第15話14.奇妙な同居人 1

「ここがお前の部屋だ。好きに使うがいい」

 ユーフェミアが持ちこんだハードケースを部屋の真ん中に置くと、ゼライドは無愛想に言った。数時間ぶりに聞く声だ。それだけでユーフェミアは嬉しくなって、くるりと部屋中をまわってみる。

「初めて助けてもらった時に使ったお部屋ね? きれい~、ありがとう」

 本日、この家に来るのは二回目である。

 今朝早く訪問した時は、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。最初の出会いから六日間待ち続けてやっと会えたと思ったら、姉から緊急の呼び出しでドタバタ。そして、市庁舎での思わぬ再会と驚くべき展開となった。

 あれから直ぐ市庁舎を出て一旦自分のアパートに戻り、必要な物を急いでケースに詰め込んで、住み慣れた部屋を後にした。新しい生活を始める為に。家政婦のメイヨー夫人に姉から連絡がいくはずだ。

 ゼライドはその間ずっと傍で見守ってくれた。

 もっとも、荷造りを手伝う訳でもなく、壁にもたれてそっぽを向いてはいただけだが、ユーフェミアが必要な荷物を詰め終わると、何も言わないのにひょいと担いでくれた。しかし、アパートから戻る車中ではやっぱりだんまりで、表情すら変えず視線も合わせなかった。何回か話しかけてもまるで石に向かっているような気がして、終に虚しく黙ってしまったユーフェミアだったが、やっと声が聞けてようやく少しほっとする。嫌われたかもしれないが、口をきかないと決めた訳ではなかったらしい。

「足りねぇものがあったらメモを置いて置けばいい」

「直接あなたに言ってはいけないの?」

 やっと話のきっかけを見つけ、ユーフェミアは引き上げようとしている男の背中に話しかけた。

「女の必需品なんか、俺に言われたってわからねぇからな。メモを置いておけばパルに渡しておく。言ったと思うが、俺の護衛下にいる間は俺に従ってもらう。この家にいる間は特にそうだ」

 パルミナの名前が出てきてユーフェミアの心が少しだけざわついた。その口調から請負人と代理人の関係以上のものは感じ取れないが、少なくとも彼女はゼライドにかなり信用されているのだろう。

「パルさんにはいつか会えるの?」

 意外にも彼は立ち止まってこちらを振り向いた。少しは話をする気になったらしい。

「さぁな。彼女は大抵俺の留守に出入りするから」

 それなら、仕事の依頼は端末で受けるのだろうか? 会った事もない人物をゼライドが信用する筈もないだろうから、必要な時は会ったりするのだろう。その時はきっと仕事の話だけ……ではないような気がする。

 ユーフェミアは勝手に想像し、自分の想像に気が重くなった。

 しかし、しつこく尋ねる事も出来ない。まだ片手で数えられるほどしか、会っていないのだ。今は出来るだけ彼を知りたかった。ゼライドともっと仲良くなりたい

「そう……じゃあ、ここでは他にどんな事に気をつければいいの?」

「まず、必要以上の干渉は無し。食事も寝るのも各々おのおので」

「朝食ぐらい一緒はダメなの? 料理は苦手だけどトーストぐらいなら焼けるわ。後、卵とか」

「必要ない。料理したけりゃ勝手に自分の分だけ作って食え。食材も適当に見繕ってもらう」

 ——またパルさんに頼むって事か……一体どんな人なんだろ?

「それから家を出る時には必ず俺を伴え。ちょっと出かける時にでもだ」

「でもさっきは極力外出を控えるようにって」

「なるべくなら」

「友達となら会ってもいい……わけないよね?」

「……」

 ——今、あほかこいつはって顔で見たわね。

「……いいだろう」

「へ?」

「友だちに会いたきゃ会いに行けばいい。よく知らねぇが、あんたみたいなお嬢さんには娯楽が必要なんだろ?」

「いいの? もっともそんなには出歩かないと思うけど。友達少ないし」

「そうか」

「気を付ける事があったら何でも言う事聞くから。できたらタマにはお買い物ぐらいは行かせてね」

「行けよ。芸能人の警護をしたこともある。家に軟禁して安全を図るだけなら三流の請負人だろ」

「へぇっ! 芸能人! 私でも知ってる有名な人?」

 ユーフェミアはたちまち興味をもった。

「さぁ」

 その芸能人は実はかなり有名な女優で、しつこいファンの男に付きまとわれ、困り果てて彼を雇ったのだ。

 一カ月ほどは何も起きなかったが、思いつめた男が、映画の記者会見の席上に紛れ込み、油を被って自身に火をつけ、女優に突進したところをゼライドに叩きのめされた。幸い女優には怪我もなく、被った油の量が少なかった為、男の火傷は重症にはならなかった。ゼライドにとってはどうという事もない仕事だったが、その一件にはまだ続きがあって、彼の身体と仕事ぶりに心を奪われた女優に今度は逆に付きまとわれ、ゼライドはかなりの迷惑を被るハメになったのだ。

余りの熱烈なアピールにさすがのゼライドも辟易へきえきし、パルミナに連絡を取り、ユーフェミアの時と同じようにしばらく雲隠れしていたのだ。しかし、ここでこんな事を言わなくともよいのでゼライドは黙っていた。

「ん……それもそうか。やっぱりねぇ」

 ユーフェミアはお行儀良く、請負人には守秘義務があるのだろうと、もっともらしい顔で頷いている。

「だから、それ以外は俺に一切関わ……」

「でもさ、しばらくは同居人なんだから、やっぱり仲よくないよりは、仲いい方がいいと思う! あなたが嫌そうにしてたらしつこくはしないけど、気が向いたら少しは話しかけてよ」

「お前とする話なんか……」

 ねぇ。と、言いかけて目が合った。途端に語尾が弱くなった。忌々しい。

「待ってるから……ね?」

「……面倒くせぇ……」

 ゼライドはすっかり元気をなくしたようにそう言うと、これで話は終わったとばかりにさっさと出て行ってしまった。後に残されたユーフェミアは仕方なく持って来た衣類や小物をケースから出し、これからしばらく世話になる部屋を具合よく片づけてゆく。

 その部屋はあのときと同じく、昨日出来上がったみたいに新品でどこにも生活感はなかった。あのあと誰も使われなかったことを察してほんの少しユーフェミアは安心する。さっきの話からしても、あのイケメンは美女をこの家に連れ込む事はなさそうだ。

 ——でもさ、これから三か月ずっと一緒にいてくれるのよね? じゃあ……どうするのかしら? そういうことよくわかんないけど。

 ゼライドが仕方なく同居を引き受けた事ぐらい鈍感なユーフェミアだって分かっている。

 だが、あんなに野生の香り漂う成人男性が三カ月間、女っ気なしで過ごせるものなのだろうか? というより、過ごしていいものなのだろうか? 彼女の貧困な知識でもそれは非常に考えにくい。ただし、さっきの契約では彼女の仕事中は比較的体がくから、その気になれば付き合っている女の所に転がりこむ事も可能ではあるが……

 ——やだ!

 ユーフェミアは空になったケースをクローゼットの奥に勢いよく放り込んだ。ガコンという派手な音が、がらんとした部屋に響く。

 ——そんなのは絶対嫌だわ!

 しかし、ゼライドにだってプライベートはある。ユーフェミアの行動は彼によって規制されるが、彼の行動はユーフェミアには口出しできない。多分。

 ユーフェミアは既に気がついていた。自分が恋をし始めている事に。

 告白された事なら幾度かある。好奇心でちょっとだけ付き合ってみた事もあるが、彼等は大抵ユーフェミアの華やかな容姿に惹かれていたので、少し親しくすると慣れ慣れしくしたり、体の関係を求めてきた。そして彼女は、一番まともそうな男と一度関係を持っただけで、に興味を失った。

 それ以降、人間として信頼できない異性はさっさと切り捨ててきたのだ。そのためユーフェミアは、男性からはお高くとまっていると思われ、女性達からは男をとっかえひっかえする鼻持ちならない同性のように決めつけられて、時には陰湿な嫌がらせを受けた。

 だから、外見ほどユーフェミアの恋愛経験は豊富ではない。恋人どころか同世代の友人がほとんどいないと言ってもいいくらいなのだ。

 先日情報提供してくれた警察官のウェイは例外で、彼を恋人として見る事は出来なかったので告白された時も有難く断ったのだが、快活で誠実な彼は友人でも構わないと食い下がった。だからウェイはユーフェミアにとって、ずっと仲良くしている数少ない友人なのだ。もっとも、ウェイの切ない心境まで思い至れないのがユーフェミアの彼女らしい部分ではあるが。

 と言う訳で、今までまともな恋愛をしてこなかったユーフェミアだが、今の自分の心境を把握できない程、経験値は低くはない。ゼライドの事が無性に気になり、会えないと会いたくて堪らなくなる感情は間違いなく恋だろう。

 けれども恋に落ちるのは一人でもできるのに、恋愛は一人ではできない。

 だから、ここから先は努力と魅力と根性なのだった。それは大昔からの決まり事である。

 ユーフェミアが考え込んでいると、窓の外でコツンと言う音がした。顔を上げると、今朝見た鳥型の獣が窓枠に止まっている。夜行性の筈だが、陽が落ちかけたこの時間にはもう活動を開始するのだろうか?

「お前……ティプシー、今からご飯の時間なの?」

 ゼライドがペットフードなど与えている姿は想像できないから、きっと自分の身は自分で養っているのだろう。小さくとも獣は獣だ。一見清潔なこの街の暗闇にうごめく、ネズミやコウモリを捕食しているのだろう。

 ユーフェミアが一歩近づくと、ティプシーはくちばしを突きだしてクルルと威嚇した。しかし飛び立つ事はせずに、しげしげと彼女を観察している。警戒しつつも興味はあるのだろう。窓枠には格子がはめられているが、開くことは可能だ。だから少しだけ開けてクッキーでも投げてやればいい。だが、賢明にもユーフェミアは窓を開ける事はしなかった。慣れぬ生きものと接する時は焦ってはいけないことぐらいは知っている。ちょっと好奇心を起こして見に来ただけなのだから。ユーフェミアに害意が無い事が分かると、その内仲良くしてくれるに違いない。

 端くれとは言え、これでも一応生物学者なのだ。

 誇り高い生き物は慣れるまでに時間が掛かる。でも、一旦慣れたらその信頼は容易くは壊れない。

「お前もきっとご主人さまと同じね」

 ガラス越しにユーフェミアが呟くと、ティプシーは薄い翼膜を広げ、あっという間に暗くなりかけた空に舞い上がった。

 そう、おそらくティプシーと同じく、ゼライドも束縛やしがらみを嫌うのだろう。自分達はまだ赤の他人だ。警戒でも威嚇でも好きにしたらいい、その内きっと親しくなって見せるから。ユーフェミアは真面目に考えた。

 ——恋人がいるなら会ったっていい(嫌だけど)。だけど、私だって少しは構って……じゃなくて興味を持ってもらえるように頑張るんだから! 三か月間もあるんだし。

 ゼライドはどうやら自分の事を余り良くは思っていないようだった。

 もしかしたら自分をと言うより、人間の事を好きでないのかもしれない。しかし、仕事ならばちゃんと受け止めてくれるだろう。悪い男ではないのはもう知っている。彼なりの優しさも確かにある。そうは言ってもこの恋に希望は少ない。それでも0パーセントでないならば、努力しないよりはした方が後で後悔しなくて済むだろう。そして今がその時なのだ。

 ——何だってやらねばならない時がある。研究だって無駄に見える地味な実験を何百回も重ねて結果を出すんだもの。

 そうと決まれば、取りあえずはする事がなくなったから勉強でもしようと、思いがけず休んでしまった分を取り返すためにユーフェミアは学術書を取り上げ、夜光花の交配実験の過去のデータを調べ始めた。


 この世界の固有種である夜光花の研究の歴史はそれほど古くは無い。開拓と開発の歴史に一段落がつき、文明に文化の香りが色濃く漂い始めた時から、美しい花は危険な誘惑へと変わった。何時しか麻薬として知られるようになり蔓延し始めたのは、ここ数十年の事だとされている。そして、その浸透は早く、根深かった。繁栄の登り坂を歩んでいたこの世界に、少しずつ暗い影が射し初めて初めて人々はその危険を認知するようになった。

 一夜だけ咲く夜光花の花は美しいが、その種子をすり潰して抽出する麻薬<ナイツ>は、この世界の人々の不幸の一端を確かに担っている。ナイツがもたらす禍を出来るだけ少なくするのがユーフェミア達、研究者の仕事の一つだ。

 口には出さないがユーフェミアは姉のエリカの事を非常に尊敬し、何より大好きであった。余り取り柄の無い自分が姉の崇高な使命に対してできる事はそれだけだと思っている。そして、少しずつではあるが確実に夜光花の研究は進んでいた。強い依存性に対する薬の開発、種や毒性を少なくする品種改良、そしてカビなどを含めた天敵の発見である。因みにユーフェミアの属する部署は、この天敵の発見を専門に研究している。

「これ読むのは何回目だろう……」

 ここ数年の研究の大きな成果は、種子のほとんどできない夜光花の株を生み出す事に成功したと言う事である。ユーフェミアが読んでいる論文は、モーリス・ディレイと言う研究者が書いて去年発表されたものだ。

 通常の場合、落花した後に成る果実の中に、小さな種子ができる。これをすりつぶして採取する乳液から麻薬を精製するから種が少ない株が増えれば、それは大きな意味がある。しかし、種子の少ない品種と言っても、その数はまだ少ない。この世界に自然に生育する夜光花を駆逐するのは並大抵のことでは出来ないのだ。まだまだこれからの研究だが、この分野ではこのロマネスクシティ在住のディレイ氏の研究が最先端だ。

 無論<ナイツ>撲滅のためには学者達だけでなく、警察や軍隊の力も必要である。

 現に栽培されている隠し畑を焼き払ったり、流通している種子や薬を摘発し、生産者や密売人を逮捕する事件はほぼ一月に一度くらいの割合で発表されている。実を言うとこちらの方が、手っとり早いし実利的で、大衆にわかりやすい。しかし、それだけでは<ナイツ>の根深いわざわいは無くならないのであった。

「だけどこういう地道な研究姿勢がかっこいいんだよなぁ。氷の苗床に種をくっていうか」

 努力の目的は結果だけではなく、その過程にもある。だから無駄な努力はないと言う言葉は真実なのだ。ユーフェミアはそういう考えが好きだった。研究とはつまり努力と根気なのだ。

 ユーフェミアは熱心に論文を紐解く。

 しかし、恋の研究の行き着く先は彼女にもさっぱりわからなった。


 一方、別の部屋では――

「待ってるからね? だと? くそっ!」

 ゼライドは巨大なベットにごつい身体を投げ出した。むかむかするほど腹が立っている。

 ——どう言うつもりであんなことを言いやがるんだ、あの小娘は! 馬鹿だ。知ってはいたが、やっぱり馬鹿だ。俺が野人だと知って、何故あんなことを……だが……

 ——あれでも一応生物学者だそうだから、もしかしたら単に野人と言う種に興味を持っただけかもしれねぇ。

 が、それも困る。

 ゼライドは唸った。

 あの娘が近づいただけで、妙に体温が上がって呼吸が浅くなるような気がするのだ。つまりこれは――

 ——ただの雄の衝動だろ!

 女が嫌いな彼は、極力異性に触れないように心がけ、生理的な処理をする時以外は、欲望に囚らわれることなくやり過ごしてきた。

 ——なのになんで、今更こんな。

 絶対に気づかれてはならない。ゼライドは拳を握りしめた。あの世間知らずの娘は、危ういところを彼に助けられて、夢見がちな年頃にありがちな美しい誤解をしている。自分の事を昔の映画に出てくるような絶対無敵のヒーローか何かだと思い込んでいるのだ。野人と友だちになりたいなぞ、それ以外の何物でもない。

 なのに――

 ——現実はどうだ?

 ゼライドは自分をわらった。苦虫を噛みつぶしたような顔の下で、あの細い腰を引き寄せたくなるのを必死で堪えている。これから三カ月の間、この欲望を抑えつけなくてはいけない。この汚い雄の衝動から。

 ——仕方ねぇ。あの娘が仕事をしている間にでも、マヌエルに連絡を取ってみるか。

 マヌエルと言うのは野人の娼婦で、ゼライドが唯一相手にしている女である。彼女なら何も考えることなく、一時の気の迷いを晴らしてくれるだろう。

 ーー俺は依頼を引き受けちまったんだ。あいつを守り通さねばならない。

 彼女の敵からも、そして自分からも。

 ゼライドは無機質な天井を見つめながら奥歯を噛みしめた。



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