第9話 強くなるために -プリネラ- ⑵

八ヶ月の歳月が過ぎ去ろうとしていた頃、私は遂に龍脈山への道を走破した。

道中何度も死にかけたけど、なんとか大峡谷の終着点を見ることが出来た。


龍脈山から流れ落ちる水が大峡谷の闇の中へと落ちていく。地下に流れ込む一本の滝。それがこの大峡谷の終着点の姿だった。

大峡谷の外からここへ下りようとしても、周りの壁が大きく反り返りそれを拒む。つまり、外からはこの景色を見ることが出来なくなっている。


「どうだ?なかなか絶景だろ。」


「うん。」


一層太く広い木の根の上に座っていた私の隣に、ヌロトが着地する。

昔の様に驚いたりはしない。一ヶ月程前に気が付いた。

私が大峡谷へと足を踏み入れる度に離れて私のことを見ているヌロトの気配に気が付いたのだ。

放任している様に見えたのに、本当は私の事をずっと見守っていた。

気が付いた事を伝えてはいなかったけれど、ヌロトの事だから私が気が付いた事を直ぐに察知しただろうと思う。


滝が流れ落ちる音と冷たい水飛沫が火照った体を心地よく冷やしていく。


「ここまで来られたなんて本当に凄い奴だな。プリネラは。」


「私には強くならなきゃいけない理由があるから。」


「……そうだったな。」


「……」


「よし。それじゃあ今日からは俺の持つ技術を教えてやる。と言ってもそんな大したもんでも無いがな。

毎日あの家からここまで来た後、そいつを教えてやる。」


「……分かった。」


「慣れても気を抜くなよ。ここの奴らはそんなに甘くはねぇぞ。」


「うん。」


それから私は荒屋から再奥の一層太い木の根まで毎日通った。ヌロトの言うようにこの場所は甘くは無い。一度到達出来たからと言って気を抜けば、私を食すために虎視眈々こしたんたんと狙う捕食者達が即座に襲いかかってくる。


そんなスレスレの通い道を抜けるとヌロトとの鍛錬が始まる。

ヌロトは本当に強かった。どれだけ私が試行錯誤しても触れる事すら出来ない。一瞬でも目を離すとその隙に気配もなく消え、気付くと後ろを取られていたりする。


そんな生活を続けていく中で、酒に酔ったヌロトがポロリとこぼした話を聞く機会があった。


悪鬼ヌロト。彼がいつも身に付けている仮面の元となった鬼。その鬼は幾人もの人を喰らい、同族であるはずの鬼をも喰らい続け、全てに恐れられた存在として、人種の中ではかなり有名な話だった。


彼が何故そんな悪鬼の仮面を被っているのか。

彼には昔とても仲の良い友がいたらしい。小さな時からずっと一緒に互いに高め合うライバルであったその友の話から始まった。


ヌロトもその友もジゼトルスの片田舎の村に生まれた。その村では、いつも森の中で糧を得る生活をしていたらしい。

当然ヌロトとその友も小動物を狩ったり山菜や木の実を集めたりと森に毎日入っていた。

二人は小さな時から村でも有名な仲良し二人組であり、狩りの腕も頭一つ抜けてとても良かった。


そんな彼らが成人になり、冒険者となるのはある意味当然の流れだった。

腕が立つのであれば冒険者か兵士になれば稼ぐ事ができる。二人の戦闘スタイルは共にアサシンであり、その腕は冒険者ギルド内でも重宝され色々なパーティに引っ張り凧となっていた。


しかし、アサシンというのは特殊な立場であり、パーティを組んでも単独で動く事も多い。その為パーティ内には一人だけ、というのが普通だった。

つまりヌロトと友はあまり同じパーティ内で顔を合わせる事は無かった。


別に男同士だし気にもしていなかったが、ある日その友がヌロトを呼んで話があると言ってきた。

当然ヌロトはその友の話を聞きに友を訪れ、酒を酌み交わした。


その時友が話した事は、よくある話だった。


手伝いを頼まれて一度協力したパーティの中にいたある女性に恋をした。という事だった。

冒険者という稼業では普通にある事だったし、それで結婚した人達も大勢いる。

友の話ではその女性とも上手く行きかけているとの話だったしヌロトは両手を広げて喜んだらしい。


親友が結婚するとなれば誰でも喜ぶものだし友も恥ずかしそうにしてはいたがきっと嬉しかっただろうと思う。


そして友はそのパーティに本格的に在籍する事をわざわざ報告する為にヌロトを呼んだ。という事だった。

そのパーティの事は知っていたし、特に暗い噂も無く健全なパーティだったからヌロトは当然後押しした。

少しだけ不安だったのは、そのパーティのリーダーが少しだけ自信過剰な性格であった事だった。

冒険者をやっていれば皆自信やプライドを持っているし、冒険者として成り上がる為には必要な感情でもあった為、そこまで気にする事も無いかと注意しなかった。


そうして友を見送ったヌロトの元に、一ヶ月後、友の悲報が伝わった。


ある任務にパーティで出た友はその任務の最中に死んだ。


報告では予想もしない強敵のモンスターに友が立ち向かい、死んだとの事だった。

当然ヌロトは悲しく辛い時間を過ごす事になったが、友は優しい男だったし、好きな人を守る為ならばと身をなげうつくらいの事はするかと納得もした。


パーティのメンバー達もヌロトの元に来て事情を説明してくれた。

友が愛した女性は軽い怪我で済んだらしく、ヌロトもその事を知って友を誇りに思った。


しかし事実は違った。


ある日ヌロトが一人で簡単な依頼をこなす為に近くの森へと入っていた時の事。例のパーティが何かの依頼なのか、同じ場所に入ってきた。

当然ヌロトは声を掛けようとしたが、彼らの雰囲気に違和感を覚えたヌロトは身を潜めて様子を伺った。

友が死んだすぐ後だと言うのに楽しそうに談笑している女性の姿があまりにも不思議だった。


ヌロトに気が付かずしていた話の内容はヌロトにはとても許せるものでは無かった。


その内容とは、そのパーティにいる四人全員が漏れなく吸血鬼であり、友を騙し、嘲笑い、最後までその女性を信じていた友をその女性本人が殺した。というものだった。


楽しそうに友を笑う姿を見て、ヌロトは全身が打ち震える程の怒りを覚えた。


本当ならその瞬間に飛び掛ってめちゃくちゃにしてやりたかったけど、それを我慢した。

全員を殺す為には、それぞれが単独でいる時に、確実に。

ヌロトは友とお揃いの真っ赤なナイフを強く握りしめることで自我を保った。


そしてヌロトは復讐に走る事になった。『人を喰らう鬼』を喰らう悪鬼となって。


ヌロトは友と共に身に付けた技術全てを利用してその四人を一人ずつ襲った。

吸血鬼は再生力が人より高いし身体能力も高いが、ヌロトにはそんな物は関係が無かった。

闇に紛れ、音もなく忍び寄り、一撃で行動不能にする。


一人、また一人と殺し、最後に残ったのは例の女性だった。

その時には自分が何者かに襲われている事に気が付いていたその女性は街から離れる為、夜中に宿を飛び出した。


街を出て新月の夜に森の中へと入る女性。


荒くなった息遣い。上下する肩。怯えるような目。その全てが憎くてたまらなかった。


逃げ込む場所を間違えた女性の背中から忍び寄り、ヌロトは女性の首元にナイフを当てる。


「ひっ?!」


女性の短く息を吸い込む声が聞こえる。


「だ、誰なのよ?!なんでこんな事をするの?!私達が何をしたって言うのよ?!」


その言葉を聞いてヌロトは生まれて初めて限度を超えた怒りを感じた。

本来ヌロトは友が愛したその女性と言葉を交わそうと思っていた。だからこそ彼女を殺さずナイフを押し当てているのだから。


だけどヌロトは悟った。彼女、いや、は自分達とは全く異なる生き物であることを。


なんの抵抗も無く喉元を滑ったナイフの刃。暗闇の中に勢いよく血が舞う。


「ヌ゛……ロ゛ト゛……」


喉を切られ絞り出された声と、ヌロトの仮面を見る目を見ても既に何も感じなかった。


それからヌロトは冒険者を辞め、素顔と名前を隠し傭兵として仕事をこなす様になった。

誰にもなびかず、びず、属さない彼は人との関わりを断ち切るかのように流れ流れて、遂には龍脈山を超えた先にあるこの大峡谷の底へと辿り着いたらしい。


ヌロトが何故私にだけ素顔を見せてくれたのは、経緯は違えど、私もヌロトも最愛の友を失った悲しさや怒りを知っていたからかもしれない。


机に突っ伏してむにゃむにゃと口を動かすヌロトを見てそんな事を考えていた。


そんなヌロトとの鍛錬は毎日続き、計一年の時が流れた。

その頃には私の能力も昔とは比べ物にならないくらい上がっていた。最初はあんなにも苦戦していた大峡谷行進も、今ではシャドウランナーの真後ろを通っても気付かれない程になっていた。


「これで教えられる事は全て教えた。」


「ほんと?!」


「あぁ。」


「やったーー!!」


喜ぶ私を見てヌロトは木の根の上に座り込む。

地下へと流れ込む滝を眺めながらいつも持っている酒をグイッと飲み込む。


そしていつもの少しおちゃらけた声とは違い、真剣な声で私に言った。


「俺が教えたこの殺鬼さっき流暗殺術は、前に一度だけ酔った勢いで話した友と共に考えたものだ。」


「え?!そうだったの?!」


「いつか鬼をも殺せる技として有名になると鼻息を荒くしていたっけな…

鬼を殺せても、自分が死んでちゃ有名になんざならねぇってのによ。」


そう言ってヌロトはまた酒を飲む。


「じゃあ私が必ず引き継いで行くよ。」


「………それはあいつも喜ぶかもなぁ…」


そう言って少し笑いまた酒を飲むヌロトが寂しそうに見えた。


「プリネラ。そう言ってくれるお前にこいつを渡す。」


「これは…?」


ヌロトが渡してくれたのは、真っ赤なナイフ。


いつもヌロトが持ち歩いているナイフと同じ物。


「俺の友が持っていたナイフだ。」


「そんな大事なもの貰えないよ?!」


「いや。貰ってやってくれないか?きっとあいつもその方が喜ぶと思うんだ………まぁこんなオッサンよりも美少女に持ってもらった方がそいつも喜ぶだろうしな。」


「ヌロト…」


「丈夫さは保証するぜ。なにせ今まで使ってきた俺のナイフが刃こぼれ一つしてないんだからな。」


「……分かった。必ず受け継いでいくよ。」


「あぁ…」


ナイフに刻まれた名は鬼血きけつ。私は鬼血を受け取り、無言でヌロトの酒を貰い、心にその事を強く誓った。


「行くのか?」


滝を眺めながらヌロトは聞いてきた。


「うん。マコト様が待ってるからね。」


「そうか。」


「ありがとね。ヌロト。」


「それはこっちのセリフかもしれねぇなぁ……………死ぬなよ。」


「……うん。」


私の中で死ねない理由が一つ増えた瞬間だった。


こうして歳の離れた友との別れを済ませ私はそのまま龍脈山の麓へと向かった。

広大な森の中では活動を開始した動物や、モンスターがチラホラと見える。

今までずっと足場の悪い場所にいたからか、木の枝を飛び移る動作が凄く楽に感じてしまう。


私が通り過ぎたことに小動物やモンスターは全く気がついていない様子で、ヌロトとの鍛錬が無駄では無かったと改めて実感する。


森の中を進んでいると、一つの大きな気配を感じる。


シャドウランナーの亜種だ。

大峡谷にもいた奴で、かなり危険なランクAのモンスター。そもそもシャドウランナーは不可視化という強い武器を持っている。

攻撃時には不可視化が解けてしまう。という弱点にならない弱点はあるものの、探知系魔法の使えない人にとっては相当恐ろしいモンスターである。

そしてその亜種は手の鎌が短くなり、より静かにより速く動ける様に進化したモンスター。つまりもし見つかったとしてもそのスピードだけで相手を狩り殺す事が出来る。

その圧倒的な隠密性の代わりに防御力はそれ程高くはないが、それを補って余りある能力に何人もの人達が犠牲になってきた。

大峡谷でも最後まで気を抜けなかったモンスターのうちの一つだ。恐らく大峡谷にいた個体の一つが外に出てきたのだ。


とは言え、あの大峡谷を毎日往復していた私にとってはある意味知った顔。討伐はしていないがシャドウランナー亜種に気付かれず近づくのは容易な事となっていた。


不可視化を使っていても確かに感じられるシャドウランナーの気配を辿りその背後へと回り込んでいく。


腰の後ろにクロスする様に携えた黒椿と鬼血。

逆手に 柄を持ち引き抜く。右手には黒い刃。左手には赤い刃。


そして背後へと回り込んだ私は足に力を込める。


殺鬼流暗殺術、鬼殺おにごろし。

この暗殺術の基本の技。音もなく数メートルを跳躍し、急所を貫く技。

急所を貫くのはそれ程難しい事では無いけれど、音を出さずに跳躍するというのは恐ろしく難しい。私も会得するまでかなりの時間を要した。


ズブリと首元に刺さる二本の刃。横に左右から突き刺さった刃に気付いたシャドウランナーが不可視化を解きブンブンと腕を振る。

当然その時には既に私は離れて身を隠している。

私の存在に斬られた後も、尚気が付かないシャドウランナーは腕を振りながらヨロヨロと足を踏み出してそのまま倒れる。


少し離れた所でその様子を観察し、息が無くなった事を確認したあと鬼血に目をやる。

黒椿よりも一回り小さな鬼血だが、その切れ味と丈夫さはかなりの物。多分だけどこのナイフは国宝級の物だ。

刃こぼれ一つ無い二本の頼もしい、そして私がこの世界に生きる理由となった武器を腰に戻す。


ヌロトはマコト様とは違うタイプだけれど、マコト様と同じ目をする。優しくて暖かい目。世の中あんな目をする人ばかりで溢れればもっと良くなるのに。なんて無駄な事を考えたりすることもある。

私の掃き溜めの様な人生の中で、二人に出会えた事は誰よりも幸せで誇れる私の唯一の宝物。

それを守る為なら私は何にだってなってやる。それが例えヌロトと同じ悪鬼であれろうと、それ以上の存在であろうと私は絶対に臆する事は無い。


恐らくだけどヌロトは私への技術伝承を終えた今、傭兵稼業から足を洗うつもりだと思う。

きっとあの場所から出て、仮面を脱ぎ、全く別の人間となって暮らしていくのだろう。だからきっと私は、今生こんじょうでは二度とヌロトに会う事は無い。


最後に飲んだ酒の味が口の中にまだ残っている。

その味を忘れない様に何度も繰り返し記憶する。


ヌロトと友が最後に酌み交わした酒であり、私がヌロトと最後に酌み交わした酒でもある。

きっと彼はこの先もずっと飲んだくれジジイとして一生を終えるだろう。私も少しだけお酒が好きになった。あんなお酒を飲める事はもう無いだろうけど…

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