第32節 -総監執務室にて-
西暦2035年5月。マークתがリナリア島の調査からセントラル1へ帰投して少し経ったある日、ブライアン隊長の言った通り玲那斗は上層部より個別の呼び出しを受けた。
セントラルの上層部が集まる中で、まずは今回の調査における功績を讃え中尉へ昇格するとの内示が玲那斗へ伝えられる。その後は当人から見た調査詳細の報告を促され、話題は当然所有する石にも及んだ。玲那斗は島で起きた出来事を一切隠すことはせず詳細に報告する一方で、石の引渡には応じない旨を毅然と示した。
それからさらに数日後、上層部の中でもセントラル全体を統括するトップである “総監” より個別に話があるとして玲那斗は総監執務室へ呼び出された。
セントラル1でも特に見晴らしの良い場所に設置されたその部屋の前に立ち、玲那斗は深呼吸をした後にコールボタンを押す。
「扉は開いている。入りたまえ。」威厳に満ちた返答に玲那斗は背筋を伸ばし、扉を開けて入室する。
「失礼します。」
「急に呼び付けたりしてすまない。姫埜少尉、いやもう中尉と呼んだ方がいいかな。」部屋の中では初老の男性が穏やかな表情で出迎えてくれた。その人物こそ機構の全権を握る総指揮官【総監】である。
「いえ、内示は先に頂きましたが正式な辞令は後日ですので少尉で結構です。」総監の言葉に玲那斗が答える。
「そうか。では姫埜少尉、まずはそこのソファへ掛けたまえ。」総監に促されるままソファに腰を下ろす。
「飲み物はコーヒーでいいかな?いや、実のところコーヒーしかないのだがね。」
「いえ、お構いなく。」
「まぁそう言わずに。一つ私お気に入りのコーヒーを味わっていきなさい。君は今、私を警戒しているようだが何も悪い話をしようと思ってここに呼んだわけではないんだ。当然、君の持つ石をこちらに譲渡しろなどというつもりも毛頭ない。安心したまえ。」柔らかな笑顔でそう答える総監は玲那斗の前に一杯のコーヒーを差し出した。周囲にはコクのあるコーヒーの良い香りが立ち込めている。
「もちろん悪い物も何も入っていない。ただの美味しいコーヒーだ。ブルーマウンテンだが…嫌いかね?」
「いえ、申し訳ありません。頂きます。」玲那斗は悪い態度をとってしまったと反省した。そして総監も椅子に腰掛け、手に持っていたコーヒーポットから自分のコーヒーをカップに注ぎ、ポットを机に置いた後、なぜか空のコーヒーカップをもう一つ用意して机に置いた。
「よろしい。良い香りだろう?私はこのコーヒーの均整の取れた味が大好きでね。気分を落ち着けたい時に必ず飲むようにしている。今、君とこうして向き合ってこのコーヒーを飲むのも落ち着いて話がしたいからなんだよ。」そう言うと総監は一口コーヒーを飲み話を続けた。
「先日、上層部が会する中で君に調査報告をしてもらった時、私の目から見て君の目には何か並々ならぬ決意があるように伺えた。おそらく石の事について何かを問われるのではないかという警戒をしているのではと感じたがね。実のところ、調査報告の場に君を呼び出す前にあの場にいた役員全員で会議を行った。その会議の場では島で回収された石を預かるべきだという意見も確かにあった。それも複数。」その言葉に玲那斗は僅かに身構える。
「だが、私がその意見を全て却下した。総監権限において、 ”質問をする事は認めるが当人から石を取り上げる事は絶対にならない” とな。その石は君が持つべきもので、君が持っていなければ意味のないものだろう。それにその行為は機構の為にならない。」総監はコーヒーをさらに一口飲み話を続ける。
「あの時の君は意識していたかは分からないが、私の目から見れば警戒心の塊のようにも見えた。おそらく何を話しても話半分しか届かないだろうとね。だから今日、ここで改めて落ち着いて話がしたいと思って呼んだのだよ。」そこで総監は少し言葉に間を取った。
「いや、君だけではない。姫埜少尉、今君の隣にいるその少女も含めてだ。」総監の言葉に玲那斗は驚いた。
”この人には彼女が見えている”
「ただの勘ではあるがね。もし、そこにいるなら私にも姿を見せて頂けないだろうか。王妃よ。」
その言葉の直後、光の粒子が集まるように少女を形作っていく。そして玲那斗の隣にイベリスは姿を現した。周囲に漂うキャンディーのような甘い香り。白銀の髪を揺らめかせて少女は玲那斗の傍に佇む。
「王妃もそちらへお掛けください。」
「イベリスで構いません。」総監の言葉に少女はやや警戒をするように言葉を返した。
「失礼、少し慇懃無礼であったようだ。何しろ貴女は私の孫と同じくらいの年齢だ。声の掛け方がいまいちわからなくてね。許してほしい。」
「お気になさらず。話を続けてください。」そう言うとイベリスは玲那斗の隣に腰掛けた。
「その前に貴女にもコーヒーを。」総監は先程机に置いた空のカップにコーヒーを注ぎイベリスに差し出す。
玲那斗は自分が総監と話しを始めたその時からイベリスが自身の横で興味津々と言った面持ちでコーヒーを眺めている事に気付いていた。話を始める前にカップを用意したという事は、総監は最初から気付いていたのだろうか。この人にはどこまで見えているのだろう。
「姫埜少尉。私にはどこまで見えているのかといった面持ちだね。正直に言おう。この部屋に入った時から先ほどまで私には彼女の姿は見えていなかった。ただ、話に聞く限りではおそらく君の横に常に付き添っているのではないかと思っただけだ。もしそうであれば彼女のカップを事前に用意しないというのは失礼だと思ってね。深い意味は無い。私は勘が良いだけの老人だよ。」
鋭い観察力、直感的な捉え方。この感じはまるでフロリアンのようだ。思っている事を言い当てられて呆気にとられる玲那斗を横目に総監は話を再開した。
「なるほど。君がイベリス。報告で聞くよりもずっと美しくて聡明なお方だ。」コーヒーを口に含みながら話を聞いていたイベリスの顔が俄かに険しくなる。
「あぁ、気を悪くしてしまったなら申し訳ない。いや、先程から謝ってばかりだな。私は。」
「そうではありません。その、思っていたよりも少し…苦くて。」最後は聞き取れないほど小声で呟いたイベリスに笑いながら総監はシュガーポットを差し出した。中には色とりどりの角砂糖が入れられている。
「慣れない味だったかね。砂糖だ。これを入れると良い。甘くなって飲みやすくなるだろう。必要であればミルクも入れると良い。味をまろやかにしてくれる。」
「色鮮やかで素敵ね。」カラフルな角砂糖が詰まったシュガーポットを眺めて言いながら、イベリスは角砂糖を二つコーヒーに入れミルクも注いだ。
「甘い…とても飲みやすくなりました。ありがとう。」
「それは良かった。でも次からは紅茶も用意するようにしておこう。君の生きた時代にはまだ無かったものだが、そちらの方が飲みやすいかもしれない。あと良ければこれもお食べなさい。頂き物だが、とても美味しい焼き菓子があるのだよ。」総監は笑顔でそう言うとイベリスへクッキーを差し出した。その様子はさながら孫娘を相手にするお爺さんのようにも見える。
「ありがとう。頂きます。」礼を言うとイベリスはクッキーを手に取り一口食べる。「とても美味しいわ。」その言葉に総監は安心したようだった。
「それは良かった。」そう言うとコーヒーを口にし話を再開した。
「では、話の続きをするとしよう。君たちをここへ呼んだのは、実のところ何か目的のような特別な用事があったからというわけではない。本当にただ話がしてみたかったんだよ。そして少し伝えたい事があった。姫埜少尉と、出来る事ならイベリス、貴女にも。だが先にいった通り、あの調査報告をしていた場ではまともに会話をするなどとても無理だった。だからこうして別に席を設けさせてもらった。足を運んでくれてありがとう。」玲那斗とイベリスは軽く会釈をする。
「そうだな。君たちから聞きたいと思う事もあるが、今日は私から君たちに伝えたい事について話をさせてほしい。」総監はコーヒーを自分のカップに追加しながら話を続ける。
「一つ。これは姫埜少尉へ向けてだが、その手で掴んだものを大事にしなさい。ジョシュア…いや、ブライアン大尉からも言われたと思うが、絶対に手放してはいけないよ。二つ。リナリア島の今後について。まずは近日中にマルクトの調査隊によって再度大規模な調査を行う予定だ。だが案ずることはない。これは多くの人々が幸せに過ごせる場所にするという話に繋がる事だ。」総監は注いだコーヒーを飲みながら話を続けていく。
「今回マークתの調査が開始される前、国連から調査依頼が来た時に先方から出された条件を飲む代わりに私はある条件を返した。もし、島の周囲で起きる怪現象を解決できた暁にはその島の所有権と使用権を当機構へ一任する事とな。そもそも彼らがどういう目的を持って依頼をしてきたかについては真意を量りかねるが、それを国連の議会は認めた。故に、今から国連で島の今後を話し合う体にはなっているものの結論は既に出ている。永久的にどこの国の領土にも属さない事とする条約が締結され、その所有権は我々機構に対してのみ永続的に認められる。」
「永続的に認められた所有権を使って、貴方達はリナリア島で何をなさるおつもりですか?」総監の言葉にイベリスが問いを投げかける。彼女がその事を気に掛けるのは当然であろう。
「それについてはまだ何も決まっていないがな。人種、国籍、地位など関係なく多くの人々が集まる事が出来る場所にしたいと思っている。例えばリゾート地というものが言葉的には一番ふさわしいか。たくさんの人々が集まり、喜びや楽しみを共有し、生涯の思い出として記憶に残すことが出来る場所。そういう場所にしたら良いのではと。そして集まった人々が過去を知り、未来を祝福できるような場所に出来ればと、な。」
「私にはリゾート地なるものがどういうものか想像が及びませんが、それは悪い事ではないのですね。」総監の言葉にイベリスは確認の言葉を投げかける。
「約束は守る。報告で聞いた、貴女が祈り願った事を実現できるようにこれから様々な方面と話し合いをしていくつもりだ。だが、有事の際は我々が活動拠点として使用する事も貴女には認めて欲しい。」
「有事の際とは?」
「例えば自然災害だ。我々機構はどこの国にも属さない独立機関だ。大地を離れ海の上にメガフロートという人工の島を作って活動の拠点としている。だが巨大な災害が起きた時、今我々がいるこの場所にも何があるか分からない。万全の対策は施しているつもりだが、我々が考える想定の範囲というものを軽々と超えてくるのが自然というものだ。そういう非常時に我々が理念を保って活動を継続できるようにする為の準備をすべきだと思っている。有事の際にここが稼働できなくなった場合、多くの人々を助ける為の活動が行き詰まる事になる。それは避けたいからね。」総監の言葉に嘘が含まれているとは思えない。玲那斗もイベリスも同じことを感じ取っていた。
「分かりました。認めましょう。しかし、もしも約束を反故するような事があれば…」その時イベリスの周囲の空気が揺れるのを玲那斗は感じた。髪が僅かに金色に移り変る。瞳の色も微かに虹色に染まっているように見える。
「安心したまえ。私がここにいる限りこの約束が破られる事は決してないと断言する。私の跡を継ぐ者が必要になった時にも、きちんと約束を順守するように伝えると誓おう。」総監の言葉を聞いてイベリスは気を落ち着かせたようだ。先程見られた変化が消え去った。再度クッキーを手に取り食べ始めている。
「島の計画が順調に進み、完成した暁には姫埜少尉にその管理統括を一任しようとも考えている。リナリア島に関しては君ほどの適役もいないだろう。かつて国王となるはずだった者の血を受け継ぐ者よ。」そう言うと総監はカップに残ったコーヒーを飲み干した。
「私は人の思いというものを大事にしようと考えている。この機構を設立した時から今に至るまで、長年この職を務めるにあたってそれはとても大切なものだと思ってきた。君達はこれからも私の事を警戒するかもしれないが、せめて私の考え方や、その事は直接私の口から伝えておきたくてね。しかし何もこの言葉だけで私の事を信じてくれという事もない。話を聞いて、何をどう考えて選択するかは君達若者の判断に委ねよう。私からの話は以上だ。一方的に話してばかりですまなかったな。まだまだ君達二人と話していたいのだが、そろそろ次の約束の場所に行かなければ。貴重な時間をありがとう。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。」玲那斗は立ち上がり礼をする。横でクッキーを食べていたイベリスも立ち上がり一礼をする。クッキーに夢中で出遅れた事に少し恥ずかしさを感じている様子でもあった。
「そのクッキーが気に入ったのなら持ち帰ると良い。姫埜少尉。持ち帰ってあげなさい。彼女がそのままの姿でクッキーを持って歩けば今はまだ目立つだろうからね。」その言い回しにやや疑問を感じた玲那斗だったが、総監の次の言葉ですぐにそれは解消された。
「それと少尉。最後に私からこれを君に渡そう。セントラル内のファミリー生活区画への転居申請だ。好きな区画を選びたまえ。どこを選んでもすぐに許可が下りるようになっている。どこを選ぶかは二人で決めると良い。今はまだシングル区画だったな?そこでは彼女は常に姿を隠しておかなければならないだろうし、ろくに会話も出来ないだろう。ファミリー区画へ移動すれば彼女もいつでも姿を現したまま生活が出来るだろうと思ってね。中尉への昇進祝いだと思ってくれれば良い。余計なお世話でなければいいのだが。」
「ありがとうございます。」玲那斗が言うよりも先にイベリスがお礼を言い用紙を受け取る。
「それは良かった。では、また機会があれば話をしよう。時間のある時なら君達はいつでも歓迎だ。」
玲那斗は最後にもう一度礼を言い部屋を後にした。イベリスのクッキーと転居申請をその手に持って。
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