不死鳥の君

阿尾鈴悟

不死鳥の君

 一年目、伏見ふしみ四季しきは生き返る。


 扉をノックすると、キレのない四季の返事が聞こえてくる。

「おはよう。入っても大丈夫かな?」

 気怠げな肯定。

 ゆっくり扉を開けて部屋に入る。

 四季はちょうど起きたところらしかった。着替えはおろか、ベッドから降りても居ない。そのまま彼女は覇気のない顔を僕に向ける。

「おはよう、四季。僕のことは覚えてる?」

小頃こころ大貴たいき。私の主治医」

「よかった。忘れられてたらどうしようと思ったよ」

 上手に笑えているだろうか。いまいち、自信が持てない。四年に一度訪れるこの瞬間は、何時になっても緊張する。

「そうだ。四季は今日で十七回目の誕生日だ! おめでとう!」

「ありがとうございます」

 無感情とも取れる素っ気ないお礼とともに、四季はベッドから立ち上がろうとする。しかし、よろめき、彼女は崩れ落ちる。それを僕が受け止める。

「四季、前回も言っただろう? 筋力が落ちてるんだから、いきなり立つと危ないよ」

「そうでした」

 ベッドに座り、彼女は呟く。

「でも、ここで怪我をすれば、夢か現実か、自信が持てたかも知れません」

 ああ、やっぱり。

 今年の彼女も自傷行為を繰り返すだろう。


 一年目、もっとも彼女から目を離せない年。



 二年目、四季は成長する。


 四季が重い引き戸を開けて、僕の待つ診察室に入ってくる。

「久しぶり。調子はどう?」

「いつもと変わりません。期限まではまだ半年以上ありますから」

 小さな丸椅子に座りながら、彼女は淡々と答える。どうも今回は酷く嫌われている節がある。いや、嫌われているのは、前々からだけど……。

「病気についてはそうなんだけどさ。四季の最近はどうかなって」

「私の?」

「そう、四季の。学校でのこととかさ」

 四季の眉間に皺が寄る。見るからにいい気はされていない。それでも僕は、もっと具体的に質問をする。

「勉強はついていけてる? クラスメイトとは仲良くしてる?」

「成績は問題ないと思います。きちんと覚えていましたし、新しい内容にもついていけています。クラスメイトは……」

 そこで四季は言い淀む。僕は黙って、彼女が自分から話し出すのを待つ。

「……よく分かりません。話しかけてはくれるけど、私には共通する記憶の実感がないから、その時の接し方が分からなくて……。だから、私も相手も余所余所しくなって、話が途切れてしまいます……」

「そっか……」

 訊いておきながら、僕は何も言えなくなる。

 これから新しい記憶を……。まだ先は長いんだから……。

 綺麗事なら、いくつでも並べ立てられる。

 けれど、彼女にとっては綺麗事にすらならない。

 だって、彼女の記憶は──


 二年目、もっとも彼女が思い悩む年。



 三年目、四季は病を発症する。


 昼休憩、食後のコーヒーを飲みながらスマートフォンを確認すると、四季から連絡が来ていた。

『始まったみたいです。今から向かいます』

 簡素すぎるくらいのメッセージ。だけど、その威力たるや、僕に長いため息と深い落胆をもたらす。四季じゃないが、頭を打ち付け、これが夢かどうか確かめたいくらいに。

 通りがかった馴染みの看護師を呼び止める。

「ごめん、部屋を用意してくれる? 四季が発症したって……」

 それっきり看護師は何も言わず、カーテンの向こうに消えていった。

 二度目のため息を吐く。やることをやるごとに、気が滅入る。のんびりしたい欲が強い自覚はないけれど、この時ばかりは立ち止まってしまいたい。だからといって、やらないと、四季が困ってしまうから、やるのだけれど、願望くらいは許されるだろう。

『伏見さん、どうかしたんですか?』

 カーテン向こうから女性の声が聞こえてくる。確か最近入った人のものだ。きっと馴染みの彼女が部屋の用意の手伝いを頼んだのだろう。

『彼女、特殊な病気なのよ』

「ええっ!」

「簡単に言うと、脳の容量が足りなくなっちゃうの。物事を処理するまで時間がかかるようになって、その間、私たちからすると止まったみたいになるの。最後には手足を動かそうとするだけでも固まっちゃうようになるから、しばらく入院するのよ」

「しばらく? 治るんですか?」

「ああ……。確かに治る可能井はあるらしいけど、彼女の場合、一時的に治る、ね。彼女はもう一つ、小頃先生が作った人工の病気を患っていて、四年に一度、死んで生き返るの」

「……何ですか、それ?」

「私もよく分かってないけど、実際、そうなの。見るまで信じられなかったけど、確かに心停止した一週間後、彼女は何事もなかったかのように目覚めて、固まることなく検査を受けていたわ」

「なるほど、何だか機械の再起動みたいですね」

「そうね。さあ、用意が出来たら行くわよ」

 二つの声が遠ざかって行く。

 彼女の説明は終始正しかった。だからこそ、改めて全てを突きつけられた。

 コーヒーはまだ温かい。けれど、飲む気は無くなり、流しに捨てる。


 三年目、もっとも僕が願う年。



 四年目。四季は死ぬ。


 ノックもそこそこに病室の扉を開ける。

「四季」

 呼びかけに、四季は硬直する。彼女の誕生日まで一週間弱。もうすぐ、死ぬ日がやってくる。

 四季がいるベッドの横の椅子に座る。ベッドサイドモニターの心電図に異常はなく、まだその時では無いようだ。

 四季が向かっていたらしいベッド上の机には、一冊のノートが開かれていた。どうやら、日記を付けている途中だったようだ。

 昔、四季に聞いた話では、記憶は『残っているけど、実感がない。前世の記憶みたい』らしい。だから自分の日記も、他人の日記に思えてしまうそうだ。それでも日記を付けている理由を訊くと、彼女は恨めしそうに僕を睨んだ。

『だって、記憶は残っても感情は残らないから』

 人生がもう一度あったら。

 よく聞くそんな仮定を、四季はもう四度も繰り返して来た。あまりに短命なその生を。

 仮に平均寿命まで生きたなら、二十回、百まで生きたら、さらに五回も生きて死ぬ。一生に一度の誕生と終焉を、僕らの一回でそんなにも繰り返す。

 彼女は、日々、何を思うのだろう。

 友人とすれ違う悲しさ?

 硬直する辛さ?

 僕への恨み言?

 その答えがこの日記に書かれていると思うと、今、この場には居てはいけない気がした。

「先生……」

「おやすみ、四季。また来るよ」


 四年目、もっとも僕が後悔する年。



 そして、一年目、四季は生き返る。


 扉をノックすると、キレのない彼女の返事が聞こえてくる。

「おはよう。入っても大丈夫かな?」

 気怠げな肯定。

 ゆっくり扉を開けて部屋に入る。

「おはよう、四季。僕のことは覚えてる?」

「小頃大貴。私の主治医」

「よかった。忘れられてたらどうしようと思ったよ」

 上手に笑えているだろうか。いまいち、自信が持てない。

 四年に一度訪れるこの瞬間は、何時になっても緊張してしまう。

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不死鳥の君 阿尾鈴悟 @hideephemera

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