第4話 3.闇の邂逅 2
「臭うな……」
ゼライド・シルバーグレイは流線型をした車のスピードを緩めた。滑るように路肩に停まった銀色のオープンカーを扉も開けずに飛び降りる。
普通ならハンドルやタイヤを厳重にロックしなければ、すぐに盗まれてしまう高価な車であるが、彼は気にとめることもなく駆け出した。駆け出して直ぐ最高速度に達する。黒いコートがはためきもせず、凶鳥の尾羽のように後ろに流れた。
「ふん、ビジュールだな。これはラッキー」
ゼライド――ゼルは、生ぬるい夜気を大きく吸い込んだ。彼の嗅覚は人間の倍ほど鋭い。もっとも他とは比べようのない事だから正確には分からないが。
ビジュールとは
爬虫類形だが二足歩行で、その姿はほっそりした女性の様でもある。金属質な紅色の鱗におおわれた全身は芳香を放ち、高価な香料の素材としても使われるし、皮革としても珍重される。また、肉も美味で歯や爪までも美術品として加工され、捨てるところが無い貴重な生物だ。
しかし、その性質は非常に獰猛で動きも素早く、獣としては知能も高いのだ。しかも、常に集団で狩りをする為、例え成人男性でもターゲットにされたらまず助からない。銃火器武器を持っていても、中型の銃では太刀打ちできないほど彼らの狩りは組織的に行われる。
——だが、何でこんな所にビジュールがいる? ……これはエンジン音。大型車か、トレーラーってところだな。成程、車でビジュールを運搬していたんだな……あ、停まった。人間……若い男二人……こっちにやって来る。
ゼルは身を低くして夜の平原を狼のように駆けぬけた。
ビジュールは捕獲や運搬が厳しく規制されている獣だ。雨も近いこんな夜に車一台で運ぶなど、堅気の人間や企業のすることではない。つまり、人間と獣、どっちを捕獲しても自分の利益となるということだ。彼はハンターなのだから。
「やっぱりラッキーだ」
ゼルは不吉に笑って呟くと疾走する足を止め、車を下りてこちらにやってくる男達の動向を見定めようと藪の中に身を顰めた。
黒い
——お、反対側から又一台来る。普通車だな。これか、奴らの狙いは。
ゼルが来たのと同じ方角から一台の白い車が街へと向かってくる。この闇夜に特に急ぎもせずのんびりとした走行だ。罠にかかる前の獲物というところか。
——運転しているのは女だな。あ~あ、何やってんだ馬鹿、そんなに死にたいのかよ。
ゼルの思った通り、白い車は、大きな身振りで路上に飛び出した男達を前に急停車した。そして彼らは車に銃を突き付け、小柄な女を引き摺り出す。女は果敢に抵抗しているが、虚しくフリーウエイの外に連れ出されてしまった。
——まだ若い女だ。気の毒に、目を付けられたか。だが何で女がこんな一番妙な時刻に街の外にいるんだか。犯してくださいと言っているようなものだろう? まぁ、俺には関係ねぇが。だがビジュールとの関連はなんだろう?
ゼルは距離を空けて慎重に身を隠しながら、彼等の後を追った。
——さて、どこでどうするか、暫く観察させて貰おうか。
程なく小型のトレーラーが見える。男たちが乗ってきたものだろう。特徴のあるビジュールの臭いはそこから漂ってくる。それほどきつくないから、エアダクトから漏れてくるのだろう。中にはおそらく一匹。
ゼルは周囲に注意を払いながら距離を詰めてゆく。
突然甲高い悲鳴が聞こえた。この拉致が計画的なのは明らかだが、女には状況が飲みこめていないらしかった。どう考えてもこの時間に外にいると言う事は、この女も善良な一市民とは考えにくいが、それにしては初心な反応である。抵抗する度に髪が解け、夜目にも見事な金髪が豊かに背中に流れた。
——やれやれ可哀そうに、あっさり押し倒されちゃったな。さて、面倒な。
ざっと考えた感じでは、男達を殴り倒してトレーラーごとビジュールを頂き、悪漢どもを当局に投げ込んだ後、ビジュールを闇の流通業者に売り飛ばすのが筋だろう。女は別にどうでもいい。一応助けた事にはなるのだから、後は自分で警察にでも駆けこめばいい。彼女の車もハイウエイに残ってることだし。
簡単に決めたゼルがそろそろ行くか、と一歩踏み出したその時。
組み敷かれた女は指を頭髪に突っ込み、小さな何かを取り出した。髪飾りかと思ったらその櫛の部分が抜け落ち、鋭い刃が現れたのだ。
そして彼が見たものは。
不吉な刃を見つめる不思議なほど澄んだ美しい瞳。
あ、と想う暇もなく、彼女は腕を振り上げると刃を自分の喉に向かって振り下ろした。
ゼルが自分で気がついた時には既に体が動いていた。女が振り下ろした小型の刃物は思った通り非常に鋭利で、受け止めたゼルの掌に鋭く食い込む。だが、彼は構わずにもう一方の腕を薙ぎ払った。
「!」
「え……? ひ……ええっ!?」
引き裂いたシャツの上から乳房を掴んでいた男がいきなり吹っ飛び、向うの丈の高いブッシュの中に音を立てて頭から突っ込んでゆく。
「な! ……ぐげぇ」
下から女の下衣を下ろそうとしていたもう一人が相棒が急に消えてしまったのに驚き、顔を上げた途端、喉を鷲掴みにされてヒキガエルの様な音を漏らす。そのまま吊り上げられて、じたばたと短い脚が宙を掻いて暴れた。
「お前……どこのもんだ」
ゼルは喉に食い込む僅かに指を緩めて尋ねた。薄い唇の奥に犬歯が白々と光る。
「ぐ……ひぃ」
「言わねぇと、このままへし折るぜ。あ、それか、顎を砕いてやろうか? 一生トーフしか喰えねぇ体にしてやってもいい」
「たっ……たすけっ!」
「あ? ムスコさんはすっかりおとなしくなってるぜ? ついでに握りつぶそうか?」
「ひぃっ! 言う! 言うか……ら、こ、殺さないでくれ! た……たのむ」
自分を軽々と吊り上げる全身黒ずくめの男。この闇の中で黒いグラスの下の酷薄な唇が笑っている。
「うわ、汚ねぇ……涎垂らすなこの野郎、さっさと言え!」
「俺達はインセクトって言う、ただのゾクだ……」
ゾクと言うのは不良グループに毛の生えた程度のチンピラの集団を言う。もっと大きな犯罪組織の下請けの様な仕事をしているような連中が、勝手な名前を付けて意気がっているだけのつまらぬ集団だ。
「ゾク? 本当か? ゴクソツじゃねぇか?」
ゼルは自分を敵とみなす組織の名をあげた。
「し……らねぇ……ゴク……ソ?」
男は本当に知らないように、ガクガクと首を振っている。
「知らないならいい。だったらなんで、この女を襲ったんだ?」
ゼルは女の方へ顎をしゃくった。ちらりと見えた女は破れた服を何とか掻き合わせ、尻餅をついたままこちらを見上げているようだ。おそらく動けないのだろう。
「それも……しらねぇ。俺達はこの女が夜更けにここを通りかかるから、襲って殺せと上……シャンクとか言う男に頼まれた……報酬はナイツだ。<ナイツ>をたんまりくれるって言うから!」
「ふぅん……」
ゼルにシャンクという名前は聞き覚えはなかった。どうせ偽名だろうし、顔だってわからぬようにしていただろう。この男たちがゴクソツと繋がっていないのはどうやら本当らしいし、だったらこんな奴らにもう興味はない。ゼルはさっきと同じように男を放り投げようとした。
だがその瞬間、芳香がどっと鼻腔に流れ込むのを感じた。ビジュールの匂いだった。
「他に何を知ってる? 洗いざらい言え! すぐに!」
ゼルは闇の中に獣の殺気を感じとりながらも再び指先に力を込めた。
「ひっ! 言う! 言うよ! 多分その女は、何かの組織の一部なんだろ?! 一番狙いやすそうだからターゲットにされたんだよ!」
「組織?」
「そ、そうだ。けど、俺は詳しくは知らない。本当に頼まれただけなんだ」
いったいどういう組織だ? ゴクソツではない別の組織か? それにしてはスレてない女だが。
「他には?」
「もうない! 本当だ! 助けてくれ」
「ふん……なら戻って報告しろ。二度とこの女のケツを追いかけるなとな。ゼルがそう言ったと言えば、大抵の奴ならわかるはずだ」
「ぜる……? わ、わかった。誓う、もう二度としねぇ」
「ふむ……ん?」
ガガガと耳障りな音がする。目を向けると、向こうに停まったトレーラーのコンテナの電動シャッターが上がってゆくのが見えた。その中はやはり闇だった。
しかし、何も見えない空間に禍々しく光る赤い光が二つ。
森の獣、ビジュール。
「ち……うっかりしてたぜ。さっきの奴が息を吹き返したんだな」
おそらく、こそこそと反対側からトレーラーに戻り、運転席に這い上がって中からコンテナを解放したのだろう。それはまだ開ききってはいないが、僅かな隙間だけでこのしなやかなケダモノには充分な空間なのだ。
ドルルルルッ!
ビジュールが表に出たと見るや、仲間を見捨ててトレーラーは走り去ってしまう。車のくせに慌てふためく様がものすごくよくわかった。
「お、おいっ……おおい! 待てよ、待て! ダニイ、ダニイ――ッ!」
男の絶叫が引き金になったか。
惚れぼれとする跳躍力で、美しい野獣は宙に舞った。明らかに彼らを獲物と見定めた捕食者の自信に満ちた跳躍。二つの赤い双眸がゼルの真上に舞い上がる。
次の瞬間には力強い後ろ足が狙い過たず獲物を薙ぎ倒し、鋭い鈎爪を持つ前足が喉笛を掻き切る筈だった。
だが――
もんどり打って地面に叩き付けられたのは、しなやかな爬虫類の方だった。長く細い首はこの獣の唯一の弱点と言っていい。そこをセルが鷲掴みにしているのだ。獣は首ごと地面に縫い止められ、長い尾と、力強い後ろ足が激しく宙を泳いでいる。
このビジュールはまだ若いのか、大きさは小柄な人間並みだが、獣は獣だ。それを片手で押さえつけるなど、尋常な力ではない。隣の地面には何が起きたか理解できないまま、硬直している男が這いつくばっていた。ゼルが獣の代わりに投げ捨てたのである。
「生け取りにしようかと思ったんだが……この状況じゃな」
まるで野良犬を捕まえた程度の呑気な言い草だが、獣の方は死に物狂いで暴れ狂っている。ゼルは非常に面倒くさそうにもう一方の手で黒い
ああ、その眼は――
闇に浮かび上がる青白い輝き。獣の凶眼よりも恐ろしい光を湛えながら。
魅入られたように暴れる獣の動きが一瞬止まった。直後、ごきりと不気味な音が響く。激しくもがいていた獣の両足が急に引きつり、そのまま二三度痙攣してからどさりと地面に延びた。
「やれやれ。だがどうやって運んだもんだか、トレーラーは逃げちまったし、俺の車じゃ目立つし……おい……って、ああ?」
「ひ、ひいいいっ! たっ助けてくれ、バケモノ、化け物だ~~」
へたりこんでいたずんぐりとした男はゼルと目が合うや否や、這うように後退していく。何とか立ち上がったかと思うと、
「ち、逃げやがった。面倒くせぇ……けど追いかける気にもならんし。あ、そうだ」
ゼルは思い出したように振り向いた。
佇立する彼から十モル《メートル》先の地べたに腰を抜かしてこちらを見ている女がいたのだった。
娘は引き裂かれたシャツを胸元で握りしめているが、夜目にも鮮やかに真っ白い首と肩が浮かび上がって見えた。
「まだいたんだお前?」
ゼルは冷たく嗤いながら
娘がこれほど恐怖に怯えていなかったら、彼の指が震えているのが見て取れただろう。
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