第8節 -もうひとつの思い-
ベースの設営をしていた玲那斗は誰かが自分の名前を呼んだ気がして後ろを振り返った。
「どうしました?姫埜少尉。」すぐ横で手伝ってくれているフロリアンが不思議そうに尋ねてくる。
「いや、何でもない。風の音が気になっただけさ。」きっと気のせいだろう。空耳に違いない。そう思いながらフロリアンへ返事をした。
「この島は静かですね。我々が行動をする音以外、波の音と風が揺らす木々のさざめきしか聞こえません。」
「だけど、想像していた雰囲気よりはずっと穏やかだ。ここに到着するまでは何か起きるんじゃないかってずっと思っていたから。怖い話ばかり聞いていたからね。」
「まったくです。今まで様々な国を渡り歩いてきましたが、こういう場所は自分も初めてです。」
フロリアンが機構に入る前は世界中を旅してまわっていたというのは有名な話で欧州はもちろん、南米や東南アジア、日本にも立ち寄ったことがあると聞いたことがある。
「今まで訪れた場所で静かだったと言えば祈りを捧げるような場所。巡礼地としてポピュラーなところで言えば教会や神社といった場所ですが、そういった建物が無いその地に昔から伝わる場所も似た雰囲気がありました。」フロリアンは今まで訪れた場所を例えに自身が感じている事を話す。
「ただ、巡礼地はどこも神秘的で静けさがあるのと同時に厳かさがありました。ただそこにいるだけで身が引き締まると言いますか。でもここはそういった場所とは少し違います。厳かさよりも、むしろ温かさを感じるというのでしょうか。」フロリアンもうまく言葉に出来ないと言った表情を浮かべる。
「ここにいると落ち着くような気がするのは俺も同じだよ。なんだか懐かしさを感じるような気持ちもある。そうだな、実家で自分の部屋にいるみたいだ。」
「少尉にとっては自室こそがこの世の楽園という事ですね!」島に到着した時にふと呟いた言葉を引き合いにフロリアンが言う。
「あぁ、実は孤独が大好きでね。」玲那斗は冗談めかして答えた。
二人は談笑を続けながらベースの設営を続ける。
「そういえば少尉が機構へ入ったのは自ら志願しての事と聞いたことがありますが、何か理由があったのですか?」
「明確に理由があったわけじゃないんだ。ただ人の役に立つ事がしたかった。」フロリアンの問いかけに玲那斗は答える。
「ギムナジウムを出てすぐにずっと色々な場所を飛び回っていた自分が言うのもなんですが、学校を卒業してすぐに世界に飛び立つというのはなかなか勇気がいることだと思います。」
玲那斗は機構ではフロリアンと長く一緒にいる方だがギムナジウム卒業生である事をこの会話で初めて知った。
ギムナジウムとはヨーロッパの教育機関で、日本で言う所の中高一貫校に近い。アビトゥーアと呼ばれる卒業試験を受験し、合格することで大学進学の資格が得られる。この資格は一度取得すれば失われることは無い為、そこですぐに進学をするのか、一度社会人として働いたり、又は国際留学をしたりして自分のやりたいことを確認した後に学びたい事を見つけた上で、改めて進学するのか等は個人の選択に委ねられている。
「確かにな。大学へ進学してじっくり考える事も出来たけど、とにかく広い世界を見てみたかったんだ。自分のいる所よりも広い場所。そこには何があって、自分には何が出来るのか。俺にはこれといって他人より抜きん出て優れた技術も何も無いけど、先に言った通り何か人の役に立つ事がしたかった。そんな事を考えている時に偶然機構の募集を見つけて、ここでなら新しい世界が見られると思ったんだ。凄く漠然としていたけどね。」玲那斗はその時思っていたことを素直に話した。
「自室を愛する人の言葉とは思えない思い切りの良さですね。」フロリアンは冷静で的確な分析をした上で返事をする。
「そういうフロリアンだって、進学せずに世界を旅することを選んだんだろう?」
「はい。ギムナジウムを卒業しても自分が本当にやりたいことというのが正直分かりませんでした。年端も行かない頃にある程度こうなりたいというものは考えたのですが、学校で色々なものに触れていく中で自分は本当に知らない事だらけだと思ったんです。何も知らないのに自分の将来を決めてしまう事は出来ない。だから自身が知らないものを知る為に世界を旅することを選びました。」
「知らない事を知りたいという動機はおおよそ同じということだ。でも、俺にとっては自室という楽園を離れる決意は大変だったんだぞ?」玲那斗は先ほどの返しとばかりに返事をした。
「拘りますね。でも玲那斗少尉が愛するというその楽園はいつか訪ねてみたいものです。」
「その時はぜひ遠慮なく俺の楽園を堪能してほしい。あと日本の料理もごちそうするよ。」
その後も二人は談笑を続けながらも作業は的確にこなしていき、ベースの設営完了まであと僅かとなっていた。
フロリアンとの会話では言わなかったが、玲那斗はこの島に辿り着いた時からずっと感じている穏やかさや安らぎとは別に、不確定ではあるがもう一つ別の感情を抱いていた。
” 自分はこの地で探さなければならない ”
なぜそう感じているのかは自分自身にも分からない。しかし自身の中の何かが強烈にそう訴えかけている。この島への訪問は必然であり、ここで見つけなければならないものがあると自分の中の何かが告げているのだ。
この島での目標は怪現象の解決とその実態調査だが、自分は ”この地で見つけるべきもの” を含めて解決しなければならないと考えている。もしかするとその答えこそ、自分自身にとって最も重要な事なのではないかとすら思える。
この奇妙な感覚についてはフロリアン以外の他の二人にも伝えていない。重要な事だと感じてはいるものの、調査に関して私情を挟むわけにはいかないという思いがあるからだ。自分で解決するべき問題である。
その思いを胸に忍ばせつつ、今はベースの設営に集中する事にした。
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