第21節 -少女の夢-

 誰かに名前を呼ばれたような気がした。どのくらいの時間眠ったのだろうか。玲那斗は奇妙な感覚を覚えたまま目を開く。ぼんやりと周囲の景色が見え始めるが、しかし、そこに広がっていたのは有り得ない光景だった。驚きのあまり声が出ない。

 ここはベースの中ではない。眠りにつく前まで自分がいた場所とは明らかに異なるその場所には月明かりが木々の隙間から差し込み、ほのかに明るく周囲を映し出している。

「ここは…森の中なのか。」先ほどまでベースで眠っていたはずの自分は、今森のただなかに立っている。自身が置かれている状況を理解しようと努めるが上手く頭が働かない。

 自分は確かに個室にいた。そして昼間にあの尖塔で起きた出来事を考えている内に強烈な睡魔に襲われて眠ってしまった。そして今、目が覚めると森の中に立っている。

「何がどうなっているんだ。みんなは…とにかく連絡をしなければ。」

努めて冷静に現状に対処しようと連絡手段を探そうとしたその時。


「いいえ、その必要はありませんし、残念ながらそれは叶いません。」

 声の主へとっさに視線を向ける。あの時と同じ少女が自分の目の前に立っている。白銀の髪がふわりと風に揺らぐ。前に出会った時と同じ甘い花のような香りが周囲を包む。

 透き通るような白い肌、優しくもあり悲しそうでもあるその瞳は右目が灰色で、左目は赤色に煌めいている。月明かりで映し出されるその姿はまさしく ”この世のものとは思えない” ほどの輝かしさと美しさであった。その甘い香りと、甘い声を聞くと心が安らぐ気がして我を忘れそうになる。


駄目だ!惹き込まれるな!


 自分がすべきことは仲間へ連絡を取り、この異常事態からすぐに抜け出すことだ。

 目の前で起きている現象と自分がすべき事で混乱しそうになりながらも、状況を抜け出す術を考えていたその時、少女は一歩ずつ玲那斗へ近付きながら話を始めた。

「貴方は本当に私のことを覚えていないのね。いえ、きっとこの体の内側では覚えているけれど、思い出せないだけなのかしら。とても、とても…そう、あれからとても長い時間が経ったから。貴方は本当に私の事を誰よりも知り、誰よりも深く私の事を理解している。」少女の指先が玲那斗の体に触れる。しかし金縛りにあったように体を動かすことは出来ず声も出すことが出来ない。息をするだけで精一杯だ。

「不安そうな目をするのね。でも、その目はあのときの優しい目のまま。私が愛した貴方の瞳のまま。」

 僅かに微笑みながらそう言う彼女は深く息を吸いなおして話を続けた。


「ここは私が映し出した幻。現実世界から隔離されて刻が止まった世界。言わば ”私の夢の中”。無限に繰り返される夢の中。そして貴方をここへ呼んだのは私です。どうか安心して。貴方の体は貴方が大切に思う皆さんの所から動いてはいないし、他の方々には何もしていません。」

 少女の言う事が分からない。幻?夢?こんなにはっきりとした、現実と区別がつかない目の前にある景色が夢だと?

 さらに少女の話が本当であれば、自分は彼女と深い面識があり彼女の事を誰よりも知っているという。考えがまとまらない。考えようとするほど何もわからなくなる。彼女の甘い声を聞いていると思考することを放棄してしまいそうになる。

「私は、私という存在があの世界から消えて以降、ずっと長い時の中で貴方と再び逢える事だけを願い続けてきた。この無限に繰り返す夢の中でそれだけを願って。レナト、どうか約束の場所へ来て。私は今もあの時のまま、そこで待ち続けています。」それだけを言い残すと目の前の少女は光が消えるように目の前から消え去った。少女が消えると同時に玲那斗の金縛りは解け、体に自由が戻った。


「約束の場所?彼女は一体…」


 もし仮に今、目の前にある景色が少女の言う通りの幻であり、その言葉をそのままの意味で受け止めるならばこの空間には出口というものが無い。彼女の意思によってこの世界に招かれ、彼女の意思がこの世界に自分を閉じ込めたというのであれば現実に戻る方法はただひとつ。おそらくは少女が抱くその願いを、望みを叶えるまで現実に戻ることは出来ないのだと玲那斗は悟った。とにかく進む以外に道はない。

 そうして月明かりが照らす森の小路をゆっくりと歩き始めた。醒めない夢から目覚める為に。

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