第119話 ノクターン(1)

お話は13年前に戻ります・・



「は、来週?」



真太郎はデスクの上のカレンダーを見た。



「そーなんだよ。 またフェルナンド先生が仕事で行くってゆーから。 おれも来月には真太郎の結婚式で行くって言ったら、それなら一緒にって言ってくれて。 またコンサートの前座とかもやらせてくれるとか言ってるんだけど。 いちおうおれもホクトに所属してるから、きちんとそっちに話、通すようにってウルセーから・・」



真尋はぶつくさ言った。



もう10月も末だった。


真太郎たちの結婚式まであと1ヶ月ほどだったが、真尋が急遽早めに日本にやってくることになった。




「わかった。 こっちの責任者の人と相談しておくから。」



「フェルナンド先生がスケジュールメールしとくって。 よろしく~。」


暢気な電話は切れた。



「は? ジュニアの弟が?」


志藤はタバコをくわえながら気の抜けた返事をした。



「はあ。 弟の先生のつき人みたいな感じで1ヶ月ほどこちらにいることになりました。 前にも一緒に来たことがあって、フェルナンド先生のコンサートの前にちょこっと弾かせてもらったりとかもして・・」


真太郎はスケジュールを彼に見せた。



「いちおうウチ所属のピアニストなんで、」



「はあ。 しかしね~。 悪いけど、無名でしょ? 仕事取るって言っても、難しいよね~~。」



言いにくいことも


はっきり言われたが、




「まあ、それはそうなんですが。 雑誌とかの仕事でもいいんで・・何とかならないでしょうかね。」


真太郎は志藤に相談した。



「どうしようかなあ。 『クラシックマスター』の編集長から沢藤絵梨沙で特集組みたいって言われてるけど~。抱き合わせで頼んでみましょうか?」



志藤はふっと笑った。



抱き合わせねえ。




悲しいけれど


真尋はここ日本で知っている人間は


ゼロに近いのではないかと思えるので


仕方ないと言えば仕方ない。




「ほんとは取材とかじゃなくて・・直接、あいつのピアノを何とか聴いてもらいたいんですけど。」


真太郎はポツリと言った。



「そんな『天才』なんですかあ?」



ちょっとからかうように志藤は言った。



「ぼくは素人ですから。 それはなんとも言えませんが。 フェルナンド先生も弟の実力は認めてくれています。 ウイーンのピアノバーでバイトをしているらしいんですが、そこも弟が弾くときはいつも満員だって言ってました、」



志藤は笑って、



「あのね。 バーで聴かせるピアニストと一流ピアニストは違うんですよ? 彼にそういう才能があるなら、その道でやっていけばいいってぼくは思いますけど、」


と、ほぼ相手にされなかった。



「まあ、いつかは聴いてみたいですけどね。 その『天才』のピアノを、」



最後は社交辞令だった。




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静かな昼下がり。


夏希は思わず眠りそうになって、慌てて自分の手を抓った。



いけない


いけない。


学校じゃないんだから・・。




そのとき、ドアがものすごい音と共に開いた。



「ひっ・・!」



思わず振り返る。



そこには大きなキャリーバッグを持った真尋が立っていた。



「し、志藤さんは!?」


慌てて言う彼に



「もー・・うるさい~~。 なに? いきなり、」


南は顔をしかめた。



夏希はまだ心臓がバクバクしていた。


「って! ドア、壊れてるし!」


あまりに勢いよく開けたので、上の番の部分が半分外れている。



しかし


そんなことには構わず、真尋は大きな声で



「だから! 志藤さんはどこなんだよっ!」


そばにいた夏希に食いかかる。



「しっ・・知りません・・さっきまでいたんですけど・・!!」


怖くて後ずさりした。


さっきまでめちゃくちゃ眠かったのだが、一気に覚めた。



そこに



「あ~~。 あそこの鯖みそ定食はいつ食ってもうまいな~~。」



暢気に志藤が戻ってきた。



それに気づいた真尋は志藤の胸倉をひっつかみそうな勢いで



「おいっ! いったいどういうことなんだっつーの!!」


NYにいると思っていた真尋が目の前にいることと


いきなり殴られそうな勢いで掴みかかられた驚きで


志藤は石膏を入れられたように固まってしまった。


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