⒉
招待されたのはいいものの、こんな豪邸に三日間も居るなんてね。
翌日、ボクは寝惚け眼で大きな窓を見つめる。どうやらきのうの夜から一雨降ったらしい。窓が濡れている。それと、雨が降ったにも関わらず、未だに曇天模様。ボクは溜息を吐きながらも窓から視線を外して、服を着替える。
「ち、ちょっと、璃音!?」
と声が降りかかる。のそりとそちらを見ると赤い顔で顔を逸らす香薫の姿があった。
「あぁ、香薫か。おはよう」
「おはようございます……じゃないですよ!なんで今なんですか!」
「なんでって、そりゃあ起きたんだから着替えるだろう?」
「な、なら、僕のいない所で着替えてくださいよ!」
何を言っているんだ香薫は。
「どうせ、婚約者なんだから見慣れておけばあとは困らないだろうに」
「嫌ですよ。その時はその時です。僕だって男なんですからね?」
溜息をつきながらも後ろを向く香薫にボクはニヤッと笑っては軽く布を擦らせては静かに香薫に近寄る。
「着替えたよ香薫」
「分かりました」
さぁ、振り向け。振り向いてまた動揺を。
「まぁ、璃音のことですから着替えてないでしょうから振り向きませんけど」
なん…………だと…………!?ボクのすることを予測していたというのかこの人は!?
「…………な、なんで分かったのかな?」
「どれだけ一緒にいると思ってるんですかまったく。でも、その下着はとても似合ってますよ」
「…………あんな顔しといてバッチリ見てるじゃないか変態」
ボクは自分の胸を両腕で抱き締める。
「…………仕方ないじゃないですか。いきなり音がしたんですから」
「…………なるほど。きみはこういった下着が好み……か」
ボソッと呟いては服を着始める。着終えれば、鏡台の前の椅子に座る。
「じゃあ、髪を
「……分かりましたよ。いつもの髪型で良いですか?」
「構わないよ。ボクが結うよりもきみがやった方が調うからね」
「早く慣れてくださいよ」
そう言いながらも香薫は優しい手つきで髪の結び始める。とても心地がいい。
「終わりましたよ」
「あぁ、ありがとう。それじゃあ、リビング兼食堂へと向かおうか」
立ち上がり、部屋を出る。するとそこに家令の篠倉が立っていた。
「おはよう篠倉さん。もしかしてまたボク達で最後だったかい?」
「おはようございます篠倉さん」
ボクと香薫は軽く頭を下げれば篠倉も頷く。
「あぁ、おはよう二人とも。良く眠れたようで何よりだよ。朝食は出来ているよ」
彼の言葉に頷いては篠倉を先頭にリビングに向かう。そこには人が揃っていた。のだけれど……。
「……篠倉さん」
「何かな?」
「……璃音?」
ボクは小声で少しだけ前にいる篠倉に言う。
「垣原さんがいないみたいだけど、ボク達で最後なんだよねほんとに」
「そうだと思っていたんだが……何処に行ってしまったのやら」
篠倉はそう言った後、リビングに通る声で、
「ここに垣原悠華さんが来たのを見た人はいるかな?」
と声を張った。低い声だというのに、よく通る声だこと。
「いんや?見てないよ」
昨日、ボクに絡んできた名淵が発破をかける。それに乗じて、
「同じく俺も見ていない」
部屋に戻る傍ら軽く自己紹介を済ませた四十代の男性の
「あたしも見てないわ〜」
こちらは二十代前半のおっとりとした印象の
それを見たボク達は顔を見合わせ提案する。
「確か垣原さんの部屋は二階の奥まった部屋だったね?起こしに向かおう」
「朝が弱いかもしれんぞ?」
名淵の言葉に溜息を吐く。
「そうだとするなら、前もって篠倉さんに言ってると思うよ。何か聞いていたかな篠倉さん」
「残念ながら聞いてないよ。弱ったな。こうなるなら人数分作っておく必要なかったかな」
「それは部屋に行ってみれば分かるさ。行こう香薫」
「わ、分かりました」
ボクは踵を返して階段を上がってゆく。その後ろに他の面々が着いてくる。だけれどボクは気にせずに歩を速める。何故か。
「…………嫌な予感、ですか璃音」
傍らの香薫の囁きに頷く。階段を登り終えた後にボクと香薫の部屋がある左側ではなく右側の方へ足を向ける。ヤケに長い廊下だよほんと。
「ここだね」
ボクは篠倉を見ては頷いたのを確認し、ノックする。
「垣原さん?起きてる?」
然し乍らなんの反応もない。ドアをよく見れば薄く開かれているではないか。ボクは少し逡巡してからノブを握り、外開きに開けていく。
「…………篠倉さん。今すぐ警察に電話を。早く」
努めて平静にそう言いながらも部屋の中に入る。
「そ、それは何故…………あぁ、そんな……」
ボクの後に香薫が入り、ボクの言葉に疑問に思いながらも後に続いた篠倉は部屋に入った瞬間に察したようだ。
「……どうにもこうにも、遺体のようだよ垣原さんは」
香薫が慣れたように黒手袋を渡してくる。ボクはそれを受け取りながらも篠倉を、そして同じように呆然と立ち尽くす名淵達に言う。
「……璃音。垣原さんは……」
「無理だね。とっくに息が消えてるよ。それに、肌の色も白すぎる。あぁ……血を抜かれたのか」
ボクは装着した手袋で
「恐らく、睡眠薬か何かを飲まされたのだろうね。爪の間には加害者の血も皮膚片もない。それに偉く血の抜き方が上手いね。これは注射器かな?の跡があるね。だとしても、かなり小さい。香薫、これってなんだと思う?」
ボクの言葉をメモしながらも香薫は言う。
「……注射器、だと思いますけど」
「立たせたままかい?それだと時間が掛かるよ。あぁ、献血などに使われるチューブ管を用いればそれとなく早いか。左内側の肘に注射痕。首は……ピアノ線かな?ワイヤーとも針金とも違いかなり細い。且つ、頑丈。吊るされた圧迫で食い込んでいるようだけれど、血の流出が無し」
淡々とまるで司法解剖のように言っていると、
「な、なんだこれ……!?」
この声は名淵だなと顔を彼の方に動かせば、彼は壁を見て驚いていた。皆が皆、その視線を追い、壁を見た。そこには赤黒い文字で英文で書かれていた。
「……なんですかこれ」
「なんでもかんでもない。これは犯人によるものだろうね。被害者の垣原さんでは書けるはずもない。だとしても、『Catch me early.Before committing a crime any further.A black impulse doesn't stop.
I don't have myself restrained any more.』か」
「な、なんて言ってるんですそれ」
ボクの流暢な発音が部屋に響き、香薫は聞き返してくる。名淵も邑上も藤澤も矢張もそしてどうやら連絡を終えて戻ってきた篠倉もがボクに視線が集まる。
「……『早く私を捕まえてくれ。これ以上罪を犯す前に。黒い衝動が止まらない。もう自分を抑えられない』……こう言っているのさ」
仕方なしに呟く。
「……えっと、つまりは犯人はその黒い衝動で垣原さんを殺害した、と?」
「そうなるね。けど、本当かどうかは分からないよ。だってこれ、ボクの知ってるロックミュージシャンの曲の中にある歌詞の一節でそのアルバムのフィクションの話の中で登場する一節なのだからね。まぁ、実際、1945年、終戦後のアメリカで起きたブラック・ダリア事件を元に作られたみたいだけれどね」
ボクのスラスラと知識を話す様は異様に映るだろう。こんなことが起こっていても平然としているのだから。
「……なんでそんなに平然としていられんだお嬢ちゃんは」
名淵の言葉にボクは笑みを浮かべながら彼を見る。
「見慣れているからが一番の理由。ボクはこれまで多くの屍体を見てきたからね。さすがにネクロフィリアでは無いけれど、目の前に謎がある。ならこれを解かなきゃ。垣原さんが何故殺されたのかは正直どうでもいい。理由なんて人それぞれだからね。でも、ハウダニット……誰がしたかには興味がある。昨日はボク達で最後なのは確認済みだ。だとするならこの中に犯人がいるのさ。まったく、まさかこんなふうにあのCDの舞台に上がるなんてね。聴いているならそのままで構わないよBlack Dahlia Avenger(ブラック・ダリアの復讐者)。ボクがこの謎を解明して上げるよ。心して待っているといい」
ボクの言葉にその場の空気全体が凍る。ボクは手持ちにあったスマホで壁に書かれた文字、そして赤子の人形を抱いて、天井から伸ばされたピアノ線により吊らされたマリア像を象られた垣原を写真に納めた。
「……璃音。死亡推定時刻はどうなりますか?」
「……恐らく、まだ死後硬直が始まりかけているところを見ると早くて六時間前、遅くて……ボク達が解散した後に行われたと判断して良いね」
ボクは鏡台の椅子を持ってきてはそれの上に上がり、垣原の状態をさらに見た。
「……これ、あぁ……ルージュだね。それも多分壁の文字と同じだろうね」
垣原の両目から流れ落ちるように描かれた線はルージュで描かれていた。それを確認してはこれ以上の発見は無さそうかなと判断し、一応護身用として常備してるハサミでピアノ線を切る。ちょうど香薫が垣原を抱え、ベッドに寝かせた。
「…………場所を変えようか。リビングで構わないさ。それぞれ聞かせてもらうよ。アリバイと言うやつさ」
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