死が呼んでいる
雨森 雪
第1話
「昨日午後六時頃発生したとみられる佐藤幹夫さん(28)殺人事件ですが、警察は4月20日の伊藤サチ(20)さん、また同月24日の小林良助(24)さんを殺害した人物と同様の人物とみて捜査を進めています」
リビングに入った僕を迎えたのは、神妙な面持ちでそう語るニュースキャスターだった。その事件が起きた場所がこの家のすぐ近くである事にブルリと体を震わせる。
「おはよう。そんな所で突っ立てないで早く着替えなさいよ」
「はーーい」
そんな体の震えを寒さによるものと思ったのか、母がそう言った。言われた通り僕は学生服に袖を通し、その後はいつも通り顔を洗い、朝食を食べて、学校へ向かうべく真っ黒な運動靴を履いた。
「いってきます」
「最近物騒だし気を付けてね」
颯爽と玄関を抜けようとする僕を引き留め、母が心配そうな表情を浮かべている。
「もちのろんですよ」
勢いよく扉を開き、外に踊るようにして飛び出す。
4月の暖かい、思わず頬を緩めてしまうような空気が僕を迎える。
「ニュース見た?」
「見た見た」
「ほんと怖いよね」
「凛香も気をつけなよ」
「亮太もね」
「僕は多分大丈夫だよ。ほら、僕って襲いづらそうでしょ?」
そう言うと彼女は、僕の体を上から下へ舐めるようにして見て、「確かに」と頷いた。
「体格良すぎだからね」
僕の顔を見上げながらしみじみと呟く凛香。僕と彼女では少なくとも30センチは身長差があるから、首の角度が凄い事になっている。
「そういう訳で、いざとなったら僕が守ってあげるよ」
彼女の顔を身を屈めて、見つめながら囁く。
すると、凛香はプイっとそっぽを向いて
「勝手にすればっ」
足早に駆けて行く。
「はははっ。恥ずかしいの?」
「うるさい」
「ほっぺたが真っ赤だよ」
「寒いからよ」
そんな強がりを言う彼女の頭をポフポフしながら、学校へ向かった。
「皆も分かっていると思うが、最近この地域で連続殺人事件が起こっている。それに伴って部活動も中止だ。寄り道せず真っ直ぐに帰るように」
今年で50も半ばといった所の担任のその言葉を最後に今日の学校は終わった。
「亮太、一緒に帰ろ」
別れの挨拶が終わるや否や凛香が学ランの袖を引いて、教室の出口まで引き込もうとしてくる。
「ちょっと待ってよ」
慌ててリュックを手に取り、彼女に引きずられるようにして未だ喧噪の残る教室を後にする。
「今日はどこに行く?」
凛香上目遣いにそう尋ねてくる。
「担任は寄り道せずに帰るように言ってたけど?」
茶化すように彼女に言う。
「あんなの守るのは馬鹿だけよ」
呆れたようにそう呟いて、
「まぁね」
僕もその言葉にコクリと頷いた。
しかし、そんな予定は1台の車によって狂ってしまった。
「昨日午後6時ごろ、どこで何をしていましたか?」
ランランとした赤い光を高々と掲げた1台のパトカーから降りて来た2人の厳つい警官に僕はそう尋問されていた。
「家でスマホを弄っていました」
「それを証明できるのは?」
「凛香とチャットしてたのでその履歴が残ってます」
「見せて貰っても?」
僕はズボンのポケットからスマホを取り出しロックを解除して、警官に渡す。それをひったくるようにして受け取った警官は、凛香とのチャット内容をひたすらメモに書きつけていた。
「あの? 最近の事件関連ですか?」
恐る恐る尋ねると「そうだ」と厳格な口調で、僕と同じくらいの身長の警官は答える。
「もしかして僕疑われてます?」
「そういう訳ではない」
警官は、はっきりとそう言った。
しかし、不安は拭えない。携帯の履歴の確認なんて完全にアリバイ探しで、どう考えても僕は疑われている。
「ご協力ありがとうございました。物騒ですので、暗くならないうちに帰宅されるのがよいでしょう」
眉間の皴を一層深くした警官からスマホが返却される。
「は、はい」
それを受け取るために出した手が思わず震えてしまう。何度自分の行動を振り返ってみても何も悪い事はしていない。しかし、あまりにも疑われるとその自信が揺らぐ。
しかし、彼等はそれきり何も言わず、律儀にペコリとお辞儀をしてからパトカーに乗り込み、去っていった。
「ほら、もう行こっ?」
気づけば、さっきまで遠くの物陰に隠れていた凛香がすぐ隣で僕の右腕に抱き着いていた。その温もりに頬を緩ませる。
「ありがとな」
肩ほどにある彼女の頭に手を置き、その艶やかな黒髪をかき混ぜるようにして撫でた。
「ふんっ早く行くよ」
凛香はその手からすり抜けるようにして歩いていく。
僕はそんな彼女の小さな手を、後ろから体の震えを抑えるために強く握った。
どうして疑われているんだろう?
思わぬ冤罪に心臓に楔が撃ち込まれたかのように酷く胸がざわつく。
しかし、今はこの手の中の温かさがあればそれでいい気がした。
「警部。あの少年が本当にこの1連の事件の犯人なんですかね?」
不安気に若い警官は年かさの警官の方を見る。
「さあな。分からん。ただ4年前から解決されてないこの事件。並大抵の思考じゃ犯人には辿りつけんだろう。なんせ、この事件の犯人は、確実に頭がイッちまってるからな」
「それは……そうですね」
彼は俯きながらそう呟き、捜査資料を眺めた。
「1人目は額に、2人目は腹部に、3人目は両足に、それぞれ包丁が突き刺さっているなんて、何かのパフォーマンスとしか思えません。その上、弄ばれたみたいに遺体はグチャグチャですよ」
「それもキモイが、それ以上に気色がわりぃのがあの包丁に書かれたあのメッセージだ」
「我・穢れた世界を浄化するものなり……ですね」
「ああ。なぁにが穢れた世界だ。下らねえ。俺たち警察も、政府も、どこだって穢れ切って、もはや浄化なんて不可能だってのによ。笑わせてくれるぜ」
鼻で笑いながらそんな事を言う年かさの警官を若い警官は「そんな事言うものではないですよ」と軽く窘めた。その言葉に彼は軽く肩を竦める。
「4年前もこういう事件があった。ありゃあ胸糞の悪い事件だったぜ」
「その時は確か『4の穢れ・十字の生贄にて・浄化されり』ですね」
「その言葉通り4月に4人が殺された。しかも、全部4の倍数の日に4の倍数の年の人間がな」
「ですけど、今回はもう終わりそうですね。今日で4月も終わりですし、4の倍数の日はもうないですよ」
「そう……だといいんだがな」
パトカーを運転しながら年かさの男はウンザリとした表情を浮かべる。
「こういう奴は大抵物事を自分勝手に解釈しやがる。今日無理矢理に最後の1人を殺しに来るかもしれねぇ」
「やっぱり……」
「ああ。油断は禁物だ」
二人の間に重い沈黙が落ちる。それは再び死人が出るかもしれないという緊張感と、未だに犯人を捕まえる事の出来ない自分たちへの不甲斐なさでいっぱいになったパトカーは、口から異物が飛び出そうなほどの倦怠感を湛えていた。
ここはどこだろうか?
もう分からない。
俺には分からない。
ただなにかが俺に囁く。
殺せと。
息苦しいと。
この世界は俺にとって穢れでいっぱいだと。
血が足りない。
そう血が。
疼く、体が。
そう体が。
もう耐えきれない。
そうだ! あと1人殺そう! そうすればこんなに綺麗な穢れ切った世界も、もうちょっと生きやすくなるはずだ。
本当にいい案だ。
出来るだけ血で染めて、世界を死で彩りたかったけれど、もう息苦しさが限界だ。
苦しい苦しい苦しい苦しい苦しい苦しいくるしいクルシイクルシイ
あ、ちょうどいい所に獲物がいた。
柔らかい獲物がいた。
いい匂いのする獲物がいた。
弱そうな獲物がいた。
きっとその血はとびっきりに甘いだろうなぁ。
この手のひらにナイフを突き刺すときの感触はきっとフニフニしてるだろうなぁ。
この獲物の子を育てる部分を掻っ捌いて取り出して、飴玉でも舐めるみたいにコロコロと口の中で転がしたら、きっととんでもなく甘美な味がするんだろおなぁ。
ああ。もう耐えきれない。殺しちゃおう。
響く甲高い断末魔。キャーというキンキンと耳に響くそれ。ああきもちいい。
けど、ちょっとうるさい。
静かにしてね?
ありがとう。静かになったね。ご褒美にこれあげるね。
はい。包丁。やっぱり君の肌は柔らかくて気持ちいいね。
それでは、メインディッシュを頂こうかな。
「5月1日。1人の男子高校生 榊原亮太さん(18)が8人を殺害した容疑で逮捕されました。4月30日。午後5時36分。公園にて、同級生で交際関係にあった女子生徒 立花凛香さん(18)を殺害している所を現行犯逮捕されました。しかし、『きづいたらこうなっていた。俺は無実だ』などど供述しており――」
ニュースキャスターがそんな事を早口で捲し立てている。
それを私はぼんやりと見つめていた。
「あの子は耐えられなかったのね……」
息子の逮捕ニュースを見ながらしみじみと呟く。
「私たちに宿る死の誘惑に」
優しく、丸くて白くて固いものを撫でる。
「私の様に」
黒い黒い何処までも深い2つの深淵。かつて私を愛おしそうな眼で見つめていたその眼窩の淵をそっとなぞった。
殺人衝動に呑まれている時は記憶はない。
肉体の意思決定権もない。
その全てを持つのは『死の悪魔』だ。
夫はそいつに殺された。
私の時期はあと1年。
この街もそろそろ離れようか。
精神鑑定の結果、榊原亮太には『死の
主な症状は死に取りつかれ、4年に1度、4人を殺さなければならないという強迫観念に駆られるというものだ。
あれから4年。
さあて内の悪魔が蠢きだすころあいだ。
死が呼んでいる 雨森 雪 @m119221t
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