第12話11.厄介な事態 1

——何を言ってるんだ。この……お嬢様は。俺は人間ですらない野人で、しかもとても堅気とは言えないアウトローの請負人で……

「会いたかったの。だから、待っていたの」

 娘は頑固に繰り返した。

「馬鹿言うな。俺なんかに会ってどうする?」

「ご飯をもらえたわ」

 ユーフェミアはスープに浸したパンをもぐもぐと飲みこんでから言った。

「はぁ?」

「ま、それは冗談として」

「喰ったらさっさと帰れ!」

 食べながらうそぶく態度に腹が立つ。ゼライドはコーヒーを一気に飲み干した。

「うん。仕事あるしもうすぐ帰るわ……けどでも、お願いがあるのです」

「お願いだぁ?」

 心底嫌そうにゼライドは眉を寄せた。余りに嫌そうで、少々わざとらしい印象を受ける。

「聞きたくないけど言ってみろ。なんだよ?」

「私と友だちになってほしいの」

「ならない」


 ——あ、瞬殺。

 ユーフェミアの昂ぶっていた心が一気にぺしゃんこになった。

「もう少し考えてくれても……」

「必要ねぇ」

「お友だちが一杯いるから?」

「俺に友だちは要らねぇからだ!」

「あらそう! ごちそう様!」

 ユーフェミアは肩を竦めると食べ終わった食器を重ねて立ち上がった。殆ど新品のシンクの下に大型の食器洗浄機がある。パカッと扉を開けると、やはりこれも使われた形跡が無い。

「ええっと、ここに洗剤を入れて……」

「そんなことしなくていい。汚れた食器は捨ててしまうから」

「はぁ? 何もったいないこと言ってんの! こんな上等なお皿捨てられる訳無いでしょう? セラミックってのはちゃんと扱えば半永久的に使えるのよ」

 どこまでも生活感の無いゼライドに、家事の点では余り褒めるところのないユーフェミアでさえ呆れてしまう。

「へぇ」

 冷淡な返事だ。洗剤をセットし、食器を放り込んでスイッチを押すともうすることがない。ゼライドは何やら考え込みながら大きな手の中で空になったカップをもてあそんでいる。

 時計をみるとまだ出勤時間には少し時間がある。ユーフェミアは洗浄機の扉を背中で押しながら、何か話の継ぎ穂がないかと広いキッチンを見渡した。すると、横の壁の飾り棚の上に、何やら白いきれいな箱が置いてあるのが目に入った。請け負い屋でハンターでもある無骨な大男に似つかわしくない、精緻な彫刻が施してある。珍しい石で出来ているようだ。身を飾る宝石にはあまり興味が無いユーフェミアだが、鉱物は比較的好きな方である。もっと近くで見ようとユーフェミアは棚に近づいた。

 ——これって、アラバスターかしら?

「キレイ……」

 背の高くないユーフェミアが、高所に置かれた箱に手を伸ばそうとした瞬間、黒と灰の竜巻の様なものが彼女を床の上にぎ倒した。

「え?」

 がっちり手首をホールドされて床に延びている自分に気がついたのは、たっぷり五秒経ってからである。上からゼライドが恐ろしい顔をして圧し掛かっていた。

「勝手に触るな!」

 怒った彼を見るのは初めてだった。ユーフェミアは怯えるよりも驚きであんぐりと口を開けた。まだ二度しか会っていないが、冷淡であったり、迷惑そうにしていた事はあっても、怒りを明らかに示した事はなかったからだ。彼女を襲ったならず者の男達に対してさえ。

「……ごめんなさい」

 直ぐに自分が何か大変なことをしでかしてしまったらしい事に気がついたユーフェミアは素直に謝った。

 いつもそうだ。興味を引かれたものには、後先考えずに突進して行ってしまう自分。悪い癖だ。何回姉にたしなめられただろうか。四つん這いのゼライドの顔は影になり、氷のような瞳が淡く発光している。あの時と同じように。

 ——ああ、この目だ。この目を見たかったんだわ……でも、怒らせてしまった。今すごく怒っているんだわ。謝らなきゃ。許して貰えるまで何度でも謝ろう……床に額を擦りつけたっていい……床に……床?

 ユーフェミアは目だけ動かしてみて自分のおかれた状況をようやく把握した。

 ——何この格好。

 自分は一体どうなっているのだろう、とユーフェミアは考えた。

 冷たい床に気持ち良く仰向けに横たわっているのだが、上から覗きこむ男の両手、両膝の間に寝ているのである。しかも、どう言う訳か背中を大きな掌が支えている。どうりで手首を掴んで引き倒された割に衝撃が無かった訳だ。きっと床にぶつかる寸前に支えてくれたのだろう。

 しかし—

 何も知らない人がこの場面だけを見たら、明らかに通報されてしまうレベルだろう。怒った大男が金髪娘を床上に組み敷いているのだ。なのになぜか、ユーフェミアはちっとも怖くは無かった。あんな目に遭ってから日も浅いと言うのに。真剣な恐ろしい目をして押さえつけられているにもかかわらず、何故か不思議に恐怖という感情が湧いてこない。

 代わりに馬鹿のように見つめ合っている。男と女で。

 しかし、しっかり握られている両手首がだんだん痛くなってきた。仕方が無いのでユーフェミアは掴まれていない方の手でとんとんと胸を叩いてみる。

「あの……ごめんなさい。勝手に人のもの触って……もうしないから手……離してくれませんか? ちょっと痛くて」

「手……? あ! うああ!」

 触れられて初めて自分のとっている体制に気づいたぜライドは、尻餅を突かんばかりの勢いで、ずざざざざざと後退あとじさった。

「いやっ、これはっ! べべべべつにお前に何かしようとした訳ではなくってだな!」

「わかってるわ。私がいけない事をしたんだから。叱られて当然だもん」

「そっ、そうじゃなくて……立てるか? 怪我はないか?」

 よっこらしょと半身を起したユーフェミアの手を、今度は壊れ物を扱うようにそっとぜライドは助け起こしてやる。

「すまん……つい……」

「へいき。ぶつけないように支えてくれたし。どこも痛くないわ」

「……」

「大切なものだったの? この箱」

「箱? ああこれか……そうじゃねぇ。これは危険物だ」

 ゼライドは難しい顔をして棚の上の箱を睨みつけた。

「危険物⁉︎」

 この美しい小箱が? ユーフェミアは目を見張った。

「それは毒だ」

 ゼライドは短く答えた。

「どく!? どくって……毒?」

「ああ、植物の研究者なら知ってるだろ? リュウノネから取れるとかって言う毒」

「リュウノネ! 神経を侵す猛毒じゃない。ハンターは毒も使うの?」

「俺は使わない。だがこれは以前どっかから送られて来たもんだ。箱を開けたら針が飛び出す仕組みになっている」

 ユーフェミアは白い美しい箱を見上げた。こんなに優美な箱に、十分で大人を殺せるような毒が入っているとは誰も思わないだろう。誰だって中にどんなきれいな物が入っているか開けてみたくなる。ユーフェミアは、誰がどう言うつもりでこんな物を贈ったのかその理由を知りたいと思ったが、ゼライドは明らかに言うつもりは無いらしい。ただ難しい顔をして箱を睨みつけている。

 おそらく彼にしてみれば、これは自分を殺す為に贈られて来たものなのだ。それだけ人に恨まれたり、邪魔にされたりする危険な仕事と言う訳だろうか。

「……だから私に触るなって言ったのね?」

 ——またしても私を守ろうとしてくれたんだ

「でもそんな危険なものをどうして置いておくの?」

「……いつか役に立つかも知れんと思って……だが、こう言う事は想定していなかった。後で処分しておく」

 ゼライドは慎重に箱を取り上げると更に高い所に置き直した。ここならどんなに頑張ってもこの娘は届かない。だから大丈夫だ、大丈夫な筈だ。

 ——おい、待て。俺はこの娘が再びこの家にやって来るいう前提で考えてねぇか?

「そんな……もう触らないわ。折角あなたの役に立つのなら、あ何も処分までしなくても……」

 ユーフェミアは乱れた髪を邪魔くさそうに掻き上げて言った。帽子はどこに行ったのだろう?

「いや今日にも処分する……っておい、そこ赤くなっているじゃねぇか!」

「へ?」

 ゼライドが目を剥いてユーフェミアの手首を指差している。何だ何だとユーフェミアが視線を落とすと、圧し掛かられて時に握られた指の跡がくっきりと手首に残っていた。

「ああ……ホントだ。このくらいへいきよ」

「ダメだ! ちょっと待ってろ。どっかにパルが薬を用意している筈だ。確か……ここらに……ええと……あった。打撲、捻挫……これか」

 部屋の反対側の棚の引き出しを何やらがさごそと掻き回していた男は、やっぱり新品の塗り薬のチューブを手に戻ってきた。この家の消耗品は全て新品なのだろうか?

「ちっとも痛くないし、薬なんていいのに……それに元々私が悪いんだから」

 ユーフェミアの言葉も聞かず、ゼルはそっとユーフェミアの手を取り、白い塗り薬を薄くのばして塗りつけてしていった。その仕草は無骨ながら繊細なガラス細工を扱う職人のように丁寧で、彼がいかに気をつけてくれているか分かる。一週間ほど前、無頼漢達にも同じような痕を体に付けられた。痕は同じでも、あの時の吐き気を催す程の不快感と、今のこの甘痒い想いとは雲泥の差である。

 ——あ……やだ。なんだろ? 異様に心臓が跳ねちゃってるんだけど……聴こえないかな? この種は確か耳もいい筈だし……

 だがゼルは薬を塗る事に集中していて、ユーフェミアの危惧に気のつく様子は無い。やがて彼は納得したのか、薬を塗る手を止めた。

「咄嗟で力の加減が出来なくてな……すまねぇ。俺みたいな男だって、あんたみたいなお嬢さんにあんなことをしちゃいけねぇって事ぐらいは知ってはいるんだ。後に残らなけりゃいいんだが……」

「の、残らないと思うわ。ただの打ち身みたいなもんだし。それに残ったって構わないわ。別にモデルじゃないんだし」

「いや、それはいけねぇ。触っても痛くねぇか?」

「うん」

「ちっこい手だな……それに柔かい。お前……本当に気をつけろよ。この間の事と言い、今日の事もそうだが。余りに危機意識が無さ過ぎる。あんた自分のことわかってんのか?」

 薬を塗り終えたゼルは今度は薄いバンテージで手首を巻いている。いささか大げさだとユーフェミアは思った。

「わかってるわよ。私はユーフェミア・アシェインコート。二十歳。学校を中途半端な成績で卒業。市立バイオテクノロジー研究所に今年から配属されて……」

「そうじゃない。外見の事を言っているんだ。あんたはきれいな若い女だ。一人で夜のフリーウェイや人の少ない市街地をうろうろするなんざ、飢えた男達にとって食べて下さいと言ってるようなもんなんだ。危機意識も自己管理もゼロだな」

「あるつもりなんですけど」

 口答えをしながらも温かい気持ちに満たされる。ゼライドはやはり見かけからは考えられないほど、細やかな気持ちの持ち主なのだ。口が悪く素っ気ないのは確かだが、自分より弱い相手を傷つけるような男ではないとユーフェミアはは確信する。

 ——私の人を見る目も案外確かなものだわ。

「あ?」

「うんそう。あるわよ、見る目」

「俺から見たら皆無だがな……よし」

 バンテージを巻き終わってゼライドはユーフェミアの手首を離した。

「でも、あなたはちっとも私を食べたそうじゃないわ」

「……は?」

「だから、そんなでも無いんだわ」

「俺は……!」

「はい?」

「その……普通の人間の男じゃないから……」

「あら、間違いなく人間だわ。調べたんだけど、野人と人間って染色体の微細な配列差なんだってね。知ったかぶりして言うんだけど、人間だって何もしなくったって、いくらかの確率で染色体異常の子どもが生まれるの。だけど彼等は立派な人間でしょう?」

「だが、その子たちは闇の中で目が光ったりしねぇだろ?」

「それはまぁ……だけど、そんなこと気にする必要あるの? とってもきれいだったのに」

「は? ちげーだろ? 俺に美意識なぞねぇが、きれいって言うのはあんた見てぇな娘っ子の事を言うんだってことぐらい知ってるぜ。髪は王冠を被ってる見てぇだし……」

 彼はユーフェミアの肩を掴んで嵌めこまれた鏡に体を向けると髪を一房掬い取り、指に絡めるとゆっくりと梳いた。長い髪は梳かれるままにするすると解けてゆく。

「それに目の色ときたら、ほら窓の外を見てみな? 日に透けてる葉っぱとおんなじ色だ……って、何言ってるんだ俺は。危機管理の話をしてたんだ。そうだあんた」

 思い出したように彼は顔を上げた。

「はい?」

「グラスを受け取ったか?」

「ええ……ありがとう。新聞紙にくるまってて何かなと思ったけど」

「不用心かとは思ったんだが……あんなことぐらいしか考え付かなかった」

「忘れたのは私なんだから文句なんか言わない。あのグラス、気に入ってたから返ってきて嬉しかった」

「何で度の入って無いグラスなんかしてんだ? 見えてるんなら却って危ねぇ」

「だってアレがないと馬鹿っぽく見えるし……いえ、馬鹿なんだけど」

「今日は外してるんだな」

「ここに来る時だけ。今もバッグに入ってるわ。あなたの前では一番馬鹿なところを見せちゃったから今更かなって……」

「馬鹿だな、しかも無神経だ」

「無神経は馬鹿よりも酷いわね」

 ぷぅとユーフェミアは下唇を突き出した。唇の裏側が桃色に濡れている。

 ——ちくしょう!

 ——何だってこの女はこんなに無防備なんだ。俺が野人と知ったのなら、野人がどう言う物かは知った筈だ。知っていて何で俺に近づいてくる? 訳がわからねぇ。おまけに、図々しいときている。油断してたら勝手に人の物を触りやがって……久しぶり肝を冷やしたぜ。もう少し俺が止めるのが遅かったら……

 考えるだけで酸っぱい唾液が湧いてくる。

 あの箱はおそらくゴクソツの誰かから送られて来たものだ。ゴクソツと呼ばれる秘密結社は、野人に対して非情な悪意を抱いている人間達の集団だった。彼等の多くは、家族や愛する者を荒ぶる野人に殺された、云わば被害者達なのだが、被害意識が暴走し、無関係の野人や野人の子どもをも危険とみなし、無差別に迫害を加えている。

 請負人として名を上げているゼライド等は彼等にとって、親のかたきのようなものなのだ。ゼライドには迷惑千万以外の何物でもないが、これまでにも数々の脅迫状や危険物が送られてきた。これまでのところ、その多くが嫌がらせの域を出ないものだった。彼等は嫌がらせはしても、家にまで乗り込んでくる度胸は無い。少なくとも今まではそうだった。

 しかし今回の箱は嫌がらせにしても金と手間が掛かり過ぎていた。高価な石の箱に入っているのは危険極まりない毒物。もし微かな刺激臭に気がつかなかったら、彼でさえ中身に危険を感じなかっただろう。嫌がらせにしては手が込み過ぎている。だから、送りつけてきた人物を調べてみようと箱を取っておいたのであるが、まさかこんな事になるとは。

 その箱を無邪気に触ろうと、背を伸ばした娘に気がついた時はさすがの彼も肝が潰れた。何も考えるゆとりもなく体が動き、娘を突きとばした。軽すぎた体重に勢いが止まらず、床に押し倒したのは予想外の出来事だったが、次の瞬間には床に広がった金の髪と驚いて見開かれた瞳に目を奪われてしまった。普段はそうでもないのに、この娘は時折、余りに印象的な表情をする。そしてそれに目を奪われてしまうのだ。

 ——馬鹿なのは俺だ。これではあの鬼畜生たちと変わらないじゃねぇか? おい、やめろ、やめるんだ。

 ごつい人差し指がふっくらとした柔かい二枚の唇の上を滑ってゆく。ユーフェミアは彼を見つめて大人しくしていた。

 ——指が、指が勝手に動くんだ。俺の意思じゃねぇ……けど……

「柔かい……」

 ——こんな柔かいモンを世間に晒して歩いてんのかこの娘は――

 危険極まりない。

 かぷ

「ん?」

 自分の指がその柔かい唇に挟まれている。……だけでなく、熱く濡れたものが指先をなぞった。

「……わ……」

 驚いて指を引き抜くと、凶器の様なそれは不満そうにすぼめられた。

「キスしてくれるかと思ったのに」

「キ……」

「友だちのキスよ」

 身を震わせたゼライドをみてユーフェミアは慌てて付け加えた。

 ——ともだちのきす? 友だちは普通キスをするものなのか? ってか、いつの間に俺達は友だちになったんだ?

「キス……されてぇのか」

 掠れた声が自分のものでは無いようで、ゼライドはその事にも内心驚く。この娘といると、びっくりするような事ばかり起きてしまう。やはり、これ以上は回避すべきなのだ。自分が間違っていた。

「ダメ?」

「う……」

 つんと顎を上げて強請るような態度に無意識に腰が引けた。だが、そのせいで却って顔が近付いてしまい、指ニ本分までお互いの唇の距離が狭まる。ゼライドはは大いに焦った。

 一方でとぼけた顔のユーフェミアもまた、心の内は軽い恐慌状態である。

 ——だって、だって唇なぞられて、指舐めて、そしたら普通はキスするもんじゃないの? 何でそんなに驚いて嫌そうに身を引くの? そんなことされたら友だちとか言って誤魔化すしかしょうが無くなるじゃない! ていうか、さっさとしてくれないと間が持たない~~

 そして二人の気まずさと戸惑いが頂点に達した時――

 端末の呼び出し音が景気よく鳴ったのだった。




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