第118話 見えない心(3)

オケデビューの準備は着々と進んでいたが


どうしてもコンチェルトの演目だけが決まらなかった。



有名なソリストを招いて派手にやりたい、と思っていた志藤だが


これという人材が見つからない。




難しい顔をして書類を見ている志藤に


「・・どうぞ、」


ゆうこがコーヒーを淹れて来た。



ハッとして彼女を見て



「え、どうしたの。 セルフじゃなかったの?」


いつかの言葉を思い出して言った。



ゆうこは気まずそうに


「時と場合によっては、です。」


と言った。




とりあえず


彼はここに来てから9時前に帰ったことは見たことがないほど


仕事をしている。



やり方は強引だけれども


志藤の仕事ぶりは真太郎をはじめ皆を刺激した。




そのコーヒーに少し口をつけて、



「・・ほんと。 うまいよね。」



ポツリと言った。



「え・・?」




「白川さんが淹れてくれるコーヒーは。 うまい。」



とゆうこに笑顔を見せた。



ドキンとして、



「インスタントですけど・・」



恥ずかしそうに言った。



「悪いけど他の女の子が淹れてくれるコーヒーより、格段においしい。 同じコーヒーでも淹れる人によってこんなに違うんだって。 思う。」




彼からこんなに褒められて。


ゆうこは体温が上昇していくのがわかった。




って言っても。


仕事でのことではなく


コーヒーの淹れ方だけど。




いつの間にか


彼に抱いていた


あのトゲトゲしい気持ちはなくなって。


今は


オケのデビュー公演が成功するように願うだけだった。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



凛太郎を寝かしつけて、下に降りていく。



「お風呂のしたくできてますけど、」


ゆうこが声をかけた。



「ああ。 ウン。」



彼が何かを手にしているのを見て、



「なんですか?」


覗き込んだ。




「これ。 今、何気にサイドボードの引き出し見たら入ってた。」


志藤は彼女に1枚の写真を手渡した。



「あー、コレ・・。」


ゆうこは思わず声をあげた。




それは


あの夏の日に


真太郎と南と4人で何故か海に出かけて、わけもわからず撮ったあの写真だった。




「ゆうこ、めっちゃ嫌そうな顔してるし、」


自分の隣に写っていた彼女を指差して笑った。



「え~~。 この頃はね~。 あなたのこと大っきらいだったし、」


ゆうこは笑った。



「前の晩。 殴られたんだよな。」



「だから。 グーで殴ったようなこと言わないで・・。」


口を尖らせた。




そして、ゆうこは自分のトートバッグから、手帳を取り出した。


そこにも同じ写真が挟まっていた。



「なんだかいつも持ち歩いてるんです。 この写真。 すごーく懐かしい気持ちになって・・」



ゆうこもその写真を手にした。



南がくれたその同じ2枚の写真が


こうして同じ場所に置かれることになるとは




あのときは全く思いもしなかった。


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