第4話 暴走と謎の人物

氷の大蛇の全長はどれくらいかハッキリとは分からない。胴回りは人の背より大きい。その胴の上にたった白い女が手を前に出すと、口をガパッと開ける。

白いモヤの様な息が真琴様の方へと向かって大量に吹きかけられる。よく見ると白いモヤではなくてキラキラと光っている粒の集合体。

その粒が地面に触れた瞬間。地面がバキバキと音を立てて凍りつく。もしあの大蛇を最初から出していたら、私達は為す術もなく瞬時に殺されていたはず。それくらい強力な相手であるにも関わらず、炎鬼は特に何もせずに立っている。

白い息が炎鬼へと辿り着くと思っていたのに、白い息が炎鬼の1メートル程手前で急に接近を止める。

炎鬼の力に勝てず蒸発していく白い息。それを見てもう一度手を振った白い女の動作に連動して大蛇の首がそのまま真琴様に向かって伸びていく。


その前に立ちはだかったのは炎鬼。いつ動いたのか…瞬きした瞬間にその場に現れた。

それでも構わずに突撃してくる大蛇を前に一歩も動かず、ただ前に刀を持っていない方の手を出しただけ。

その手に突撃した大蛇。


隕石でも落ちたのでは無いかという轟音ごうおん。普通に考えたら質量差から炎鬼と真琴様が同時に吹き飛ぶ画しか想像出来ない。でも、そうならなかった。1ミリたりとも後方へと動かない炎鬼。

その手が触れた大蛇の鼻っ柱から湯気がジュウジュウと音を立てながら上がっている。

燃えはしていない。でも、ただそれだけの事。大蛇がどれだけ体をくねらせて押そうとも、ピクリともしない。

押すのを諦めたのか、尻尾を大きく振り、横から真琴様を狙った一撃が放たれる。


単純な質量だけでも骨が粉々になるであろう攻撃なのに、その尻尾が通った後は全てが凍り付くというおまけ付き。


ガキンッ!


しかしその尻尾の攻撃すら真琴様に届く事は無かった。尻尾の進行を妨げたのは大蛇の尻尾に絡みつく白炎の鎖。

炎鬼が作り出した物だろうと思う。大蛇の尻尾に巻き付いた鎖は大蛇がどれだけ暴れても切れる事は無い。

嫌がるようにのたうち回る大蛇の鼻っ柱に置かれた炎鬼の掌からボゥっと炎鬼のものとは違う白炎が上がる。

と思った瞬間の事だった。大蛇の体内に送り込まれた白炎が大蛇の内側から全てを破壊し尽くす。内部で急激に熱された事によって大蛇は爆散し、体を構成していた氷の塊が辺り一面に降り注ぐ。


白い女はさっきまで狂気的な顔で笑っていたのに、今はそんな表情ではなく、ただただ恐怖のみがその顔を支配していた。

あまりにも圧倒的な力。抗うことの出来ない暴力。

自分が今まで殺してきたもの達と真逆の立場となった白い女は自分との力の差をハッキリ認識しそして逃げた。

無様な声を上げて、一心不乱に炎鬼から離れようとする。あの手この手を使って逃げようとする白い女。


そしてまたしても私が瞬きをした瞬間に炎鬼の姿が消え、気が付いたら白い女の前にいた。


「ひぃいいい!!」


振り上げられた白炎の刀が女の肩口から横腹に掛けて通り抜ける。ジュクジュクと切り口が焼ける音が聞こえてくる。

それでも逃げようと残った片腕でこちらへと這いずるように移動している白い女。その女の口から白炎の刃先が飛び出す。


目を見開き声も出せずに炎上する。白い炎に包まれた女はそのまま灰も残さずに燃え尽きていった。


「真琴様…」


少し体の自由が効くようになった私は上半身を起こしその名前を呼んだ。

叫び声をあげてから一歩も動かず、言葉も発せずただ立っていた真琴様は私の声にピクリと体を動かし、私の事を見た。


まるで何か別のものでも見ているような目をして。


瞳孔どうこうは開き、顔に生気が無い。

多分…真琴様は今正気を失っている。


あまりにも一瞬の出来事で反応する所の話では無かった。

私の首元にいつの間にか突き付けられた白炎の刃。


目の前には炎鬼が立っている。

振り抜かれていたら私は自分の死にも気がつく事さえ出来なかったかもしれない。


「う゛っ…」


僅かに残った真琴様の意識なのか…刃は私を切り裂くまでには至らなかったが、フルフルと刃が震え何かと葛藤している様にも見える。


「リン!!」


私を無理矢理引っ張ったのはシャルだった。

ボーッと見つめていた私の腕を引っ張ったシャル。私のいた所に白炎の刃が突き刺さっている。


助けられた。とそこで初めて気が付いた。


ドサリとそのまま私の上に覆い被さる様にして倒れたシャルの左腕は無く、肉の焼ける臭いが漂ってくる。


私の上に覆い被さるシャルは目を開き、言った。


「守れなくてごめんなさい。」


シャルの奥に見えた炎鬼の姿。刀を振り被りシャルと私を殺そうとしていると感じた。


もしこの世界が崩壊しても、この世の誰が死んでも。私は多分本当の意味で悲しむ事は無いだろうと思っていたし、今も思っている。もしその世界に真琴様がいるのであれば私はそれだけで十分だった。

そんな真琴様がもし、私に死んでくれと言うのなら、その死を私は静かに受け入れる。

真琴様が私の死を必要としてくれるのであれば、私にとってその死は何にも変え難い至上の喜びとさえ思える。


でも、もし真琴様が自分の意思とは関係なく私を殺すのであれば、それは絶対に受け入れられないものだった。

私にとって真琴様が全てであるのと同時に、私は多分真琴様の中の大きな部分を占めていると分かっているから。

小さな私の手を必死に守ろうと痛いほど強く握り森を駆け抜けた時。母の死に泣き続ける私の背中を泣き止むまでずっとさすってくれた時。私が食べられないと言って吐き出した物を自分で食べ、死にたくないなら食べろと叱ってくれた時。

いつも真琴様は私の為に生きてきた。それが使命であるかのように。

この世にこれ以上の愛があるというのだろうか?私にはそうは思えなかった。そんな真琴様の顔が今、どんな時よりも苦しそうで今にも泣き出しそうで…気が付いたら私は叫んでいた。


「真琴様ぁぁ!!!!」


真琴様はまたピクリと体を強ばらせ、炎鬼の刃が止まった。


ゴゥッ!


そしてその瞬間に私の前に立っていたのは、黒いボロボロのマントに身を包むだった。

背を向けているし頭までしっかりと覆われたボロボロのマントで誰だか全く分からない。性別さえ分からない。


誰かと問う前にそのボロボロのマントの人は炎鬼へ手を伸ばす。

触れれば瞬時に蒸発する様な熱を帯びる炎鬼になんの躊躇も無く手を伸ばしたその人の手が炎鬼に触れた瞬時。炎鬼が凍り付いた。比喩ひゆなどではなく実際に凍り付いたのだ。

氷が燃えるという異常な光景の次は炎が凍るという異常な光景を見ることになった。


凍った炎鬼にその人が再度触れるとバラバラになり砕け散った。

あの真琴様の魔法を。最高の威力で作り上げられた炎鬼をたった数秒で破壊してしまったのだ。


意味も分からずただ見ていると、苦しむ真琴様の元にゆっくりと近づいたその人は……


真琴様を


たった一撃の拳。それでも信じられないくらい真琴様は吹き飛び地面を何度も転がり続け、動かなくなった。


「真琴様!!この!!」


「ダメ!!リン!!」


私が襲いかかろうとした時片腕の無いシャルが私を強く押さえ付ける。

シャルの目は私では無くその人を見つめ、歯がカチカチと鳴る音が聞こえる。

あのシャルが怯えている。恐怖に歯が噛み合っていない。


「勝てない…あれには絶対に勝てない…」


白い女にさえここまでの恐怖を見せなかったシャルがここまで言う相手…


その人は怯えるシャルに近付いてきてそっと何かを手渡す。


シャルはビクリと体を強ばらせるが、その手渡された物を見ておずおずと手を伸ばした。

切り落とされたシャルの左腕。それを手渡したのだ。


敵意は無いと示したかったのだろうか…

そしてマントの奥にいる人がこちらを見た気がした。実際には顔どころか目すら見えなかったが、なんとなくそう感じた。


そして黒い手袋の上に乗せられた物を私の方へと差し出してくる。

受け取れ…という事なのだろうか?

一言も喋らないその人はもう一度私の方へと差し出してくる。


私はそれを受け取る。


その人はそれを見て真琴様の方をもう一度見る。

私もシャルも真琴様の方を見た。


「あの…貴方は………あれ?」


目の前にいたはずのボロボロのマントの人は既にどこにも見当たらなかった。周りを確認したけどどこにも。


「だ、誰だったのでしょうか…?」


「分からない…でも敵対しなくて良かった…っ!」


「シャル!」


「大丈夫…焼けただれてるから治りが遅いだけ。マコトを…」


「はい!」


シャルをその場に置いて私は真琴様の元に駆け寄る。体中が痛いけどそんな事はどうでもいい事だった。


仰向けに横たわる真琴様に近寄ると、ボロボロだけど気絶しているだけの様だった。


「良かった…」


私は腰が抜けたと思えるくらいの安堵に襲われその場にペタリと座り込んだ。

でも安心は出来ない。ここは龍脈山だし、気絶した真琴様をこのままこんな寒い場所に置いてしまってはいけない。


痛む体に鞭を打って立ち上がる。


「シャル!皆を下に運びましょう!」


「うん。」


眼下に見える森の中なら多少は寒さも緩いはず。こちら側の山の斜面はそれ程キツくは無いしなんとか運べるはず。私は無けなしの魔法で真琴様を運ぶソリを作り出しそれを使って下まで運ぶ。


シャルはリーシャとプリネラと健を同じ様に運んでくれるらしい。力も強いから簡単と言って私より楽そうに3人を運んでいく。私も身体強化使ってるんだけどな…


「ここなら大丈夫そう。」


「ですね。皆をここに寝かせましょう。」


「うん。」


四人を寝かせてやっと一息つける。


「私が見張っておくからリンも休むと良いよ。」


「いえ。真琴様が起きるまでは。」


「………分かった。」


ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー



「そうか……そんな事が…」


「皆無事ですし、炎鬼がいなければ今頃私達全員あの女の腹の中ですから。助けて頂いたことに変わりはありません。」


「……あぁ……」


「マコト。回復薬出せる?」


「あぁ…そう言えば皆が持ってた回復薬は道中でなくなったんだったか…」


「横穴の中で渡そうとしてたのに落ちちゃったから。」


「それからここまで一直線だったからな…ほら。」


「ありがと。」


シャルが回復薬の蓋を空けると俺に渡してくる。


「いや。皆に先にやってくれ。」


そんな事は気休め、自己満足でしかないのは分かっている。でも、誰だか知らないが凛達を助けてくれたボロボロのマントの奴が与えたこの痛みはしっかりと感じなければならないと思っていた。


「真琴様…」


心配そうに顔を近付けて見つめてくる凛。その頬に手を伸ばしそっと触れる。

俺の暴走で皆を殺さなくて本当に良かった…


「大丈夫。少し自分をいましめてるだけだ。後でちゃんと飲むよ。」


くすぐったそうに目を細める凛の顔を見て心底そう思った。


健達も傷は癒えたが起きるまでは少し時間が掛かりそうだった。


「そういえば凛はそのボロボロのマントの奴に何を貰ったんだ?」


「あ、そうでした。」


そう言って取り出して見せてくれたのはブローチだった。中央に白色の魔石が嵌め込まれた物。


「これは…」


「はい。この紋章。」


ブローチのデザインとなっているのはMが上下逆さになって重なった様なもの。静風護せいふうごに刻まれた紋章と同じ物だ。


「この紋章って何か有名な物なのか?」


「いえ。少なくとも私は知りません。」


「私も知らない。」


「なんでこんな所にこの紋章が…」


ボロボロのマントの奴が何か知ってはいるのかもしれないが…聞くことは出来ない。でも、俺を殴ったとはいえそれは多分俺の暴走を止めるためだ。助けてくれたのだしこのブローチも何か意味があるのだろう。

複雑な魔道具の様だが、その効果や発動条件については全く読み取れない。かなり精密に編み込まれた物らしい。


「とりあえず凛が持っててくれ。多分危険なものでは無いはずだ。」


「分かりました。」


「凛。ネックレス壊れちまったか。」


こっちに来た頃に渡した俺が作ったネックレス。風魔法が凛を護ってくれるという物だったのだが、吹き飛ばされた時に発動して壊れたらしい。


「これが無ければ私はもっと重症でした。真琴様のおかげですよ。」


「役にたってくれたのなら良かった。俺も2人に貰った腕輪と指輪。どっちも壊れちまったな。」


「あの人の拳はそれを突き抜けたって事ですか?」


「俺は覚えてないが恐らくな。」


「……恐ろしい力ですね…」


「健の外套に付けた魔石も割れてしまったらしいし新調するか。」


「新しく作るのですか?」


「次いつあんな奴と戦わなくてはならなくなるか分からないからな。出来る時にやっておくべきだろ。」


「確かにそうですけど、暫くは禁止ですよ。」


「なんで?!」


「分からないですか?」


「あー……はははー…分かりました…」


「はい。」


「凛を怒らせると怖い。」


「シャル?」


「なんでもない。私は見張りに行ってくる。」


静かに素早く立ち去るシャル。プリネラも顔負けな動きだ。

この辺りは雪女の縄張りだったのか、モンスターがいない。雪女の口振りからすと魔力の高い獲物を探していたみたいだが、他にも犠牲者はいたのだろうか…いればシャルは知っていそうなものだが…

シャルは知らないと言っていたし人の被害は無かったのか?デュトブロスの被害は外に出ないから知らなかっただけなのか…?


やる事が無いと答えの出ない問題を延々と考えてしまう。

頭を振って疑問を頭の中から飛ばして健達の様子を見る。もっと強くなり、そして自分の中の力を制御出来るようにならなければ、いつかまた、近いうちに同じ様な事になってしまう。次は誰かを殺してしまうだろう。

そんな事は御免だしなんとかなるのであればその方法を早く見つけださなければ…


「うっ……」


「気が付いたか?!健!」


「……あれ…?俺は…?」


「あの白い女はなんとかなった。今は安全そうな場所に避難した所らしい。」


「真琴様は大丈夫なのか?」


「あぁ。さっき回復薬を飲んで落ち着いた所だ。」


「そうか…

くそっ!俺が気絶してどうすんだよ!」


「俺も同じだ。暴走して凛を殺してしまう所だった…」


「真琴様…」


「……すまない…」


「謝るなよ。俺達の立つ瀬が無いじゃないか…」


「……」


「マコト…様……」


「リーシャ!プリネラ!良かった!」


「ここは…?………あの女は?!」


「とりあえず大丈夫だ。」


「マコト様!お怪我は?!」


「大丈夫。皆無事だよ。」


「良かった……」


「全員起きたし今後の事について少し話をしよう。」


「はい。」


全員が集まった所で荷物の整理をして、俺達の今後について話を始める。


「……」


「真琴様…」


「あぁ…

皆。今回はかなり危なかった。あの白い女…」


全員の顔が暗く落ち込む。それだけの惨敗という事だ。誰も歯が立たなかった。


「傷も付かなかったぜ…」


「真琴様のクリスタルシールドをあんなに容易く砕くなんて…」


「その後の事はさっき話した通り、俺が暴走してなんとかなったものの、凛を殺しかけた。」


「……」


「それをどこの誰だか分からないが…助けてくれた奴がいる。ボロボロの黒いマントを着た誰か。という事しかわかっていないが。」


「真琴様の最高の魔法を容易く破壊した人です。敵意は無かったみたいですが…」


「謎の人物を含めて俺達の実力じゃ全く歯が立たない存在は確かにいる。」


「はい。」


「俺の力が暴走してしまう事についても真剣に取り組まないといけない。これは俺個人の問題ではあるが…どちらにしても全員の力を底上げする必要があると思う。」


「真琴様の魔力を取り戻す事を優先するべきでは…?」


「もちろん俺の魔力を取り戻す事も大切ではあるが、その魔力をもっと上手く使えるようにならないとあの領域の連中には勝てない。

暴走した俺があの白い女を圧倒した事を考えると魔力自体は十分足りている筈なんだ。それが出来なかったって事は俺自身の力が足りない。

別に最強になりたいとかそんな事は言ってない。せめて俺の手の中にあるものくらい守る力が必要だと思うんだ。」


「守ってもらう気なんてねぇ。俺達が真琴様を守るんだよ。

だから…もっと強くならなきゃならねぇ。」


「健……

分かってくれたなら今後の方針を話す。暫くの間デュトブロスに滞在しようと思う。」


「まぁ…俺の剣術の師匠もいるしな。」


「ここ龍脈山は特訓にはもってこいのはずだ。」


「分かった。」


「その上で一つ目標を決めようと思う。」


「目標?」


「全員Aランク指定のモンスターを単独で討伐出来るようになること。」


「…単独で…」


「それともう一つ。自分で納得出来る目標を決めてそれを達成すること。」


「自分で納得出来る目標…ですか。」


「別になんでもいい。自分がそれを達成したら強くなれたと確信できる何かだ。」


「……」


「それらを達成する為に…全員離れ離れで行動する。」


「真琴様を一人になど!」


「凛。」


「嫌です!」


「……頼む。暴走して凛を傷付けたくないんだ。必ず制御してみせるから。」


「……でも…」


「俺は賛成だ。」


「なっ?!」


「凛。俺達が守る程真琴様は弱いのか?いや。真琴様を守ると言える程俺達は強いのか?」


「それは……」


「真琴様がこれからやろうとしてる事には俺達の存在は邪魔にしかならない。なら大人しく自分の力を付けるために動くべきだ。」


「……」


「俺は行くぜ。真琴様。」


健は刀を手に持って立ち上がる。


「あぁ。またな。」


こういう時は男の健の方が聞き分けは良いのかもしれない。一人でやる事にはちゃんと意味がある。自分一人で考え、困難を一人で乗り越える。それは想像以上に大変で辛い事だ。

だが、それが出来れば今後何かあった時に俺の指示ではなく自分の考えで動ける。

健はそれをなんとなく感じているのだろう。


「……分かりました。私も行きます。」


「私も。」


「私も行きますね。」


リーシャ。シャル。プリネラも立ち上がると思い思いの方向へと足を向ける。



最後に残ったのは凛だった。まぁ想像通りではあったが。

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