後日譚。

「あなたでしょう?」


 簪を一本一本抜きながら皇后は、黒い軍服を脱ぎ散らかしの勢いで取る夫に言う。下服とズボンだけになると、疲れたとばかりに、長椅子に身を投げる。


「何のことかな」

「あの子ですよ。あの子が一人でわざわざ松芽枝まで来られる訳はありませんもの。だいたい私、あの子に松芽枝へ行ったなんて知らせてませんでしたわ」

「いやいや、実に母親を恋しがって寂しそうだったんでな」

「それはそうですけど、そういう時の為にも、乳母がちゃんと付いているんではないですか。それに私、結構長くかかるかもとは言いましたしね?」

「ああそうだったな」


 忘れていたとは言わせませんよ、と彼女は夫を脅す。


「それともまさか、あなた、私が本当にあのまま留学先までついて行ってしまうと思っていましたか?」

「…………当初は三人、なんて意味深なことを言うお前が悪い」

「あら、気を揉んで下さいました?」


 くすくす、と彼女は笑う。

 皇帝は何も言わず、苦虫をかみつぶした様な顔になる。

 ようやく全部の簪が取れたので、皇后は頭を軽く振って髪を全部下ろす。

 女官長に向かって「普通のお茶を」と頼むと、長椅子の下に腰を下ろした。もちろん彼女も重苦しい礼服は脱いで、簡単な部屋着になっている。


「それにしても、ずいぶん今回はとんでもないモノを引っ張り出したな」

「ヴェールを付けられるような礼服はあれしかなかったんですもの。でも基本は冗談。もともと今日の式なぞ茶番でしょう? 茶番には茶番にふさわしいものを」

「ま、あいつらもそれは判っていただろうな」


 この日参加していた閣僚のことを皇帝はそう評する。


「まあ、保存庁長官は普段から俺の冗談など解しない奴だったから、哀れと言えば哀れなんだがな」

「アーランとカエンにはいいショックであって欲しいものですわ」


 ノックの音がする。女官長からです、若い女官の一人がお茶を持ってきた。


「御苦労様、アカネ。例の件は上手くいった?」


 十代も半ば、帝都に足を踏み入れられるぎりぎり位の年齢程度の黒髪の少女は、お茶を注ぎ分ける手は休めずにきっぱりと答える。


「はい、路線周辺の公有地の中でも特に火災等の危険の無い所を選んだ、と朱と緑が申しておりました。窓から特大花火が見える筈です」

「特大花火、ねえ」


 皇后は苦笑する。


「まあいいんじゃないか? 周辺住民も綺麗なモノを見られることだし」 

「山吹も首尾良く乗り込んだようです。上手く使命を果たせればいいんですが」

「茜。心配なのは判るけれど、あの子だって残桜衆の一員なんだから何とかするわよ。この間だって、ちゃんとカエンラグジュを傷一つなく送り届けた訳だし」

「はい。ありがとうございます」


 「普通のお茶」とはこの地方では黒茶のことである。濃く出すと、体質によっては夜眠れなくなるらしい。


「はいどうぞ」

「もう少し濃いのがいいな」

「ではもう少し待って下さい。これは私がいただきましょう」


 ポットの中には多めの湯が入っていることが多い。濃いのが好きな者は、その最後の一滴が一番美味に感じるという。


「で、結局何故お前は山吹を加えさせたんだ?」


 彼は妻に訊ねる。皇帝は計画を皇后から聞いた時から、それがずっと不思議だったのだ。

 皇后の解答は明瞭だった。


「山吹は、私についている中で、一番何かを考えようと思えば考えられるのに、一番何も考えようとしていない子だからです」

「ほう」

「朱は小隊長ですから無理ですよね。彼が一番頼りにはなりますし、あれは私にすら敬称をつけない良い根性をしていますから、連合で何かの経験を積めばもっと面白い人になるでしょう。でも彼が抜けたら今の隊は無くなりますし」

「蒼とかはどうだ? あれもなかなか何も考えてないように見えるが」


 彼女は首を横に振る。


「彼はあのままでいいのです。誰にだって適性というものがあるでしょう? 彼にそれを求めるのは酷です」

「素直であれ、か」


 皇后はそれには答えなかった。


「……茜や緑は放っておいても、自分の答は自分で探します。他はその間ですが、山吹は持ち合わせる能力と意欲の差が著しくて。だからちょっと、遠くの風を吸わせてやろうと思いまして」


 それを聞くと皇帝は身体を起こした。


「じゃ、お前、最初からあれを三人目と思っていたのか?」

「当然ですよ。あなた変なところで心配なさるから」


 全く、と一言吐き出すように言うと、皇帝は勢いよく、再び長椅子に寝そべった。皇后はそんな彼に寄り添う。


「全く、何回言ったら判るんですか。確かに連合へ行くのは魅力的ですが、あなたとあの子が居るうちは私は帝国から出ませんよ。出る気は無いですわ」


 彼はうつ伏せになってクッションを抱える。


「何を拗ねてらっしゃるのですか、それじゃああの子と同じじゃないですか」

「ああそりゃ、親子だからなあ。拗ねる態度もきっと同じなんだなあ」

「……あなたお幾つになりました?」

「忘れた」

「もう」


 ふう、と呆れたようにため息をつくと、皇后カラシェイナは夫の髪を軽くひっぱった。皇帝は痛い、とあのだるそうな声で抗議する。


「ちゃんとこっちをお向きになって」


 はいはい、と彼はのそのそと顔を彼女の方に向ける。よくできました、と彼女は皇帝の頭を抱いて、その頬にくちづけた。 


***


 さてここからは付け足しである。


 この第一回女子留学生の二人(+一人)は、五年目に一度帰国したが、最終的に連合には十二年滞在した。


 五年目の報告で、留学の効果は有り、と判断した皇帝は、予定通り残り五年の滞在を許可した。

 更に五年が経った時、専門分野を深く追求していた二人は更に二年の延長を申請した。

 その頃には第二次、三次の短期留学生が既に帰国していて、それこそアンドルース教授の言った「抜け道」を有効活用させる者が出てきていた。


 コズルカ・アーラン・オゼルンは、結局法学を選んだ。

 だが最初の数年は、法学関係の専門学校へ入るための準備だけで時間を取ってしまった。

 その点は医学専門を希望していたマイヤ・カエンラグジュ・トゥルメイも同様で、彼女達二人は、連合の学校のレベルの高さと同時に、実は基礎すらしっかりと学ぶことができていなかった帝国の女子教育の問題点を見抜いた。

 したがって彼女達は五年目の一時帰国の際に、その点を報告の中に混ぜ込んで提出した。


 実際にその点を強調して話したのは、コンデルハン侯爵夫人リュイファに対してだけである。

 公的報告に直接それを示すことは、まだ時期尚早だとアーランもカエンも考えた。それはアンドルース教授の忠告を考慮したものと考えられる。その頃教授は既に鬼籍に入っていた。


 紅中私塾では、その穴の空いた知識を補うように設備を広げた。穴の空くのは主に中等学校のカリキュラムからである。紅中私塾では、希望する者に男子中等学校と同じ教育を与えることにした。


 帰国後、カエンラグジュは帝国初の女子医学専門学校を作った。

 当初は紅中私塾の一部門であったが、次第に人数が増えるに従って、規模を拡大して行き、彼女の帰国後八年後に、小さいながらも独立した学校として出発した。


 アーランは紅中私塾で法学と経済学の専門教授として生涯教え続けた。

 研修医期間や何やかやで長い滞在が必要だったカエンと違い、アーランが長期滞在したのは、二つの学位を取得するためである。

 可能だ、と彼女は自分に言い聞かせ、そしてそれを実現した。

 また、彼女が法学に興味を持つきっかけであった「抜け道」についても、どの法律が女性を苦しめているか、それを合法的に解決することはできないか、ということも仕事の傍ら、研究を続けた。

 その「抜け道」を利用して裁判に持ち込み、勝った例も数多くある。

 帰国後十数年して、コンデルハン夫人が亡くなった際、彼女は次期学長の座を期待されたが、丁重にそれは断った。


 カエンとアーランは、結局帰ってきた年齢も年齢だったことと、自分の仕事が忙しく、熱意の持てるものだったことから、結婚もせず、子供も持つようなことはなかった。

 なお、彼女達の他にもう一人連合へと行った少女が居たらしいが、公式文書にはその気配はない。


 ―――アーランとカエンは生涯友達だったという。

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西向きの窓を開けて~六代帝の時代の女子留学生の前日譚 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

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