第170話 方向(1)

こんなこと


誰に相談したらいいんだろう。



ゆうこはもう


そのことで頭がいっぱいになってしまった。



一瞬、南の顔が浮かんだが


やっぱり彼女にこのことを話す勇気がなく、ため息をつく。



「・・白川さん?」


ぼうっとしているゆうこに真太郎が何度も声をかけた。



「え・・あ、はい?」



「あの、明日の想宝との打ち合わせの時間・・2時に変更になりましたから・・」



「あ・・はい。」


慌てて、ノートを取り出して書き込んだ。



「かわいいですね、」




真太郎はゆうこのデスクに置いてあるハッピーの写真に目を留めた。



「は?」


ゆうこはドキっとして、すごい形相で振り向いた。



「あ・・犬、」


真太郎は少々引き気味に指を指す。



「あ・・」


ゆうこは赤面をして、



「と、とても・・かわいいです。」


彼から目を逸らすようにして答えた。




「ウチは全員犬好きですから。 近所の人までかわいがってくれて・・・」


ゆうこはついついハッピーのことになると、気が緩んで笑顔で話をしてしまう。



しかし


ハッとして、



「わかりました。 社長に伝えておきます・・」


と、仕事の話に戻した。




やっぱりこうして真太郎の顔を見ていると


大好きでいた時の自分に戻ってしまいそうだった。



かなぐり捨てようとしても


どうしても


最後まで捨てきれない。





「志藤さん、回覧です・・」


ゆうこは残業中の志藤にスッと課内回覧を回した。



「回覧?」



「秘書課と総務課の合同忘年会の出欠、書いて下さい。 あたし、幹事なので。」



「ああ・・忘年会ね、」



「女子社員たちから必ず志藤さんを誘ってと言われてるので・・お願いします。」



「は? おれ?」



「秘書課も総務課も女性が多くて。 男の方は年配の方が多いので・・真太郎さんひとりで今まで大変でした、」


ゆうこはため息をつく。



「あーそう。 きみが幹事なの?」



「はい、」



「んじゃ、行くよ。 マルしておいて、」



「ハイ。 まあこれであたしの顔も立つので。 ありがとうございました、」



「いいえ。 お役に立てて光栄です。」


志藤はふっと笑った。



「ん・・?」


ゆうこは志藤の顔をジッと見た。



「な、なに?」



「ちょっと・・」


スッと彼に顔を近づけた。



「え・・」



志藤はドキンとした。


彼女の顔が5cmほど近づいた時、ゆうこはそっと指で志藤のメガネの縁についた埃を取った。



「取れた・・」



「え? あ・・ありがと・・」




ウソみたいに


心臓がドキドキした。




「キスされるのかと思った、」




思わずそう言った志藤に、ゆうこは自分が今してしまった行動を思い出し、いきなり赤面した。



「なっ・・」



まるでエビのように後ずさりをしてしまった。



「バッ、バカなこと言わないでくださいっ!!!」


ゆうこは動揺丸出しでそのまま行ってしまった。




キスなんかより


もっともっとスゴいことをしてしまったのに。




一気に


あの夜のことを思い出し


廊下に出て、そのドキドキを抑えるのが大変だった。




あのときのことは


忘れようって思ったのに。


何でもないことだって


自分に言い聞かせていたのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る