第223話 宝物(3)
「ぼくは・・京都の嵐山の生まれです。」
志藤は静かに一方的に話し始めた。
「両親は小さな和菓子屋をやっていて。 父は三代目です。 ぼくは一人息子ですが跡を継ぎません。 小学校の時に出会ったピアノに夢中になって。 高校からは大阪の音楽高校に入り・・それからは学校の寮住まいだったので家を出ました。 ピアノに限界を感じて、大阪の音大に入る時は指揮科に進みました。 とにかく音楽が好きで、ホクトの大阪支社に入社しました。」
ゆうこの父に自分の話をしながら
自分もそのときの気持ちをなぞっていた。
「入社して間もない頃。 学生時代からつきあっていた女性と結婚することになって。」
と言うと、父はハッとしたように志藤を見た。
「大学を出てから一緒に生活していたので。 彼女に子供ができたので、迷わず入籍しようと思っていた矢先。 交通事故で彼女は亡くなりました。」
父の顔は真っ赤だったが
目はそんなに酔っていないように思えた。
「・・それからは、もう。 自分が生きていることさえイヤになり。 彼女にいない世界にいるのもイヤでした。 仕事もやる気がなくなって。 適当にダラダラと過ごして。 こうやってもう人生を終えてもいいと思ってました。 そんな時に、北都社長からオーケストラを作るからと言って東京に呼ばれました。 そして。 ゆうこさんと出会いました、」
志藤は淡々と話したが
父はそわそわと落ち着かないようだった。
「そんなことがあって素直になれなかったぼくが。 ゆうこさんと出会ってからは、何だか自然と気持ちが前に出て行くようになって。 人を好きになるのが怖い気持ちと、彼女を好きになりたい気持ちと。 もう、わけわからなくなって。 どうしていいのかわらかりませんでした。 そんな気持ちのまま、ゆうこさんと、そういう関係になってしまったことはぼくの責任です。 子供ができたから結婚をしようと思ったのは事実ですが、このことで自分の気持ちにはっきりと気づいて、目が覚めたのも事実です。 恋人を亡くして7年。 起き上がろうともしなかった自分をゆうこさんは立ち上がらせてくれたと思っています。」
ウソいつわりない
本当の気持ちを父にぶつけた。
「ですから。 お父さんにとっては、とんでもないことでしょうが。 ゆうこさんとの結婚を許してください。 ぼくは生まれ変わって、彼女と生まれてくる子供を一生かけて幸せにします。」
静かに頭を垂れた。
ハッピーがクンクンと泣いている。
父は黙ってハッピーの身体を撫でながら
「・・ゆうこは。 おれの・・宝もんだ。」
と、つぶやいた。
志藤はゆっくりと顔を上げる。
「本当にかわいくて。 娘ってのがこんなにかわいいのかって、思うくらいに。 母ちゃんにキチンと家事も仕込ませて、どこに出しても恥ずかしくない娘になってくれたと思ってる。 おれに似ないで頭も良かったし、おれの自慢の娘だ。」
ゆうこは襖の向こうで二人の会話を聞いていた。
「おっしゃるとおりです。 ゆうこさんは非の打ち所のないお嬢さんです。 こうして結婚のお願いをして、自分に頂くのも・・もったいないくらい、」
志藤が言うと、父は
「当たり前だっ!」
いきなり大きな声を出した。
「だけど。 子供は親のモンじゃねえ。 きちんと育てることは親の責任だけど。 いつまでも手元に置いておくことはできねえ。 それは息子も娘も同じだ。 ウチはなんも財産なんかねえから。 きちんとした人間にして世間に送り出すことだけが子供たちにやれる財産だと思ってっから。」
ゆうこは涙をこらえきれず
手で拭った。
「かわいいと思うなら。 出て行くときが来たら、思いっきり背中をおしてやるのも親の務めだ。 おめえと一緒になってゆうこが幸せになれるかなんてわからねえ。 でも、25にもなったら自分で自分の責任を取れるはずだし。 その責任はゆうこにあるし、ゆうこを育てたおれたちにもある。」
志藤は
父の言葉に感動し
胸がいっぱいになり言葉に詰まってしまった。
「でも。 けじめってもんがあるからな。 いつの間にかに結婚してました、じゃあ・・世間にも顔がたたねえ。 式はきちんとあげてくれんだろーなあ、」
父は志藤をジロっと睨んだ。
「お父さん・・」
「ぐずぐずしてっと。 子供が産まれちまうだろ、」
ブスっとして言った。
「ありがとう・・ございます・・」
志藤は畳に額をこすりつけるように頭を下げた。
「お父ちゃん、」
ゆうこも泣きながら部屋に入ってきた。
「なんだよ・・聞いてたのか、」
父は気まずそうにゆうこに言った。
「・・ありがとう。 ありがとう、」
もう、ゆうこの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
いつの間にか
母と兄たちも後ろに来ていた。
「なっ・・なんだよ! コソコソしやがって!!」
父はバツが悪くなり、また布団に寝転がってしまった。
ハッピーがその上に乗っかって、父にじゃれつく。
「もう。 お父ちゃんったら。 みんなでゴハン食べようよ、ね?」
母が明るく声をかけたが。
父は寝たフリをして知らん振りをし続けた。
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