第16話15.奇妙な同居人 2

 あくる日、ユーフェミアはゼライドの車で郊外の研究所へと出勤した。

 彼の車は、フリーウェイから直接乗り入れられる研究所の第一ゲートまでの通過を認めて貰えたので、ユーフェミアを下ろすのは、各セクションごとに必ず設けられている敷地内の第二ゲートの門前である。

 第二ゲートは、第一ゲートよりも通過できる人間が極端に少ないので、第一ゲートよりこちらの方が目立ちにくい。何気ない場所に車を止めて歩く道を選べば、殆ど人目に触れずに屋内に入れる。

 しかし、今日は余り運に恵まれなかったらしい。

 同じ研究室の先輩、ソニア・マルセルが夜勤明けに、車から下りてくるユーフェミアを見かけてしまったのだ。そしてユーフェミアがドアを閉める直前、一瞬だけ見えた運転席に座る男の横顔にたちまち興味を持ったのだ。

「ねぇねぇ、ミアってば、あのひとは誰? 恋人なの? 一緒に来たのはどうして? 彼の部屋に泊まったの?」

 ソニアはやにわに好奇心むき出しで喋り書けてきた。

「まぁソニア、おはようの挨拶もなしなの?  あなた今から帰る所じゃなかったの? ってか、いつもは正面から出るのに今日に限ってなんでこんなとこから出てきたの?」

「そんなの私の勝手でしょ? ちょっと裏から出たかったのよ、いいじゃなの。こっちでコーヒーでも飲まない? 奢ってあげるから聞かせて!」

 ユーフェミアの追求をうまくはぐらかせたソニアは、ユーフェミアとはタイプの違う長身の金髪美人の同僚である。彼女より、二年早くラボに入っている先輩であった。

 ——うへぇ~~

 ユーフェミアはこっそり溜息をついた。

 ソニアは普段なら夜勤明けならさっさと帰るタイプの人間だ。優秀な研究者のソニアだが、性格はかなり横柄で自信家なのである。そして、ユーフェミアはこのタイプの女性に徹底的に嫌われる。

 だが、振り切ることもしかねてユーフェミアは仕方なく、終日営業の無人のカフェでコーヒーにつき合う事にした。直ぐ飲み干せるに適した冷たいものを選ぶ。

「で、誰なの彼は?」

 ソニアは早速身を乗り出した。

「家の都合でお世話になっている人」

 ーー嘘はついていないわよ。

「へぇ。どう言う関係? あっあんた、昨日休んでたわよねぇ。もしかして彼が理由」

「それはそうだけど……関係は雇用と被雇用……かな?」

 ユーフェミアは正直に答えた。

「お互いの都合の為に一緒に住んでいるの。でもこれ以上は聞かないで欲しいんだけど」

 断固とした言い方に、ソニアはむっとしたらしい。ユーフェミアはかまわずに冷たいコーヒーを一気に飲み干す。席を立たれる気配を察したソニアはすぐさま攻勢に出てきた。

「恋人とかじゃないのね?」

「じゃないわよ。でも、彼にちょっかいをかけないでね。そう言うのすごく嫌いな人だから!」

 言葉尻が喧嘩腰になってしまい、いつもの事だがユーフェミアは自分の軽率さにうんざりした。これで当分の間ソニアに嫌がらせをされるだろう。早くこの場をきりぬけないといけないと思い「ごちそう様」と席を立ったが、ソニアは廊下を追いすがってしつこく彼女に絡んでくる。

「ふぅ~ん。よくわからないけど。ねぇ、恋人じゃないんだったら私に彼を紹介してくれない? あなたからだったらいいでしょ?」

「しないわ。っていうか、できない。そう言う干渉はしたくないし、しない約束なの。ゼルとそう決めたの」

「ゼルって言うの? 彼。変わった名前ね」

「通称らしいけど」

 ほんの少しの優越感を感じながらユーフェミアは言った。言ってしまってから、急速に自己嫌悪に陥る。禁じられた訳ではないが、通称とは言え、ゼライドの名前をこんなにも早く明かしてしまった。

「へぇ~、本名は?」

「知らない」

 嘘が苦手なユーフェミアは表情が出ないように気をつけながら言った。

「まぁ、ガードが堅いのね? 取られちゃうのがそんなに心配?」

「本当に知らないのよ」

 ーー私が知っているのは名前と彼の種族くらいなんだから。

「あなたが紹介してくれないなら、私から声をかけるのは勝手だわよね?」

「……え」

 さっき言った事はなんだったのか。攻め気すぎるソニアに何と言おうかユーフェミアが考えていると、後ろからぽんと肩を叩かれる。

「二人ともおはよう」

 ソニアの同期のロナウド・ガルシアだった。彼も出勤して来たらしく、既に室内着に着替えている。

「あらロン、お早う」

「ソニア。君、朝から戦闘意欲満々で、ちょっと怖いよ。ってゆーか、さっさと帰りなよ。普段は後も見ないで帰るだろ?」

「なによ、ロン。仮眠をとってから、帰る事にしただけよ」

「今日は彼氏のお迎えは無いのかい? ていうか、ちょっと前までお楽しみだったんじゃないのかい?」

「そんなことないわよ。ほっといて頂戴!」

「そりゃ失礼。で、さっきの話だけどさ。本当かい? ミアみたいに可愛い子に彼氏ができたんなら、僕が困るじゃないか」

「じゃよかったわね。彼氏じゃないって」

「ミア、ほんとうかい……って、あらら、行っちまった。おやおや、ものすごい勢いだ。残念だったねぇ、ソニア」

「うるさいわよ!」

 ソニアは悔しそうに、足早に去っていくユーフェミアを見送った。


 広大な第一ゲート内には色々な研究施設や実験場が点在している。

 それらの規模は様々だが、第二ゲートがあるような大きなゾーンは、各々かなり離れて立地している。ユーフェミア達がいるのはその内の一つ、実用動植物研究セクションである。

 内部は細かく専門別に棟が分かれていて、それぞれ渡り廊下でつながる構造だ。廊下の片側にはムービングロードが備え付けられてるが、ユーフェミアは余りそれを利用しない。同僚二人が当然のようにそれに乗るのを見送り、ユーフェミアは脇の歩行用の廊下を駆け足で進んだ。

 ——まったくソニアったら、ちょっといい男だと見たらこうだもの。嫌になるわ。

 研究者と言っても、昔の専門職のように研究だけに打ち込む者は少なく、若い連中は割合開放的である。勤務時間にはドライで、自分の仕事が終わればさっさと帰ってしまう者も多い。男好きのする容貌のユーフェミアを誘おうとする若い研究者は結構いて、そしてそれを苦々しく感じている同性の同僚も幾人か。どちらも仕事とプライベートを切り離したい彼女には、はなはだ迷惑な話だった。

 ロッカー室で上下揃いの研究服に着替えて、キャップを付けるとやっとモードが切り替わる。グラスも無論つけていて、この姿をゼライドに見てほしいとちらりと思った。

 ——こうすればそんなに馬鹿には見えないかも。

 彼は今頃何処に向かっているのだろう? 考えても仕方のない事なので、ユーフェミアは自分のラボに向かう。そこには既に忙しく皆が立ち働いていた。

「おはよう」

 室長のクロイツ・バルハルトが直ぐにユーフェミアを見つけて声をかける。彼は大変感覚が鋭く、真後ろから近づいても、その人物が誰か当てられるので有名なのである。

「おはようございます。バルハルト室長、昨日は急に休んて済みませんでした」

「いやいや、連絡が来たからね。詳しい事は聞いてはいないが、なんだか大変だったようだね」

「ええ、少し……」

 ユーフェミアはどう応えていいのか少し困った。ごまかすことは苦手なのである。バルハルトの薄茶の瞳には気がかりそうな色が浮かんでいる。彼は本当に心配したようだった。

「君のようなきれいで若い女性は、本当に慎重に行動しなければ」

「姉よりは普通なつもりんですけどもね」

 彼女が市長の妹と知っているのは、研究所の総責任者であるムラカミ所長と、直属の上司であるバルハルトだけである。ムラカミはエリカから妹を託され、ユーフェミアの希望通りの部署に配属した。そこに次期所長の噂も高い敏腕のバルハルトはいたのである。研究者としてのバルハルトの専門は菌類だそうだが、現在は研究者としてよりも、管理者として実用動植物セクションを統率している。植物と動物が同時に扱えるこの部署は、ユーフェミアのたっての希望であった。本人は地道に実績を上げているつもりだが、最初はやや特別扱いだったのである。

「ははは! そりゃ確かに。けど気をつけたまえ。お姉さん絡みではなく、君みたいな女性を狙う悪い奴らはどこにでもいるからね……無頼漢に襲われたんだって?」

 バルハルトは声を落として聞いてきた。まさかそこまで彼が知っているとは思わなかったユーフェミアは、少なからず驚いた。エリカが話したのだろうか。

「姉から聞いたんですか?」

「間接的に、簡単にね。だが、あの夜気づいたら君がいなかったので誰かに尋ねたら、どうやら帰ってしまったと聞いて大変驚いたのだよ。確か宿泊棟に利用届けを出していたはずだったろう? 後から無事だと聞いてほっとしたが」

 あの夜は夜行花の開花を見届けたユーフェミアは、感動のあまりじっとしていられず官舎に戻るふりをして車を飛ばして帰ってしまったのだ。誰も自分を気にするとは思わなかったからだ。

だが、バルハルトに気づかれていたとは今まで知らなかった。襲われた事は内密になっている筈だ。

「すみませんでした……もしかして今日から通勤に送迎がつくことも御存じなのですか?」

「ああ……それはボディーガードと同じなのだろう? それは信頼できる人物なのかな?」

「ええ、とっても」

「そうか……でも、くれぐれも気をつけたまえ」

「はい。ありがとうございます。軽率だったと反省しています。でも彼がいるから多分もう大丈夫です」

 ユーフェミアはしっかりと答えた。だが、バルハルトの顔はあまり晴れていない。

「君は人を信用しすぎるよ」

 彼は首を振りながら、ユーフェミアの肩に手を置いた。その手はとても暖かく、ユーフェミアは自分が職場で大切にされていることを感じた。

「だがあの姉上が認めたとなると、余程しっかりした人物なんだね。……期間はいつまでなのかな?」

「取りあえず三カ月。とっても有名で有能な人らしくて、帰りも来てくれるんです」

「三カ月か。それなら安心だね。いつか紹介してくれたまえ」

「そう言われたのは今日二回目です」

 ユーフェミアは肩をすくめた。


 その日から毎朝、ユーフェミアを送り届ける銀色の車が所内の道路に見られた。

 運転席に向かって、軽く手を振るユーフェミアをしばらく見送るのがゼライドの習慣になりつつある。

 どうやってまとめたものか、長い髪を頭の後ろでぐるぐるに巻き、肩をそびやかせて颯爽と彼女は歩いてゆく。

「ふん、いっちょ前にキャリアウーマン気どりかよ。お嬢ちゃん」

 おつむには大して中身が詰まっているようには思えないが、と、スモークガラスの向こうでゼライドは鼻を鳴らした。

 ユーフェミアが仕事に就くと、ひとまずゼライドのする事はもうない。何をしようと、どこで稼ごうと自由だ。人通りが多くなる前にこんな所からさっさと逃れるに限る。さっきも若い女性所員に妙な目で見られた。ゼライドは車をスタートさせてゲートを抜けた。

 エリカと交わした契約には、勤務時間外のユーフェミアの身の安全の保証で、彼女の仕事中は拘束されない。他にも細かい条項は幾つかあるが、一番大きな点はこの部分だった。彼女の勤務時間は基本的には日中だから、いくら郊外の施設と言えど危険はそれほどない。また、重要な科学の府であるバイオテクノロジー研究所の安全保障はあくまで市の責任なのだ。近くには軍の施設もある。

 だからゼライドはシティに向かって車を飛ばしていた。ハンドルを握りながら、脇に設置された端末を操作する。

「俺だ。マニエル」

 浮かび上がった画面には目もくれず、ハンドルに内蔵されたマイクに向かってゼライドは言った。たちまち甘いハスキーヴォイスがそれを受ける。

「ハァイ! ゼル、久しぶりね。ここのところすっかりお見限りだったじゃないの。何していたの?」

「これからいつもの場所へこれるか」

 ゼライドは用件だけを素っ気なく告げる。

「こんな朝っぱらから? 仕事の帰りなの? ……まぁいいわよ、丁度空いているし」

「十分で着く」

 ゼライドは無機質に答えてアクセルを踏み込んだ。



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