四年に一度しか咲かない花

乙島紅

四年に一度しか咲かない花

 僕のクラスには花がある。


 二つの意味でのだ。


 一つは、flowerの花。美術部員の筑波つくばさんが世話している花が、教室の後ろのロッカーの上に飾られている。デッサンで使うらしい。その辺に生えている野花から、コンサート会場の入り口に飾ってあるような高そうな花まで、色んな花が毎日教室に色を添えている。


 もう一つは、比喩としての花。その筑波さんのことだ。自然な茶色のふわっとしたボブヘア、小動物みたいな黒目がちの瞳、何か言いたげにぷくっと膨らんだピンクの唇。他の女子みたいにキャーキャーうるさいわけでもなく、いつも控えめに笑っていて、おっとりとした口調で話す、どこかマイペースな女の子。


 率直に言うと、僕は筑波さんのことが好きだ。


 というか、クラスの男子のみんなが筑波さんのことを狙っている。


 運動も勉強も顔も全部平均点で、姉ちゃんの持ってる少女漫画に出てくるような彼氏属性なんて一つも持っていやしない僕は不利。圧倒的不利だ。オッズ三十倍! 僕に賭けてくれる人がいるならむしろその人と付き合いたいくらいである。


 ただ、僕には一つだけアドバンテージがある。


 それは、筑波さんと席が隣ということだ。


 一週間くらい前の席替えのくじで僕は神引きをした。おそらくこの一年の運を全て使い果たしたと言っても過言じゃないだろう。それを証明するかのように直後に引いたソシャゲのガチャで爆死したけど構うものか。


 大事なことなのでもう一度言う。


 僕は、筑波さんと席が隣である。


 ……会話はまだない。


 一方で、クラスメート(男)に話しかけられる回数は急に増えた。


水戸みとさー、今日の放課後空いてね?」


「うん、空いてるよ」


「んじゃカラオケいこーぜ。まだ他のメンツ決めてないけど……」


 昼休み。僕に話しかけてきた彼は、チラチラと筑波さんの方を見やる。僕の「筑波さんも一緒にどう?」の一声を待っているのだ! 自分から誘うとあまりにも下心が見え透いてしまうので、隣の席の僕が自然に声をかけるように仕向ける作戦! クソが、もっと積極的に行けよ! ……そして、残念ながらそんなに自然に話しかける勇気が僕にあるなら、とっくに会話は盛りに盛り上がっているはずで——




「水戸くん、今日もお弁当に納豆入ってるね」


「ぅえ?」




 あああああああああああっ!!!!


 まさかの筑波さんからの不意打ち!


 会話の流れを無視して投げられた直球ストレートに、水戸捕手、受け止められずに思わず変な声を漏らす!!


 カラオケの話を振ってきた奴はクスクス笑いながら「本当だ、くっせー」などと言う! 会話を無視されたことを気にせず、筑波さんの発言に乗っかる作戦! そんなにメンタル強いならやっぱり自分で誘えよ!!


「い、いや、納豆とご飯って最強の組み合わせじゃない?」


 僕は何を言っているんだ!?


 会話を続けようと慌てて絞り出したセリフに自分で呆れる。筑波さんは別に納豆とご飯の相性の良さを語りたかったわけじゃなくて、遠回しに「毎日毎日隣で納豆食いやがって臭ぇ男だな」って言いたかったんじゃないか!?


「わかるよ。おいしいよね」


 筑波さんがにこっと微笑んだ。頰に小さなえくぼができる。


 天使ですか?


 天使も納豆とご飯食うんですか?


「ねえ、水戸くんって今日の放課後空いてるんだよね」


「あ、うん」


 話聞いてたんだ。


 そしてカラオケのくだりはなかったことにされている。ざまあみろ。


「付き合ってほしい場所があるんだけど……いいかな?」


「えっ!?」


 声が裏返る。おしゃべりに満ちていたはずの教室はいつの間にかしんとして、クラスメートたちの注目が僕たち二人に集まっている。


 丸い黒い瞳が、僕の返事をじっと待つ。


 僕は頭から湯気が噴き出すのを感じながら、蚊の鳴くような声で答えた。


「も、もちろんです……」






 そうして僕と筑波さんは唐突にデートをすることになった。デートの定義ってなんだっけ。国語の授業中に辞書を引いたら〈男女が日時と場所を決めて会うこと〉とある。そういえば場所を聞いてない。


 放課後。僕たちはクラスメートによる様々な視線——女子は筑波さんから僕を誘ったことに色めきだっているし、男子は「なんであいつが」と恨めしそうである——を全身に浴びながら教室を出た。


 止まりかけていた呼吸を取り戻しながら、僕は思い切って筑波さんに尋ねてみる。


「付き合ってほしい場所って、どこ?」


 自分で言いながら「付き合って」という言葉に僕の脳内回路はショート寸前だった。よくもまあ筑波さんはこんな言葉を平然と言えたものだ。


「えっとね、四年に一度しか咲かない花が近くの植物園にあって、最近開花したみたいだから見に行きたいの」


 どこか恥ずかしそうにもじもじと答える筑波さん。かわいい。とってもかわいい。見ているだけで昇天しそうだ。


 筑波さん曰く、滅多にないことだからたくさん人が集まっていて、人混みが苦手な彼女は一人で見に行くのに尻込みしていたらしい。なにそれ、理由もかわいい。


「それにしても四年に一度しか咲かない花なんてあるんだね。どんな花なの?」


 調べてみようとポケットからスマホを取り出そうとする僕。だけどその手は止められた。筑波さんの小さな両手が僕の手首を握っていた。


「待って。楽しみが減っちゃうから。……ね?」


「は、はい」


 上目遣いでお願いされては僕の思考は停止する。


 従順なロボットのようにおとなしくスマホを戻しつつも、またスマホを出そうとするたび筑波さんが止めてくれるのかななんて考えた僕はきっと地獄に落ちるに違いない。


「でもさ、どうして僕のこと誘ってくれたの?」


 申し訳ないけど僕はそこらへんの野花ですら名前を知らない門外漢である。


「えっと、それは……」


 筑波さんはうつむきながらぼそぼそと言った。「水戸くんなら気に入ってくれるかもしれないと思ったから」と。


 僕はこのデートが終わったら告白しようと決めた。






 正直、僕は植物園のことを舐めていた。


 小さい頃に母さんに連れられて一度だけ行った記憶のあるその場所は、母さんが子どもの頃からあるという古い植物園だ。いまどきは寂れているものだと勝手に思っていたけど、むしろいまどきはSNSでバズれば古臭ささえもインスタ映えする世の中だってことを忘れていた。その花が展示されているエリアは、筑波さんが言った通り人混みでごった返していたのだ。


「押さないでくださいー! 順番に、順番にお願いします!」


 人混みの向こうから、係員の声が聞こえる。


「筑波さん、大丈夫?」


「う、うん……!」


 背の小さい筑波さんは前後の人に押し潰されそうになりながら、スケッチブックを大事そうに抱えている。このままでははぐれてしまう。


「筑波さん、こっち!」


 僕は思わず手を伸ばす。筑波さんは一瞬はっとしたような顔を浮かべて、僕の手をとった。柔らかくてほんの少し汗ばんだ筑波さんの手の感触に、ばくばくと胸が高鳴る。


 なんとしてもこの人に四年に一度の花を見せてあげたい。そして僕はその後に告白する。完璧なプランだ。


 僕は筑波さんを庇いながらずいずいと前へ進んでいく。


 もう少し、というところで妙な臭いが鼻を掠めた。なんだ、この人ごみの中で誰かオナラでもしたのか? 空気読んでくれよ!


 また一歩近づくとさらに臭いがきつくなる。なんだこれ、オナラじゃなくて人の汗の臭いなのか?


「水戸くん、あれだよ!」


 筑波さんが指す先は、前に並んでいる人たちの頭の上を越えた先だった。そこには肌色が赤茶色にくすんだような突起が伸びている。


 え、何あれ。


「あれは付属体、花の一部」


「あんなにでかいの!?」


 人の身長の二倍くらいの高さなんですけど。


 四年に一度しか咲かない花って聞いて、真っ先に思い浮かべたのは茎の細い小さくて可憐な花だった。今、そのイメージがぼろぼろと崩れていく。


「もうすぐ見れるよ……!」


 混乱している僕をよそに、筑波さんは高揚した口ぶりで言った。


 よく見ると、前に並んでいた人たちはみんな鼻をおさえながら「おええ」なんて言って列からはけていく。嫌な予感がする。もしかしてこの臭いの正体も……。


「ねぇ、筑波さん。そろそろ教えてくれない? この花って——」


 そんなことを言っている間に、僕たちは後ろの人たちから押されるようにして最前列に出た。


 悠然と屹立するそれは、とても巨大な花だった。おそらく伸ばしたらカーテンくらいの大きさになるであろう毒々しい赤い花弁を天に広げ、その中心から太くて長い付属体が突き出ている。


 そして何より臭い!! 腐ったイカのスルメのスメル!!


 あまりの臭さに顔をしかめる僕とは違って、筑波さんはきらきらと目を輝かせながら花を見上げて言った。




「この花はね、ショクダイオオコンニャク、別名『死体花』。臭いがきついから人を誘いづらかったんだけど、毎日納豆を食べてる水戸くんなら平気かもしれないと思って。……水戸くん?」




 告白しよう。


 僕はこの瞬間、あまりにショックが重なってその場で気絶してしまった。


 筑波さんと係員さんが介抱してくれたらしいが、気絶していたのでよく覚えていない。


 さすがの筑波さんも申し訳なく思ったのか、あれから僕に話しかけてくれることはなくなった。むしろちょっと避けられているような気がする。クラスメートたちには「水戸が何かしたのか」とヒソヒソ噂されているが、それが事実だったらまだましだ。


 残念な形で終わった僕の初デート。とはいえ相変わらず筑波さんはかわいいので、僕はもう少しニオイ耐性をつけてから再度アタックしてみようと思う。とりあえず母さんに「弁当にくさやを入れてほしい」と頼んだら、熱でもあるんじゃないのと笑われた。まったく、息子の正念場に協力してくれないとはひどい親である。




 ちなみに、ショクダイオオコンニャクの学名はAmorphophallus巨神族の不恰好 titanumな男根であることを添えて、この日記を締めることにする。




〈おわり〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

四年に一度しか咲かない花 乙島紅 @himawa_ri_e

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ