第四話:鉄面姫

時狼じろう! そろそろ、ここに宰相殿下が来られる頃だろう。

 部屋を出て控えてるほうがいいかもしれんぞ……」と時狼に命令する貴狼きろう


 いつまでも落ち込んでいるわけにはいかないと思ったのだろうか……。

 ――話を宰相のほう移行シフトすることで、暗く重たい部屋内の空気を打破するきっかけをつくろうとしている。と鋒陰ほういんは推測した。


 どうも、三義兄弟きょうだいの身の上話は、彼ら自身にとって“腫物”以外の何物でもないようだ。陽玄も幼いながらも、この点だけは赤子の頃から本能で察していた。


 そんな貴狼かれの意図を察し、このきっかけに応じることにした時狼――

「では、私めはそろそろ……」と立ち上がって、部屋内の障子に近づいていく。



 丁度、彼の手がその障子に掛かった時である。突然、その外から「殿下あぁぁっ!!」という声が障子を貫いて響いてきたのだ。これと並行して、「ドタッ、ドタッ」という足音から、彼が走っている最中であることが容易に分かった!



「これは、殿下!」とこの声の主が件の宰相殿下であることに気付いた時狼。

 その宰相殿下ものの「ドタッ、ドタッ!」という足音が段々大きくなっていくことから、彼が間もなくこの部屋に来ることは容易に察した。


 そんな時狼が「どうぞ!」と障子を開けて部屋を出ると――

「ぶげぃっ!!」と呻いて床に倒れてしまった。


 その片足は死にかけの害虫のごとく「ピクピク」と痙攣けいれんしている。

 どうやら何かに「ドカッ!!」とぶつかってしまったようだ……。



「これは宮宰(侍従長)殿! その……殿下をお待たせして――誠に申し訳ない!」

 入室直前に時狼に謝している美少年こそ――陽玄の父方の叔父にして京賀国宰相。

 氏が『』、名は『おん』、あざなが『月清げっしん』という者。

 現在、彼は十六歳にして妻子持ち。ウェーブのかかった銀長髪の優男である。


 今の彼の肩には、長くて太い巻物が抱えられている。その正体は京賀国一帯の地図。

 その長さ――大雑把に見積もって、二メートル弱といったところか。

 そしてこれが先程、時狼にぶつかった凶器もの

 それが時狼に当たったのは――まぁ、ある意味おいしい事故ことか。


 実際に、それを目撃した鋒陰ほういんは「くすくす」とほくそ笑んでいる。



「いえいえ、宰相殿下……! ささっ……此方こちらに……!」

 倒れたままの時狼に促されて、「ですが……」と戸惑う月清。

 そんな月清かれに貴狼は「構いませんぞ、殿下! 早くこちらに」と催促。


 これと並行して、紫狼しろうがやや乱暴ながら――

「そろそろ、起きろ!」と時狼を部屋に回収していく。


 これを受けて「しっ、失礼致します!」と気まずく入室していく月清。

 そんな月清に陽玄がやや嬉々として、「叔父上!」と声をかけた。


 この時の陽玄の顔には緊張の糸が切れたのだろう、屈託のない可愛げな笑顔が浮かび上がっている。これが彼の本性かつ私的用笑顔プライベートモードである。


 この笑顔は彼が自身の身内や親しくしている者等に対して、頻繁に見せるものである。

 特に彼の叔父の月清は、陽玄の両親が旅に出て不在中に、陽玄の父親代わりを務めている者達の内の一人で、陽玄が心許せる者達の一人でもある。



「これは、殿下! 宰相の身で殿下を御待たせしてしまい、滅相も御座いません!」

 しかし、陽玄の笑顔も、この月清の謝罪で現実に引き戻されてしまう。

 これには陽玄の笑顔が、一瞬とはいえ残念そうな顔になってしまう。


 無論、君主の責務を自覚しているので「詫びはよい宰相! 用件を申せ!」という命令と共に、可愛げがありながらも凛々しい顔つきに戻る。

 この部屋で第一声の「天下を取る!」の時と同様のものだ。


 この顔が、彼の公的用鉄面パブリックモードである

 基本、自国民とはこの顔で接することが多いので、彼らの内の大多数からは「鉄面姫てつめんき様」や「鉄の御姫様人形」と慕われている。

 もちろん、彼らの内の残りの少数は、陽玄の笑顔を見たことがあり、その事実を先の大多数の者に話しかけるのだが、話しかけられた側にはその事実を信じない者も少なくない。



「ははぁっ! 遂に逆賊共――『佞邪ねいじゃ救国政府』が割れました!」

 陽玄の命令に応じて答えた月清。この答えを聞いた陽玄が貴狼に目で合図を送る。


 貴狼はその合図に応じて、主君の陽玄に代わり、ここから先の話を進めていく。

「それで殿下、割れた方の賊共は何所いずこに本拠を?」

「はい摂政閣下! 元々の『佞邪救国政府やつら』の本拠地である『過穀かこく』の東部に位置する、『畔河はんが』という地です!」と月清は地図を広げた。

「――して、その『畔河』にいる賊共の首領の名は? 

 付け加えて、賊共は自らを何と呼称しているか?」

「『撞岩猛己しゅがんもうき』という者です!

 猛己やつに率いられる賊は自らを“正当な”『佞邪救国政府』と名乗っています!」

 この月清の返答に、紫狼が「あの猛将ですか……!」と少し焦る。


 彼の反応から、この『猛己』という者は、京賀国にとって非常に厄介な存在のようだ。

 時狼に至っては、「あわわわわ……!」と恐怖している!

 また『猛己』のことを最初に口にした月清自身でさえも、その顔に“焦りと恐怖が混ざった色”が滲みだしている。勇気だけが辛うじて、その内心のふたとなっている。



 京賀国の重臣らがこのように少なからず動揺している部屋内。

 陽玄も自身の小さな手もかすかに震えている。


 動揺していないのは、不思議そうに首を傾けている鋒陰ほういんと、京賀この国の重臣として何か企んでいるように不敵に笑っている貴狼のみ。



「殿下! これより以後、元から『過穀』に本拠地を置いている『佞邪救国政府』を“過穀政権”、『畔河』に本拠地を置いている『佞邪救国政府』を“畔河政権”と呼称致したく存じますが……?」と何食わぬ顔に戻して話を進めていく貴狼。


 この貴狼の言動に――何か策がある故の自身の表れか……! と感じた陽玄。

 直後、陽玄かれは手の震えを抑えて、取り乱さずに「構わんぞ、摂政!」と続ける。

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