第14話13.厄介な事態 3
こんな柔かいモンを世間に晒して歩いてんのかこの娘は――
これこそ犯罪じゃないか。
無防備に差し出された唇に警告が響く。それなのに指を
触れたい。しかし、どうやったらいいんだ? この女は人間だ。頑丈な野人の女じゃない。自分の様なケダモノとは全く違う。経験値がないから接し方がさっぱり分からない。そっと唇を合わせたらいいのか? それともきつく吸い上げ、赤く腫れさせて……
――止せ!
すんでの所でゼライドは自分を押しとどめた。互いの吐息が掛かるほどに近い。
これは単なる欲情だ。こいつは俺みたいな汚ねぇ野郎が触れていい娘じゃないんだ。止めろ、止めるんだ!
——けど、目が離せねぇ……ああ――
♪♪♪♪♪
悩める男を救ったのは、電子で作られた古い映画のテーマ曲だった。ユーフェミアの端末。
慌てて体を離し、彼は部屋の外へ逃げ去る。同時に彼の端末も鳴動した。
——仕事の依頼だ!
よかった。これでいい。一迷いの一瞬は去った。これで本来の自分にたち帰って仕事に戻れるとゼライドはいそいそと通話を押した。
『ハロー、ゼル。今いいかしら? アジャンタから帰ったばかりの所悪いんだけど、急な依頼が入ったの』
「パルか。構わん。仕事ならやる気満々だぞ」
ゼライドはその誘いに飛び付いた。
『それはよかったわ。でも一旦話を聞けば簡単には断れない筋からの依頼なの』
「面倒な筋か?」
『そう。でもペイはいいわよ。仕事も単なる護衛だけど結構な長期間。どのくらいかは直接会って決めると言う事なの』
「ふ~ん。断れないって事は、街の上層部とかか?」
『いい勘だわ。市長から』
「市長だ?」
『サイオンジ市長です』
「大物だな。市長の護衛か?」
『いいえ、お身内の護衛らしいわ。私もそこまでしか知らない。会ってから話すって。私からの疑問には何も答えて貰えなかった。ちょっと腹が立ったけど、存外高圧的でも無かった。向うは取りあえずあなたに会ってみたいそうよ。話を聞いてからでは断れないらしいから、万が一断るとしたら会った直後しか機会はないみたいね。でも正直言うと断らないでほしいの。市長の依頼を受けたってだけでハクがつくし、こっちもあと後色々都合がいいのよ』
「……理屈はわからねぇでもない。先ずは会わなきゃならねぇんだな」
『そゆこと』
「会おう。仕事がしたい事には変わりはねぇ」
『いい傾向ね。ちょっと前まではなんだか後ろ向きだったけど。何かあった?』
「別に」
『物資は足りている?』
「不足はねぇ。俺には要らねぇものばかりだと思ってたら……タマには役に立つ事もあった」
食材とか。
『あら、珍しいわね。でも嬉しい。……ねぇ、依頼の事を聞いたらそのこと詳しく話してくれないかしら? 久しぶりだし一緒に食事でもしながら……』
電話の声は少し小さくなった。
「そのうちな、パル。俺は仕事がありゃそれでいいんだ。仕事をして、身にふりかかる火の粉があれば、そいつを払う」
『……そう、そうね……じゃあ、しっかり頼むわね』
その結果が――
——これかよ!
ゼライドは奥歯を噛みしめながら、知らずにこんな所まで来てしまった己を呪った。
目の前に今朝別れてきたばかりの娘。
輝く髪を頭の後ろで丸め、ゼライドが返したグラスとダークスーツを身に付けている。大人っぽく見せようとしているのだろうが、残念ながらちっとも成功していない。だが、一方で彼女は立派な大人なのだ。二時間ばかり前に触れ合わんばかりに近づいた唇には今、たっぷりとグロスが塗られて艶やかに膨らんでいた。
——断れない仕事って、これか。パル――
——怨むぞ。
娘はただでさえ大きな目を、更に見開いて彼を見つめている。これ以上見つめていると落っこちてしまいそうだ。きっと素敵なビー玉になるだろう。
「はじめまして。ミスター・シルバーグレイ。私はエリカ・サイオンジ。この街の市長を勤めております。この娘は妹のユーフェミア・アシェインコート」
「こんにちは」
型どおりに紹介されて、ユーフェミアは仕方なく会釈をした。
ゼライドは不動の姿勢である。二人の様子が明らかに不自然に見えたのか、柔かな物腰でエリカが滑らかに話し始める。
「ユーフェミアに先ほど聞きましたが、先日は危ういところで妹を助けて下さったと伺って大変感謝しております。この子は私のたった一人の妹で、大切な家族ですの。あなたが通り掛からなかったらどうなっていたかと思うだけで正直ぞっとします。妹の話では、あなたは大変信頼のおける方だとか……」
私の話を聞く前に、ちゃんと調査していたくせにと、ユーフェミアは姉を半目に見ながら思った。
——私の行動なんて、メイヨー婦人か、誰かに聞いて、ゼライドの家に通い詰めていたことを知って、それから彼のことを調べたんだわ。まぁーー悪くはない展開だけど。
「仕事の依頼だと言う事だったが。市長さん」
しかし、ユーフェミアが思わず身を縮めた程、ゼライドの声は平坦だった。
——これはひょっとして怒っている? ものすごく怒っている? でも、こんな事になったのは私の所為じゃないんですけど。
「この様子じゃ受ける選択肢しかない気がするがな。できたら手短かに言ってもらいたい」
「そうでした。その通りですわ。合理的思考の方で助かります。エージェントのミス・ニールセンから既にお話は聞いておられますね」
男の素っ気ない態度にも
「市長さんの身内の警護としか」
既に最悪の予想を立ててしまったゼライドは無愛想に答えた。
「そうなのです。あなたは気に入らぬ仕事は受け付けないと聞いていたので、失礼かと思いましたが、必要最低限のことしかニールセンさんには伝えないようにしました。依頼は単純です。あなたには当分の間、妹……ユーフェミアを守ってやってほしいのです」
「……」
喜んでいいのか悪いのかユーフェミアには見当がつかない。ゼライドのことを知りたいが嫌われたくはないのだ。
「確かに軽率極まりないお嬢さんのようだがね」
その目は鋭くユーフェミアに向けられている。
輝かぬ水色の瞳は冷たくて、ただの氷のようだ。ユーフェミアの心底を寒々と冷やす。
「取りあえず包み隠さず事情を話して貰おうか。どうせもう、断れねぇんだ」
——本当は断りたいの?
「話せ」
しょげ返るユーフェニアにゼライドの言葉は短い。
「え……あの、そのう……なんだか、あの時の男達の一人が殺されて……もう一人が警察に駆けこんで、それで色々わかってきたというか……」
俯き加減に話すユーフェミアの口調はしどろもどろである。
「もう、ミアったら! それでは何を言っているか、さっぱりわからないわよ。ホントに理系なの? ミスターシルバーグレイ、すみません。私から言います」
「その方が賢明だ」
エリカの説明はさすがに要領を得ていた。黙って聞いているゼライドの顔つきが更に厳しくなり、エリカからユーフェミアに視線が流れる。美しいだけに、睨みつけられていると一層怖い。
「ピートと言う男からはそれ以上聞けなかったのか?」
エリカの説明を聞いて暫く何変えこんでいたゼライドは、静かに尋ねた。
「そのようです。今は当局で保護を……といっても彼も沢山の余罪があるようなので、罰せられるのは間違いないですが。命を取られるよりはましだと思ったのでしょう」
ゴシック・シティを初め、この世界の多くの街には死刑制度はない。これまでの刑で一番重かった記録は懲役570年と言うものだった。
「ダニイと言う男は発見されて死後どのくらい経っていた?」
「少なくともニ日」
エリカは端末の画面をさっと眺めて言った。
「ふうん」
今日でユーフェミアが襲われてからまる六日である。トレーラーで逃げた男が、アジトに辿りついた後、どうにかして上に渡りをつけて報告し、おそらくそれが裏目に出て消されるまでにざっと三日。殺されて放置され、当局に発見されるまでにニ日。そして昨日、ピートとか言う男が相棒の死を知って保護を求めてきたと。日数の勘定は合う。つまり、画像データが奴らの上部に流れて少なくとも四日は経っている。そう言えばこの娘が俺の家に通いつめていたのも四日だと言っていた。
「どうしましたか? ミスターシルバーグレイ」
エリカの問いにゼライドはユーフェミアの方を向いて答えた。
「あんたがこれまで何もなかったのは奇跡だと思うこった。データの質が悪くて解析に時間がかかったのかも知れねぇが、あんたの身元は割れたと考えた方がいい」
「う……うう~」
だとしても自分はどうしたらよかったのだろうか? ユーフェミアは唸るばかりである。代わりにエリカが答えた。
「やはりそう思いますか?」
「当然だな。残念だが、俺なら最悪を考える」
「あなたの考える最悪とは……?」
「一番ありそうなのは、このオツムの軽いお嬢さんをネタにあんたを脅して市長の座を下りて貰うってこったな? どんなネタにするかは知らないいが」
「ネタ? ……って私の恥ずかしい画像をバラまくってこと?」
「そんな程度なら可愛いんだがな」
「ええ」
エリカも難しい顔で応じた。
自分の事が、それもかなり重大に話題になっているのに、なかなか話にはいりこめない。ユーフェミアは情けなさに唇を噛んだ。
——しかも、この二人、ある意味意気投合してない? 背丈だってスタイルだってなんだか妙に似合ってるし……全然タイプが違うのに、なんだかシンクロしているって言うか……
確かにワイルドを具現化したようなぜライドと、高潔無比の権化のようなエリカとは火と水のように違う。しかし、父の体格を受け継いだ長身で黒スーツを見事に着こなすエリカと、同じく黒衣で厳しい表情のゼライドは、まるで物語に出てくる女王が、戦場で死線を潜り抜けてきた騎士を迎えるような雰囲気と見えなくもない。
——妄想飛ばし過ぎかな、私。
ふと目を上げると青い目とまともにぶつかる。相変わらず不機嫌そうな目つきだ。
ーそう言えば、さっきは押し掛け友達のお誘いにも結局はうんとは言ってもらえなかった。最初の出会いと言い、今朝の事と言い、彼は自分の事を厄介でずうずうしくて馬鹿な女だと思っている。できれば関わり合いになりたくはないと。実際何度も素気無くされたし。なのに多分、市長の権威によって面倒な仕事を引き受けさせられようとしている。断りたくても断れない。不機嫌なのはその所為だわ。
「……その様子ではやっぱり何も考えちゃいないようだな、あんた」
ユーフェミアが不毛な分析をしていると、いきなり厳しい言葉が投げつけられた。
「えと、ええと……とりあえずすみません」
「は? それが答えか?」
呆れた様な声に益々身の縮む思いがする。これでは確かにオツムの軽い馬鹿娘だ。
「な……なんのでしょう? ごめんなさい、あんまりよくわかっていなくて」
「いい。あんたにはもう聞かん。市長さん」
「何でしょう」
「この街にはあんたを殺したいほど怨んでいる奴はどのくらいいる? 単なる政敵を除いて」
「おそらく。何十人も」
「だろうな? 俺も最近少しは耳に挟んだんだが、あんたのやり方は、薄昏い商売を営んでいる連中には大打撃を与えたようだ。こういう連中は大抵欲深くて執念深い。あんたを脅すネタを掴んだとなりゃ。それを使うのに躊躇はしねぇだろうな」
「そう思います」
「ちょっと待ってよ!」
二人の視線がユーフェミアに集まった。
「もう少し具体的に話して貰えないかしら? 姉さんを脅すネタにする為に私が狙われるのでしょう?」
ようやく理解できたかこの馬鹿娘は、と言うようにゼライドが逞しい肩を竦めて頷いた。
「だけど、まさか命までは――」
「取らないと思うか?」
「取っちゃうの⁉︎」
「最悪の場合はな」
「え? えええ~~~、そんな酷い」
「世の中には酷い事をする奴らがいるってっ事はもう骨身に染みた筈だ」
ゼライドの言葉は情け容赦が無い。
「……」
「そう言う事なのミア。理不尽だと思うでしょうけど、私は常にSPで守られているし、市庁舎でも私の周囲の区画は完全に認証制だから、ここから出ない限り滅多なことでは私達、市の幹部に危険は及ばない」
この世界では街は一つの王国にも似ている。
つまり市長は百万市民の王なのだ。選挙で選ばれるとは言え、在任期間中はその権力は絶大である。任期を終えるか、失政の責任を取って辞任しない限り、街の行く末は市長のビジョンと手腕にかかっていると言っても過言ではない。そして、引退を決め、市政から退く時には、後継を指名した人物に選挙を有利に戦わすことも出来る。歴史に名を残した市長の像はセントラル広場に飾られ、未だに市民の尊敬の対象となっている。市長とはそう言う存在なのだ。暗殺事件は過去にただ一度。この世界が定まり始めた時代の出来事だった。
だから、余程大きな仕掛けが出来ない限り、市長自身は狙われにくい。そして通常は、家族も行政区内の官舎に住まうので、市内の何処よりも大抵安全である。ユーフェミアのような存在はかなり特殊な例なのだ。
しかし、ユーフェミアにもユーフェミアなりに言い分はある。昔から派手な見てくれと軽率な言動のお陰で誤解され続けて来た自分が、やっと自分でやりたい事を見つけたのだ。一度酷い目に会ったくらいで諦めたくはない。馬鹿だとは思うが、それほど弱くもない。
——それに、この人が傍にいて守ってくれるのなら……。あれ? 私やっぱりすごく嬉しいのかも……
「それとも、ここに戻って私と一緒に住む? 秘書の真似事ぐらいなら出来るでしょ? それなら面倒は少なくなるわ」
自分勝手な思惑に浸っていると、姉から聞きたくない言葉が飛んできた。
「それだけは嫌! 私は自分の仕事をしたいの」
「そう言うとは思っていたんだけどね」
「いけない? だってまだ何かあるって決まった訳ではないし、確かに胸の悪くなる経験はしたけど、犯人は取りあえずもう何もできない所に行っちゃったのよ。……それに仕事だってやっと何とかなってきたの。姉さんだって知ってるじゃない。私の目標はこの世界に蔓延る麻薬の禍を無くすこと。姉さんが街と市民の為に頑張るように、私だって顕微鏡の中の世界でがんばりたいの」
「ミア……」
「私だってもう無茶はしない。それに大体、私と姉さんを結び付けるのって結構難しいわよ。名字だって違うし、全然似てないし」
——似たかったけど……
「だから……」
「やれやれ。あなたの頑固さは私以上に父さま譲りだと思うわ。でも、きっとあなたはそう言うと思って、ミスター・シルバーグレイに警護をお願いしたの」
「なんだかもう初めから決まってたような口ぶりだな。もっとも実際そうだったんだろうがよ」
ゼライドは面白くなさそうに言った。
「ええ、そうです。妹の安全を最優先に、そして自由と独立を鑑みた結果、あなたが最適任者だと分かりました。ミスター・ゼライド・シルバーグレイ、妹を守って下さい」
「俺は獣専門のハンターなんだがな」
「……」
「だから言ってみりゃ護衛は専門外なんだ。やった事がねぇとは言わないが、この方面では超一流とは言えない。人間は苦手だしな」
ゼライドは、部屋の中央で足を踏ん張って立っているユーフェミアを見た。
小さな体に不似合いな堅苦しいスーツを着て、洒落たグラスを掛けていても、大して思慮深かそうには見えない。けれど口を引き結び、
「あんたはどうなんだ? 俺にボディガードされたいのか? あんたは知らねぇだろうが、護衛ってな、ある意味監視と束縛だ。きっとすげぇ不自由すんぞ」
「不自由……?」
不自由はどうでもいい。ユーフェミアはそう考えていた。こんなに興味を持てる人間に出会ったのは初めてだった。家にまで押しかけて友だちになってくれ等と、普段の自分からは到底考えられない事までして。しかも、その男が自分を守る立場になろうとしている。これはもしかしたら運命みたいなものかもしれない。ユーフェミアの決断は早かった。
「いい。姉さんに迷惑かけたくないし、仕事も辞めたくない。でも、危険もご免だわ。だからゼル、あなたに私を守ってもらいたいです」
「ふぅん」
ゼライドは内心焦っていた。これでいよいよ追い詰められることになったのだ。
——やばい。このままではこの翠の瞳に益々混乱させられるだけになってしまう。
ここは何としてもゴネなくてはならない。相手から諦めて貰う為には。
ゼライドは物憂げな態度で壁にもたれた。
「だがな。言ったように理不尽な条件がある。どうしたって呑んでもらわねぇといけねぇことがな」
「言って下さい」と、エリカ。
「まず、あんたには俺の家に引っ越して貰わないといけない」
「あなたの家に?」
「そうだ。……あのな」
ゼライドはつかつかとユーフェミアに歩み寄ると、ものすごい下目遣いで、それこそ幼稚園児に言って聞かせるような調子で説明をはじめた。
「俺が警護をするって事は、あんたの仕事の送迎もしなくちゃならんと言う訳だ。どうしたって仕事を辞めねぇんだろ?」
「勿論。言ったでしょ? 姉の七光りから就職したかもしれないけど、私だって世の為に頑張るんだもん」
「だもんって……あのな、真面目なのは結構だけどよ。あんたが我儘を言えば言う程、俺の仕事はややこしくなるんだ。俺があんたを警護している間は俺の指示に従ってもらう。あんたにとっちゃ納得できない事も多いと思うぜ」
「あなたの指示に従います!」
「俺んちに来て住めんのか? 嫌な噂が立つぞ」
——断れ、断れよ!
「住めます……ってか、住みます」
ゼライドの願い虚しく、娘は即答した。
「……」
——絶対何も考えてない! このお嬢様は。男と二人で同じ屋根の下に住むんだぞ。
「確かに、それは必須ね」
——って、あんたもかよ! 市長! 悪人を警戒する前にまず俺を警戒しろよ! 俺は野人だぞ。
「あなたは信頼できる方のようです。これでも人を見る目はあるつもりですから」
——いや、ねぇわ。
ゼライドは重い溜息をついた。
「まだある。仕事以外の外出も極力制限する」
——遊びたいだろ? デートとか、買い物とか。早く断れ! 断ってくれ!
「あ、そんなの別に。元々友だちとか多くないし。代わりにあなたが友だちになってくれたらいいわ。今朝もそう言ったわ」
「今朝?」
「ええ、姉さん。実は助けてくれたお礼を言いに行っていたの」
「そうなの? ではこれで決まりですね、ミスター・シルバーグレイ」
エリカは悠然と微笑んだ。その目の言わんとする所は明白だった。
チェックメイト。ゼライドは天井を見上げて目を閉じた。
どうしたって俺に引き受けろってか?
「……いいだろう」
「あ! ありがとうございます。ミスター・シルバーグレイ」
エリカは珍しく嬉しそうな様子を滲ませていった。
「そのミスターは止めてくれ。俺は野人で、紳士じゃない。ただのゼライドだ。その点をわかっているんだろうな?」
「分かっているつもりです。ではゼライド。改めてお願いします。妹を守って下さい」
「……承知した」
仕事だ。これは仕事で、しかも多分断れない筋のものなんだ。俺の手腕が、上流階級の奴等にも高く評価されたって、つまりはそういうこった。
「……安心しろ。引き受けるからにはちゃんと仕事はする」
「これから引越せばいいの?」
ユーフェミアの声は心持ち嬉しそうだった。
「あのな、よく聞け。これは遊びじゃない。ままごとじゃねぇ」
「ええ、いくら私が能天気でも、なんとなくわかってきた」
「何もわかってねぇ。あんたにとっちゃこの間以上に恐ろしい思いをするかもしれねんだぞ」
「……」
「世間知らずのお嬢ちゃん。こないだ
「あの時はたまたま一番悪い奴等で……」
「あれくらいの外道はごろごろいる」
「……ホント?」
「本当だ。俺にだって分からん手段を持って、あんたに手出ししてくる奴もいるかもしれん。俺の家に来て貰うのはそのためだ。あんたのアパートじゃ心もとない。嫌だろうが」
「嫌じゃないわ」
「俺は嫌なんだ! 心からな。けど、取りあえず俺の家に住むのが一番安全だ。システムもあるが、俺の家だって事で、まず大抵の奴は警戒して近寄らねぇ」
「成程。それは心強い」
エリカは感心したように言った。
「研究所への送迎も俺がする。ただし勤務中は別だ。何か特別な事でも起きない限り。市の施設内の事は俺の管轄外だからな。市立研究所のセキュリティは最新型だな?」
「勿論。登録していない者には最初のゲートを通過する事すらできません。その奥に進むには更に厳正にチェックをされるわ。そうね? ミア」
「ええ。大型爆弾を上から落とされて吹っ飛ばされない限りは大丈夫」
「爆弾なら俺がいたって同じだがな。とにかく勤務中は俺は俺の用をする。仕事が終わったら連絡しろ。迎えに行く」
「……はい」
「一安心ですわ」
「安心するのは早い。第一、俺は高いぞ」
「その位の私財はあるつもりです。本当言えば仕事を辞めて、他市の別荘にでも行けば一番いいのでしょうけど、こう見えてこの子は頑固なので、言い出したら聞きません。甘やかしてしまった私の責任です」
「よく知ってるよ……で、期間はいつまでだ?」
「そうですね……御存じのように、私の任期はあと少し残っています。でも仕事が半ばしか終わっていないので、次の選挙にも候補に立つつもりなのです……ですからとりあえず、三か月間、妹をおあずけしたいと思いますわ」
「いいだろう」
ゼライドは重々しく受けた。それとは対照的にユーフェミアの気持ちは大きく弾んでいる。
「そうと決まったらもういい加減私の事、名前で呼んでよね? 私はあんたでもお前でもない、ユーフェミア。ミアでもいいわ。ね? ゼル。ミスター・ゼライド・シルバーグレイ!」
「……」
ゼライドはまたしても深いため息をついた。
ーー厄介な……だが、引き受けたからにはやらねぇと。
彼らの周りに不吉な風が忍び寄ろうとしている。
そして二人の内なる世界でも何かが始まろうとしていた。
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