第3話  2.闇の邂逅 1

「いや! 誰よあんたたち! なにするの! やめて!」


 ユーフェミアは、自分を車の外に引きずり出そうとする男の手を振りほどこうとした。

 しかし、二人の男たちは無言で彼女をフリーウエイの外に広がる平原へと引っ張ってゆく。ここだけ壁が途切れているのだ。

 振りほどこうと大騒ぎした時に頭に巻きつけていた三つ編みが解け、眼鏡グラスも鼻の頭までずれてしまった。

 さっきまで禍々しくこちらを向いていた銃口は、今はもう見えない。

 小柄な女一人、意のままにするのに銃など必要ないのだろう。現に抵抗むなしく、非力な娘はつんのめりながら夏草の茂る平原を歩かされている。

 真夏の夜の生温い風が不吉な予感を運ぶ。乾いたブッシュのざわめきですら、冷めた群集の嘲笑の響きにも似て。

 遥か向こうの空の下にゴシックシティの灯りが見えている。

 かつては不夜城と言われ、街を取り巻く土星の輪のようなハイウエイや、魔天楼が林立したきらびやかな都市も、今ではその明るさは全盛期の半分くらいまでになっている。

 しかし、それでも闇に塗り込められたような空と平原の中でそれは、確かなオアシスには違いなかった。

 郊外のフリーウエイは燃料節約のため、街灯は三つおきにしか灯っていないし、道路に塗られた蛍光塗料は車のヘッドライトにこそ浮かび上がって見えるが、本来その物自体が発光する物質ではない。おまけにもうすぐ雨の時刻なので、月も星も隠れたままだ。ユーフェミアがどんなに目を凝らしても、狼藉者のシルエットはわかっても、彼らの顔までは分からなかった。

「離してよ! 何が目的なの!?」

 雨が降るとわかっている時刻に、こんな壁外に出てゆく者など普通はいない。何か目的があるならいざ知らず、若い女性ならば街中でさえ、この時刻に外出しているものはいないだろう。

 ましてやここはゴシックシティの正門、フォザリンゲートまでまだ五キロはある郊外だ。もし彼らの目的が婦女暴行なら、いや、百歩譲って強盗だったとしても、こんな場所で網を張るのは採算に合わない筈だ。

 そう。極めて重要な目的のある者以外に、こんな時刻にこんな場所で車を走らせているなんてありえない。

 まともで善良な普通の市民ならば。

 ——なによ姉さん! 治安の回復は公約だったじゃなかったの? なんなのよ、このザマは! ちゃんと仕事してくれているの?

 自分が運が悪いのか? それともこの街と周辺の治安が余程悪くなっているのか。

 多分両方だろう。


 ユーフェミアは思い切り奥歯を噛みしめ、パニックになるまいと踏ん張った。

 しかし、彼女の細い両手首を掴んでぐいぐいと引っ張ってゆく男の指は、緩むどころか益々強く締められる。彼はそんなユーフェミアを振り返らないし、例え振り返っても何とも思わなかったに違いない。

 ユーフェミアを掴んでいる男はがっちりして背が低く、少し先を行くもう一人はやや痩せ型の中背だ。二人とも深い色のツナギの様な衣服を身につけている。

「言っとくけど私、お金なんて持ってないわよ!」

 精一杯絞り出した声はやや震えていたが、男達はやはり何の注意も払わずフリーウエイから少し外れた藪の中にユーフェミアを放り出した。

「お嬢ちゃん。あんたが文無しだってなんだって、その顔と身体がありゃ、男の考える事は一つだろ?」

「なっ……乱暴目的で襲ったって言うの? こんな時刻なのに?」

「いいところ突いたねぇ、お嬢ちゃん。俺たちは言われたとおりにすりゃ、末端価格百万イン分の<ナイツ>を報酬として頂ける。これがすげえ魅力的だってこたぁわかるよな。俺の個人的な意見としては、せめてヤる前に色々教えてやりたいところだが、あいにく俺達も何にも知らされていないのさ」

 <ナイツ>と言うのは、この街に密かに蔓延はびこる麻薬だ。安価ではないが、目の飛び出るほど高価な品ではない。少し金を積めば安易に手に入る。そう、こんな風に危ない橋を渡るくらいの勇気があれば。

「なに? なんですって⁉︎」

 ユーフェミアは息を呑んだ。

 と言う事は、自分は襲われるべくして襲われたと言う事か? しかし、誰が何の目的で? と言うか、ヤるってどういう意味なのだろうか? 遣る……ではない事は間違いないが、犯るのか、それとも殺るのか? どちらにしても不愉快極まりない選択だ。

「悪ぃな、姉ちゃん、諦めな」

「嫌よ!」

 なりふり構わずユーフェミアは叫んだ。大きな声を出さないと恐怖に飲みこまれてしまいそうになるからだ。

「なにかの間違いだわ! 私が狙われる理由なんてない! ただの下っ端の研究者よ? 学校卒業したばっかりで使いっ走りばっかりよ! なんであんた達に襲われなくちゃいけないの?」

「言ったろ? 雇い主のこたぁ俺達は知らない。けどな、そんなもんがなくったって、その見てくれだけでアンタは十分男に襲われる理由にはなるぜ? な? ピート」

「ああ、ダニイ。やっぱそう思うよなぁ」

 ダニイと呼ばれた男の言葉に、前を歩く痩せた方の男が初めて振り向いた。嫌な笑いを浮かべている。

「俺もそう思ってたとこ。かなりの美人だし、体もいい。どうせやるにしても、このままじゅうに喰わせるのは勿体ない」

「じゅう……? 喰わせる? なんのことを言ってるの?」

 獣とは深い森の奥に住む、ケダモノの総称である。そのほとんどが凶暴な肉食獣だ。ユーフェニアはぞっと身を震わせた。

「獣にあんたを喰わせるって、言ってんのさ。けどその前にやることを見つけた」

「……」

 聞きたくない。ユーフェミアは自分の脳が縮み上がるのを感じた。咽頭がぎゅっとすぼまり、息ができない。

「わからないのか? あんたかなりの別嬪さんじゃないか。だから獣に喰わせる前に俺達が喰う。ほらあそこ。見な」

 ダニイが指差した方向にはそれまで気付かなかったが、一台のトレーラーが停まっていた。

 暗闇の中でフリーウエイのライトを受けて金属が僅かに鈍く光っている。

 街の外で道から外れるのは軍か、許可を受けた業者の車に決まっている。こんなものが人の目に触れたら直ちに通報されるだろうから、昼間は荒野のブッシュの中に隠しておいてあったに違いない。それほど大きくないトレーラーだから、難しくはなかったのだろう。

 彼等は絶句するユーフェミアの腕を引っ張りながらどんどん進み、コンテナの裏に回った。

「ほら……見なよ。ビジュールだ。可愛いだろう?」

 男がコンテナの扉に付いた小窓を開けた。するといきなり暗闇の奥から何かが勢いよくぶつかり、ガッキと硬質な音が鳴る。

 ひいっと後ずさったユーフェミアを支えて、男は愉快そうに呟く。小窓には硬質ガラスが貼ってあるが、それでもその奥に光る紅い目がちらりと見えた。


 ビジュール。


 それは優雅な曲線を描く尾を持つ、二足歩行の美しい生き物。そして動くものには何でも襲い掛かる危険極まりない獣。

「こ、こんなもの……どうして!?」

「確かに珍獣だな。いい値で売れるんだそうだが、俺たちだって見たのは初めてだ。素早いので滅多につかまりゃしねぇし。さ、だが、早くしないと雨になっちまう。その前にやらないと」

「ここの草の上が柔かそうだぜ……それにカメラの位置とも合う」

 もはや体が動かないユーフェミアの肩を掴み、ダニイはコンテナの扉に取り付けられたカメラを見上げた。普通ならバックモニターとして使われるもののようだ。これで撮影しようと言うのだろう。

「ははは……そら!」

 ダニイは愉快そうに笑って大地に突きとばす。眼鏡グラスが草むらに転がるが、構わず逃げようとしたユーフェミアの足を掴んだピート圧し掛かり、ダニイは頭の上で両手を拘束した。

「い、嫌だ……やめて……やめて!」

 情けなくも泣き声になった。普段人前で泣く事など、決してしないユーフェミアなのに。

「すまねぇな、お嬢ちゃん。あんたはこれから二人のならず者に犯されて、コンテナ内部でビジュールに喰われる。その後雨が降って朝方に惨たらしい食いカスとなって発見されるっていう筋書きだよ? 何もビジュールでなくたっていいと思うんだが、依頼者の趣味らしい。ビデオ撮影の準備もばっちりだ。変態もここに極まれりってとこだな。俺たちでさえ、悪趣味だと思うぜ」

 男はいい気になってべらべらとしゃべった。

「や……や……」

 体をよじり、必死で首を振って抵抗するも髪が解けるばかりで何の効果もない。白い開襟シャツの胸元に指が掛かるや否や、一気に引き破られ、柔かい肌の上をおぞましい指が這いまわった。初めての感触。

 不潔な指から胸糞の悪い温度が伝わり、気持ちの悪さに吐き気がした。両手首を掴んでいた男の手も、もう拘束する必要もないと判断したのか、頭の上から圧し掛かられて、下着の上から乳房を鷲掴みにしている。

「やめろぉ〜っ!」

 ユーフェミアは天に向かって絶叫した。

 ——嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 涙が溢れてきたが、視界に広がるのは夜と言う名の闇。やっと研究者として一人立ちしたばかりだと言うのに、こんな所でこんな奴らにいい様にされ、その上、獣に喰い殺されて人生を終わらされてしまうのか?

 ——馬鹿な!

 やっと人生の目標を見つけたと思ったのに。

「ふざけるなああああああーーーーーー!!!」

 そんな――そんなことありえない。

 男がベルトが外す音がやけにはっきり聞こえる。

 ——おちつけ、何かできることがあるはず……このままこいつらのなぶりものになったりしない!

 ユーフェミアは男達が胸や腹を弄《》まさぐっている間に、豊かな髪に指を突っ込んで、唯一の装身具の飾り櫛に仕込んだ小さなやいばを抜いた。

 それは家を出る時に、姉が護身用だと持たせてくれたものだ。

 姉──どこまでも優しく寛大で、そして抜かりのないゴシック・シティの市長、エリカ・サイオンジ。

 要らないと突っぱねたのに、お守りだと言って無理やり押しつけられたそれは、大きくても軽い素材でできた櫛だった。たっぷりしたユーフェミアの髪でもよくまとまりデザインも気に入ったため、結局は愛用している。つまりは姉は彼女の事を知り尽くしているのだ。

 ——姉さん!

 ユーフェミアの脳裏に怜悧で落ち着いた姉の姿が浮かんだ。その表情はほんの少し困ったような微笑みを浮かべて自分を見つめている。

 皮肉なものだ。あの完璧な人から独立しようとがんばってきたのに、結局あの人の言う通りになる。笑えるくらいに。自分は追いつけない、もう一生。

 ——だけど、こんな辱めだけは受けたくはない。

 ユーフェミアは手の中で小さな刃を確認した。

 親指ほどの刃渡り。一瞬これで刺してやろうと言う考えが浮かんだが、こんな小さな武器で男二人が怯む程の手傷を負わせられる訳もなく、直ぐにその考えを打ち消した。仮に一人を負傷させたとしても、男達は逆上し、凌辱は更に惨いものとなるだけだろう。唯一の武器も取り上げられるに違いない。

 だから、この刃の役割は一つしかない。

 ——私はあんた達の好きにされたりなんかしない、絶対に。

 ユーフェミアは闇の中でかっと眼を見開いた。

 鋭利な切っ先は黒く塗りつぶしてあるため、光りはしない。

 絶望に駆られた娘はひと思いに喉を掻っ切ろうと、自由になった片手を振り上げた。




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