第11話10. 野人ゼライド 3

 明かりを落とした室内でディスプレイだけがまばゆく輝いている。

 男が一人、ゆったりとしたチェアにもたれてそれを見つめていた。手には優雅な切子の杯が握られている。

 豪華だが生活感のない広い部屋。

 とこが見つめる画面は明るく発光しているのに、その中で繰り広げられている光景は陰惨で正視に堪えないものだった。映し出される画像はいくつかあり、画面が何度か切り替わる。

 撮影手段は優れたものから素人同然のものまで様々だが、中身は同じようなものばかりだ。逃げまどう男や女が血に飢えたじゅうに襲われている画像。恐怖に目を血走らた人々は、追い詰められて悲鳴をあげる間もなく喉を喰い切られ、体を裂かれて流れ出た臓腑に複数の獣が貪る。そのどれもが違う場所で撮られたカットである。

 つまり、この恐ろしい犯罪の犠牲者は何名もいるのだ。中には女が襲われる前に男達に凌辱される場面もあり、音声が消されているだけに、見開いた目に溢れる恐怖と絶望がディスプレイを通してダイレクトに伝わる。通常の人間なら数分と見ていられない映像だろう。

 だが、男は恍惚となって画面を見つめていた。口をつけられてない酒の杯が掌の中で温まってゆく。画面はいよいよ凄惨を極め、時にはレンズに血飛沫が飛び散る場面もある。

 ――と、男が急に身を起こした。それまでどんな酸鼻さんびな光景にも平然としていた男が腕を伸ばし画面を止め、指先でボードを操作し、巻き戻す。

 そこには夜の平原で二人の男に圧し掛かられた若い女の姿があった。

 まだ、少女からやっと一歩踏み出したように見えるうら若い娘だ。身に付けたシャツが破かれ、弱いライトの元に白い肌が剥き出しになった。女は激しく抵抗していた。しかし、しなやかな四肢は汚い手で捉えられ、その体が暴かれるのは時間の問題だった。娘はどこかに逃げ場が無いかと首を振っていたが、悔し涙の滲む目が一瞬カメラの方を見た。偶然だろうが男はそこで再び画像を停止させた。

 ——この女は――知っている。

 画像は粗井上に揺れがひどい。時間も場所も定かではないが、ごく最近の画像であることは疑いが無かった。この生意気そうな顔は間違えようがない。男は再び再生ボタンを押した。

 画面の中の娘は何かを決意したように突然、澄み切った表情になった。そして、髪に手を突っ込んだかと思うと何やら小さなものを取り出して、掴んだ手を振り上げる。次の瞬間、突然伸びてきた手袋をした腕がその手を受け止め、黒い影が画面を覆ってしまった。何かがカメラの前に立ち塞がったらしい。

 男は自分が涎を垂らしていることも気づかず、画面に鼻先を付けんばかりに見入っていた。いつの間にか手が股間に伸びている。彼は辛抱強く待った。しかし、次に画像が戻った時には、雑草の生えた地面しか映っていない。男は舌打ちしてディスプレイの音量を上げた。普段は純粋に視角だけで快楽を得ている男にしては異例のことである。近距離で喋っているのか、映像に比べて音声は割合明瞭に保存されている。

『うわ、汚ねぇ……涎垂らすなこの野郎、さっさと言え!』

『俺達はインセクトって言う、ただのゾクだ……』

『ゴクソツの事は? 聞いた事があるか?』

『知らねぇ。俺達はこの女が夜更けにここを通りかかるから、襲って殺せと上……シャンクとか言う男に頼まれた……だけで』

『戻って報告しろ。二度とこの娘のケツを追いかけるなとな。ゼルがそう言ったと言えば大抵の奴ならわかる』

 ——ゼル? ゼライド・シルバーグレイ。その名ならば聞いた事がある。有名な野人の一人だ。忌々しい。彼が偶然居合わせたと言うのだろうか?

 彼は再び画面に集中したが、残念ながらそこで大体終わりだった。

 やがて運転席から操作されたのかコンテナのドアが開き中から獣が這い出てきた。同時に車が発進したのだろう、映った地面が揺れ始める。

 ——くそ、もっと面白い場面があったかもしれないのに、娘はどうしただろう。ゼルと言う男は獣を倒したのだろうか?

 これだけではわからない。だが――

 ——面白い。

 男はわらった。

 どうせ下っ端だろうが、早速この画像を送って来た人物を特定しなければ。そして、口を封じてしまわなければいけない。会話から察するにシャンクと言う男の下に属する者らしい。シャンクとはおそらく幹部の一人の通り名だろう。その名には馴染みが無いが、おそらく下の者だけに通じる名称に違いない。それも調べればすぐに分かる。娘はどうやら無事だったようであるが、既に身元は割れたも同然である。

 ——なんと印象的な表情をする女だ。

 彼は何度も映像を巻き戻して、透明な決意を秘めた表情を繰り返し再生した。その夜は一晩中それを繰り返し、何度も自分を慰めた。そして、あの顔を直に見たいと痛切に願った。直ぐに行動に移さなければならない。だが、くれぐれも慎重に、軽はずみは禁物である。

 そして、夜の終わりを告げる雨が上がる直前、男は傍らの端末に手を伸ばした。


 巨大な門の下に何やら可愛いものがうずくまっている。

 両手でジーンズに包まれた膝を抱え、コンクリートのたたきに小さな尻を乗せて。モスグリーンのキャスケットを目深にかぶっているので表情は分からないが、眠っているように見えた。

 ——この女に危機管理意識は無いのか⁉︎ いくら高級住宅街だからって、早朝に若い娘が屋外で居眠りなんてしてもいいと思ってんのか、こんちくしょう! 誰か(俺じゃねぇが)ガツンと説教かまして、監督不行き届きの馬鹿親に突きだしてやらにゃ、俺の心臓がもたねぇ。大体夏とは言え、あんな薄着で地べたにへたり込んでいちゃ尻が冷えるだろう? 若い女は冷やしちゃいけねぇんだって俺でも知ってるぞ!

 ゼライドはぎりぎりと歯噛みをし、腹立ちまぎれにクラクションを鳴らす。雨上がりの湿った空気を切り裂くように高い警告音が鳴り響いた。

 途端にびくっと肩が上がり、緑色の帽子がずり落ちる。まるで小動物だ。ひょろひょろしていた視線は、運転席から身を乗り出している極めて不機嫌そうなゼルを見とめた途端、一気に焦点を結んだ。翠の目が輝きだす。

「おかえりなさい」

「お前……」

「遅かったなぁ……あれ? 違うか、朝だもんね。お早うと言った方がよかったのかな」

 娘はそう言ってどっこいしょと立ち上がると、ゼルが密かに心配していた尻を呑気そうにはたいている。

「何でいるんだ」

「酷いご挨拶ね。これを返そうと思って……」

 不機嫌の塊の様な男を前に、ユーフェミアは洒落た紙袋に包んだシャツを両手で差し出した。

「そんなもん、門扉の内側に放り込んでおけばいいじゃねぇか」

 うんざりとゼライドは受け取って後部座席に放り投げた。

「直接渡したかったのよ……この間のお礼をきちんと言いたかったし」

「じゃあ、今聞いた。服も受け取った。帰れ」

「まだ言ってないじゃない!」

「じゃあ、早く言え。そして帰れ」

「気が変わった。お礼は言わないことにします」

 翠の瞳が煌いた。少し怒ってしまったらしい。だがゼライドも動じない。

「ああ?」

「だって言えば直ぐに帰らされるんでしょ? だから、言わない」

「意味がわからねぇ。じゃお前、何しに来たんだ」

「お前じゃない。ユーフェミア」

「あ?」

「ユーフェミア・アシェインコート。私の名前」

「……ご大層な名前だな。だが、俺に聞かせてどうする」

「どうもしないわ。教えたかっただけ」

「……」

「あなたはゼル、ゼライド・シルバーグレイって言うんですってね」

 ユーフェミアは腰を折って運転席を覗きこんだ。ゼライドは名前を知られた事が嫌なのか、片手で顔を覆ってしまった。

「……そう名乗っているだけだ。俺に正規の名前なんてない」

「そうなの?」

「どうでもいい話だ。さ、もうそこを退いてくれ。気がすんだだろ? 俺は車を中に入れなくちゃいけないんだ」

 いかつい装甲を施したスポーツカーを感心したように眺めている娘を無視して、遠隔操作で最小限に開けた正面扉にゆっくり車を滑らせると、ミラーにとことこと小走りについてくる姿が映っていた。

「すごい車ね。いつもどこに入れているの?」

 娘は一生懸命走りながら話しかける。

「横にガレージがある……って、何でお前までついてくるんだ!」

「ユーフェミアって言ったでしょ? 友達はミアって呼ぶけど、あなたも呼んでいいわ」

「お前人の話聞いてるか? 俺は入って来るなって言ってるんだ!」

「あなたこそ聞いてるの? 私はユーフェミア。これで三度目の名乗りよ?」

「何度言ったって同じだ。お、おい! 勝手に入ってくるな! ガレージの前に立つな! あぶねぇだろうが!」

 ガレージの扉の前で仁王立ちのユーフェミアにゼライドは諦めたように車から下りてきた。

「全くなんだってんだ」

「この扉今ロック解除したでしょ? 何で開かないの?」

 ユーフェミアはゼライドがオートモードを切ったのを見ていたのか、自分でガレージの扉を開けようと躍起になっている。

「開くさ。ほら」

 そう言うと、ゼライドは扉に目だないように付けられた取っ手を握って、ごく簡単な操作をすると、なんと横に扉をスライドさせた。

「え? えええええっ!」

「発想の転換ってやつだな」

「ここ、こんな……馬鹿な。横に開くドア? こんなのあり?」

「古い世界のシステムだってよ。 気が済んだか?」

 ゼライドはニヤリと笑った。


 ユーフェミアは言い返せなかった。雷雲のような顔しか見せていなかった彼が初めて笑ったのだ。ほんの一瞬ではあるが。

「あ~」

 野生的な鋭い顔が、笑うと目尻に少し皺が寄っていきなり人懐こい表情になる。

 ——うわぁ、人間って(野人だけど)ここまで変わるもんなのかな? いつもの鉄面皮と全然印象が……

「なんだ。どっか痛いのか。ぼんやりして」

「え? やっ……いいえいいえ、だけどすごいシステムね! 誰か見破った人いる?」

「一人もいねぇ。もっとも、門を超えてきた時点でティップにつつかれるのがオチだが」

「ティップって?」

 背後にかすかな風の動きを感じて振り返った途端、小さな影がものすごい勢いで突進してユーフェミアの前髪を掠めた。

「きゃっ!」

 ゼライドがさっと腕を伸ばして影を遮る。

「……こいつだ。ティップ……ティプシー」

「これ、これって……獣? 確か、ティプシロクス」

 ユーフェミアは尻餅を突きそうに驚いたが、何とか踏みとどまれた。ゼライドの肩には鋭い爪と嘴を持つ鳥型の獣が乗って、羽を畳みこみながら、主に劣らぬほど胡散臭そうにユーフェミアを眺めていた。

「そう言う名前みてぇだな。俺はティプシーって呼んでるが。こいつは俺にしか懐かない。俺がいるから、あんた引っ掻かれずに済んでるんだぜ、な?」

「ギャギャ?」

 獣は顎を撫でられてとぼけた様子で首を傾げた。仲良しらしい。

「あなたティプシーっていうのね? はじめまして。私はユーフェミア。悪い人間じゃないから今度からつつきに来ないでね。それじゃお邪魔します」

 ユーフェミアは鳥型の獣に微笑みかけると、すたすた遠慮せずに屋内に入った。前の記憶が新しいので大体の間取りはわかっている。

「おい! 誰が……」

 入って良いと言った! と言う声を背中に聞きながらユーフェミアはどんどんホールの奥へ進む。どういうわけかセキュリティは働いていない。空飛ぶ門番のおかげだろうか?

 ——何とか突入成功! よくやったわ、私!

 本当は冷や汗ものだったのだ。今も心臓がバクバクしている。

 こんなにドキドキしたのは学生時代に受けた口頭試問以来かもしれない。暴力をふるわれはしないと信じていたが、いつ彼が怒って摘まみ出されても不思議でないような事ばかりやらかしているのだ。虚勢を張って馬鹿娘の振りでもしないと、へたり込んでしまいそうだった。今だって膝ががくがく震えている。

 ——だけど一週間近く早起きして待ち続けた甲斐があったわ。

 彼との出会いが未明だった事を受けて、ユーフェミアは押しかけるのなら早朝だと勝手に決め込んでいた。

 請け負い屋など、危険な仕事をしている男なら夜働いて、朝帰って来る事も多いだろうと思ったのだ。さすがに前の事件があったので、夜が明け染めてから家を出た。そして考えられる限りの武装をし、怪しまれないぎりぎりの所に車を止めて待っていたのだ。

 ——でも、今日はそんなに時間がない。仕事は行かなくちゃだもの。

 ウェイと食事をした次の日、上司で室長のクロイツ・バルハルトに頼み込んで、勤務シフトを一週間だけずっとレイトに変更して貰ったのだ。勤務時間は基本的に六時間だから、レイトと言うのは昼前から夕刻までの勤務を言う。逆にアーリーならば早朝から昼過ぎまでの勤務であり、通常はこの二つの勤務形態を適切に組み合わせるのだが、この時ばかりは姉の御威光がありがたかった。禁じ手なのは重々わかっていたが。

 そして待ち続けて七日間。

 雨上がりと共に訪れる夜明けの光が街を照らす頃、車に乗ってアパートを出、近くの公園の脇に停めてこの家まで歩いてくる。そして大きくて背の高い門扉の陰で彼の帰りを待つ。勤務時間ぎりぎりまで粘って出勤する毎日。今日がレイト出勤の最終日だった。

 ーーギリギリセーフとはこの事だわ。

 朝早いのと夜遅いのとで、ユーフェミアは実のところ疲れ切っていた。万が一自分がいない間にゼライドが家に戻ったら、呼びだしても絶対に出てこないのは目に見えている。会おうとすれば彼の帰宅の瞬間を捕まえるしかないのだ。

 だからユーフェミアは頑張った。

 仕事にも誇りを持っているから、クオリティも落としてはならない。せっかく夜光花の開花まで観察させて貰ったのだ。勤務シフトの事で我儘を言ったのだから、これ以上無様なところを見せる訳にはいかなかった。

 ホールを横切ると、勘にまかせて右に折れる。廊下の突き当たりの小奇麗なドアを開けると、案の定そこはキッチンだった。ゼライドがその気になれば、数歩で追いつくだろうが、ここまでは阻止されてはいない。

 キッチンは広くて明るかった。しかし――殆ど使われた形跡が無い。ユーフェミアは無礼だとは思ったが素早く巨大な冷蔵庫を開ける。

 ——あ、あたし部屋のと同じだ。

 つまり、飲み物以外は殆ど何も入ってないと言う事である。

 ユーフェミアが珍しそうに眺めていると、いきなり腕を後ろへ引っ張られ、目の前で冷蔵庫の扉がばたんと閉じられた。

「こら、大概にしろ! いい所のお嬢様がなに、人ン家の冷蔵庫を漁っている! 第一、俺は入っていいと言った覚えはねぇ!」

 ゼライドは非常に不愉快そうに怒鳴った。

「あ、そうですよね。すみません、つい好奇心が勝ちました。こう見えても研究者なもので普段なにを召し上がっているのか気になって……でもご迷惑をおかけしました。じゃあ出て行きます」

 一気に言い切ってお辞儀をすると、ユーフェミアは来たばかりの扉の方へしょんぼりと背中を向ける。これ以上やったらさすがに嫌われると気がついたのだ。

 しかしそれが、いかつい男を面喰わせたらしい。

「え……あ?」

 ーーなんなんだこの女。さっきまでごり押しで責めていたのに、急に態度変えやがって、俺なんも常識外れたこと言ってねぇよな? ってか、普通の人間なら恐れるか避けるかする俺に、なんでこんなに気安いんだ? そんで引っ掻き回した揚句、あっさり出ていくだと? だが、まぁ……これで、ん?

 くるるるる

 ゼライドの良すぎる耳が微かだが奇妙な音を拾った。

 きゅるるるる

「きゃあ!」

 今度は盛大な音を立てたお腹を抑えてユーフェミアは真っ赤になった。

「ごめんなさい!」

 しょげて見せたのは、引きとめて欲しい為の渾身の演技だったが、腹の虫はそうではない。ユーフェミアは狼狽の余り、真っ赤になって駆けだした。こんな一世一代の大博打の場でBGMが腹の虫だなんて、一応淑女たるユーフェミアの心は折れそうになった。

 ——いくら早起きしてご飯抜きだからって、よりにもよってこんなところで……私の馬鹿! あほ! 間抜け!

「……なんか食ってくか?」

 気の抜けたような声が掛けられ、ぴたり、とユーフェミアの足が止まる。

「腹減ってんだろ?」

 おそるおそる振り向くと、げっそりと肩を落とした男と目が合った。

「そうだけど……いいんですか?」

「今更遠慮するタマかよ? 来な」

「……」

 ユーフェミアは逸る気持ちを抑えてついて行った。しかし、冷蔵庫には飲み物しか入っていなかった筈だ。一体どうするんだろうと興味津々で見ていると、キッチンに戻ったゼライドは、ビルトインの戸棚からレトルト食品をいくつも持ってきた。圧縮パック入りの保存用のパンもある。

「買い置きしておくの?」

 ユーフェミアは勧められもしないのに、カウンター前の椅子に座って聞いた。座ると被っていたキャスケットを脇に置く。するすると滝のように流れ落ちた金の髪が暫し男の目を奪った。

 ——躾がいいんだか悪いんだかわからない女だ。

 ゼライドは呆れた。

「俺がか? まさか。頼みもしねぇのにパルが勝手に置いて行くんだよ」

「パルって……もしかして恋人?」

「俺のエージェントだ」

「ああ……」

 そう言えばデータベースにパルミナ・ニールセンと言う名があった。女性の名前だったので印象に残っていたのだ。パルと言うのは愛称だろう。

 ——つまり愛称で呼ぶほど親しい仲ということ?

 色々聞いてみたいのをユーフェミアはぐっと堪えた。せっかく彼が思いがけず親切なことをしてくれていると言うのに、うるさく聞いて不興を買いたくはない。その間にもゼライドはレトルト類を取り出して、これ又いつの間にか出してきた皿に手際良く空けてレンジに放り込んでいる。レンジは数種類もの料理を一度に暖められる最新型だ。

「うわぁ……美味しそう」

 あっという間に幾つもの皿が目の前に並べられた。赤いスープと、焼き立ての様に香ばしい匂いのパンが湯気を立てている。

「イタダキマス」

「なんだそりゃ」

「姉さんから教わったの。食べる前にはそう言うもんなのだって」

「ふぅん」

「あなたは……食べないの?」

「俺はコーヒーだけでいい」

「そんなに大きな体なのに、お腹空かないの?」

「……もう喰った。さぁお前も食え」

 ゼライドは脇に視線を流しながら言葉を濁した。

「ど……」

 どこで? そして誰と? と聞きそうになって、ユーフェミアは堪えた。

 ——いけない。知りたがりの虫がお腹で暴れ回っているわ。この人はまだ私に気を許していない。

「……いつからいたんだ?」

 今度はゼルの方から聞いて来た。

「夜が明けてから。ちゃんと用心したわ。警報装置だって最新型を持ってたし」

「まさか、お前あれからずっと通ってた?」

「ええ。正確にはあの事件から二日後からだけど」

「……」

 ——今朝が七日目だから、五日間も通い詰めていたと言う事になるのか。

「何でそんな事をする?」

「わからないわ。でも興味があったの」

「興味?」

 ゼライドは出来上がったコーヒーをカップに注いだ。驚いた事に彼が砂糖をひとかけらコーヒーに落としこむのをユーフェミアはしっかり目撃していた。この男はこの見かけで、もしかして甘党なのだろうか? 聞く勇気はないが。 

「……あなた野人なのでしょ? あの時瞳が光ってたもの」

「だからなんだ?」

 ゼライドは挑戦的に問うた。

「私……初めてで」

「野人を見たのがか? 俺達はあんたみたいなお嬢様とは関わりが持たないからな」

「きれいだと思ったの。すごく」

「は? キレイ? 何が」

「瞳が……今は水色なのね? でもあの時は銀色……青っぽい銀色に光ってとってもきれいだって思ったの。暗い闇の中でそこだけ輝いて……だから……」

「又見たいってか? 勘弁してくれ」

「……私、植物の研究をしているの。まだ駆けだしだけど……。と言う訳ではないけど、珍しい生き物は何でも好き」

「確かに珍種だよな、俺は! なら、俺の目をえぐり出して防腐液に浸けこんでおくか? それとも組織を取り出し、シャーレで培養でもして顕微鏡で見るかい?」

 自分を貶めるようる投げやりな言い方。ユーフェミアは自分の言葉の至らなさをたちまち後悔した。

「そんな言い方をしないで。生き物なんて言って悪かったわ。ごめんなさい。私、あんまり言葉を知らなくて、姉にいつも叱られるの。でも……そうね、見たかったのは確かなの。違う、見たかったんじゃないわ。会いたかった……とても」

「……」

「本当なの。私は会いたかったの……あなたに」

 言葉を紡げないゼライドに畳みかけるように、ユーフェミアは繰り返した。




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