父から“畔河の留守”と“自軍の訓練の監督”を任されている。

 両方とも猛己から重要視されていないかん職であった……。



「はぁ~っ! 暇だな~っ!」と数多あまたの愚痴や独り言を吐きながらも……。

「くそ~! あいつら、俺を馬鹿にしやがって……」と怒りに満ちた不満を口にする傍矛。

 傍矛かれは持参してきた徳利とっくりの中の酒を猪口ちょこに移した。

 そして――グイッ! と猪口に移された酒を一気に飲み干して……。

「はあ~」と大きく溜め息を吐いた。しかし、その息には無気力しか込められていない……。



 政務の面も強い『畔河の留守』において、その一切は部下達したが全てを遂行しやってくれる。いや、正確に言えば――やらせてくれない。無論、一切……。


 傍矛かれが何かしらの意見や提案をするたびに、苦い顔をするのだ。

 誰も皆、出来損ないを見下すような目で傍矛おのれを……。

 いや、害虫を見るような目だったかもしれない……。


 おかげで、政務への関心が――皆無パーってしまった……。

 今の傍矛は、報告を聴いて責任を一身に背負うだけの“人形”と評しても過言ではない。

 一応、部下達は“質問”には苦い顔をせずに答えてくれるので、そこだけが救い……。



「こんなの見ても、つまんねえよ……。見ても何も思い付かねーし。

 そもそもなんで、野郎共が汗を流しているところを見なきゃいけねーんだよ……」

 軍務の面が強い『自軍の訓練の監督』においては、ただ各隊(中隊規模)の隊長達が兵達を訓練しているところを、延々と見るだけ……。正直、むさ苦しいだけである……。



 しかも、隊長達の必死さが伝わっているのか、兵が必死に汗を掻いて訓練している。

 それ故に、『むさ苦しさ』に拍車が掛かってしまっている……。

 ここまでくると、酒に酔って――それらを忘れることさえできない……。



 何しろ……猛己が畔河を出撃する直前に各隊の隊長達に向かって、こう恐喝した故に。

「いいな、真面まともな兵に仕上げなかったら、即で粛清ころしてやるからな!」


 その時の猛己の剣幕におののいた隊長達が必死になるのは無理もない。



「それにしても……親父も無茶をするにも程があるぜ……」と独白する傍矛。

 現在、猛己は自身の親衛隊と工兵隊の計二個隊四百名のみを率いて、自軍の約二倍の兵力を誇る対立勢力――過穀かこく政権を攻めている最中である。

 出撃前に猛己は傍矛に向かって、「戦いは“数”じゃねえ! “質”だ!」と豪語していたが、『質』に関しては敵も同等のレベル以上のはず……。


 それほどまでに、過穀政権側の兵は訓練されている。

 そのことは、まだ過穀と畔河に分裂していない頃の佞邪救国政府の時代に、次席として軍の訓練をも担当していた猛己自身が一番よく分かっているはずだが……。

 猛己かれは既に戦いは『数』で決まる次元と化している現実から目を逸らしている。



「まっ、大丈夫か。だって、すんげえデカい猪を片手で仕留めちまうくらいだもんな。

 今頃、過穀政権むこうの奴らをしてる真っ最中かもな……」

 この時の傍矛は知る由もなかったが、猛己は既に過穀てきの政庁を落としていた!



 猛己が率いる部隊は、今日の早朝(午前六時頃)からここ畔河の政庁を出発して、先発隊である親衛隊が過穀政権の領域に侵入、それから防衛線を次々と突破し続けて一時間後、過穀てきの政庁を落としての現在いま(午前九時頃)に至る……。



 話を現在いまの畔河に戻そう。

「おい、こら! 何休んでんだ! 親父が帰ってきたら、粛清だぞ! 粛清!」

 訓練後に休憩をしている兵隊たちに向かって、怒鳴どなる傍矛。

 彼が頼まれた『自軍の練兵の監督』における『自軍』とは、増援用の“そう兵隊”と過穀の南部に位置する釜穀ふこくを攻めるための“南征隊”の両隊を表している。


 ちなみに、その期限は僅か三日。しかも、南征隊は訓練は今日から始めたばかり。

 素人が考えても無謀としか言いようがない。最低でも一週間は欲しいのに……。



 そんな焦りに焦っている傍矛かれに向かって、槍兵隊の隊長が――

「まぁ、まぁ、同志。彼らを休ませてください。休ませなければ、訓練を続けられません!

 それに同志主席(猛己)はすぐには帰って来れません! 焦らなくてもよいのでは?」となだめる。まるで駄々をこねる子供をあやすような感覚で……。


 すると目からうろこが落ちた傍矛の顔から、瞬時に笑みが浮かんで――

「それもそうだな……。“鬼(もちろん、猛己のこと)”の居ぬ間に、俺も休むか!」


 それ以降、傍矛は休みに休んで両隊の訓練には全く口を出さなくなったそうな……。

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