第7話 動く(1)
北都から
企画書を提出するように言われて
真太郎の思いの第一歩は踏み出せた。
「どうぞ、」
ゆうこは残業して調べものをする真太郎にそっと温かいコーヒーを差し出した。
「ありがとう、ございます。」
真太郎はニッコリと応えてくれた。
「あの、」
ゆうこは遠慮がちに声を掛けた。
「はい?」
「あたしに・・お手伝いできることはありますか?」
真太郎は
え?
という顔をした。
「すみません。 昼間の社長とのお話・隣で聞いてしまって。」
「ああ。 オーケストラのこと?」
真太郎は笑う。
「ええ。 弟さんがピアニストをされているなんて知りませんでした。」
「ピアニストったって。 弟はまだウイーンの音楽院の学生で。 高校卒業と同時に留学してる。 そこで巨匠に見初められて、演奏会をしたってだけで。」
「弟さんと、契約を?」
「したい、と思っています。 というか。 他の事務所に獲られたくない。」
端正な顔が引き締まった。
「才能の、ある方なんですね、」
「ぼくより2つ年下で。 ほんっと・・変人なんだけど。」
真太郎は苦笑いをした。
「変人?」
「そう。 兄の自分から見てもコイツ、どっか壊れてんじゃないかって思うくらい。 はちゃめちゃで。 ピアノは子供のころからずうっとやってて、けっこうなトコまでいったんだけど。 いきなり高校生になるときに、『野球やりたい』って今までいたエスカレーター式の学校を辞めて、野球の有名校に行っちゃうし。 高校野球に打ち込んだと思ったら、今度はウイーンにピアノで留学したいって言い出すし。」
ふっと笑った。
「はあ・・」
話を聞いただけでも
そうとうむちゃくちゃだった。
「頭も悪いし。 どうしようもないけど。 でも、ピアノだけはほんっと・・巧かった。 巧いっていうのかな、スゴかった。 そのコンチェルトを見るまでほんっとあいつのピアノ聴くの久しぶりだったんだけど。 もう、びっくりして。 すごい進化だったから・・」
真太郎は頬づえをついた。
「あいつがウチに来てくれたら。 もっともっと『クラシック部門』の未来が広がる。 きっと、」
目が
輝いていた。
もう
胸がしめつけられそうで。
そんな彼を見ているだけで。
「お手伝い、させてください。 2年間、あたしは真太郎さんにお世話になりっぱなしでしたから。」
ゆうこはつぶやくようにそう言った。
「・・ありがとう、ございます。」
真太郎は嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、真尋との契約に乗り出すわけやな、」
南はホテルにパソコンを持ち込んで仕事をする真太郎に言った。
「他には獲られるわけにいかないからね。 今、スケジュールを調べてる。」
「直接、言うたらええやん。 真尋に。」
「いや。 あいつの性格はわかってる。 まともにいったら・・逃げられる。」
「はあ?」
「同時に『クラシック部門設立』の案も練らないとだしね。 こっちは白川さんにも協力してもらって進めるから。」
「白川さん。 社長の秘書の?」
「うん。 専門知識のある人に相談もしたいし。」
「あの子・・かわいい子やな、」
南はボソっと言った。
「え?」
「白川さん。 今日、紅茶淹れてもらったけど・・めっちゃおいしかった。 喫茶店の味がした。」
真太郎の背中から抱きつくように言った。
「彼女はね、オヤジのお気に入りだから。」
真太郎は笑う。
「あ~、わかる。 ちょっとお母さんに似てるもんね。」
「え? オフクロ?」
「ウン。 なんか、ほわ~~んとしたトコ。」
「そうかもね・・」
ふっと笑う。
「・・ずっと二人で仕事してきたの?」
「おれが会社で仕事し始めて2年位して彼女が入ってきたんだけど。 いきなり社長から秘書に指名されてね。かわいそうなくらい厳しく言われて。 何度も辞めたいって、泣いたりして大変だった。」
真太郎は思い出して微笑んだ。
「へえ・・」
「彼女はすっごく女らしい人で。 仕事ができるかは別にして。 バリバリ仕事するタイプじゃないし。 だけど・・気の利く人だから。 そういうとこ、オヤジは見てたのかなァって。 今はもう・・おれよりも白川さんのこと信頼してる。 ほんと、ずうっと一緒に頑張ってきたからね、」
「あたしのいない間。 いろんなことあったんやな・・」
南はほんの少しだけ
ゆうこにヤキモチを妬いてしまった。
「南が早く帰ってきてくれないからだよ、」
真太郎はポツリと言った。
「真太郎、」
「仕事が楽しくて。 ほんとは・・1年って約束だったのに。 もう、2年も経っちゃったし。」
南は彼を抱きしめる手にぎゅっと力を込めた。
「ごめん・・」
「このプロジェクトを立ち上げる時には・・戻ってきて欲しい。」
南は彼の耳元で
「ウン・・」
と小さくつぶやいた。
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