僕とそいつ

白藤 桜空

第1話

 パリッと音がする。


 それは、皮が剥ける音。古い体を捨てる音。

 ……四年に一度の、命を繋ぐ音。





 音が聞こえたら起きる合図。いつもより少し早めに朝日に挨拶して、巣穴で大きく欠伸をする。巣穴の下はマグマがグツグツと煮えていたが、僕には心地よい暖かさだった。


 僕は体を確認し、皮が捲れるのをゆっくりと見守る。

 ひらり、ひらりと舞う皮はいつ見ても花びらが散るようで、愛おしさと切なさがない混ぜになる。

 始めは肩、次に胸、尻、足、ときた後に、最後は顔の皮が捲れる。

 後は恒例行事のその変化を、時が執行するのを待つだけだ。




 思えば、この四年も色々なことがあった。

 初めの年は、僕が守護するこの山を、馬鹿な人間たちが性懲りも無く我が物にしようとしてきた。

 人間は何でも自分のものにできると過信して、無差別に木を切り動物を殺してしまう。そんなことをしては森の秩序は乱れてしまうのに。

 そんな奴らの元に僕は飛び降りる。やり過ぎてはいけないぞ、と忠告するも、人間たちは驚いた顔で木の棒を投げつけてくる。

 でもそんな枝っきれではなんの痛みもない。僕は話を聞いてくれないことに腹が立ち、ちょっと驚かそうと大きな声で叫んでみる。するとただでさえ小さい人間たちはより縮こまって一目散に逃げてしまった。




 結局きちんと忠告出来なかったな、と僕がしょんぼりしていたら、ふと一人の人間が残っていたことに気づく。

 そいつは腰を抜かしながらも僕を見て目をキラキラと輝かせていた。僕はなんだか興味が湧き、そいつに顔を近づけてみる。


 僕の鼻の穴くらいしかないそいつは、僕が近づくとなんだか喜んだように立ち上がる。

 おそるおそる僕の鼻先に触れて来ようとしたから、フンッと鼻息を吹きかける。すると何が楽しかったのかケラケラと笑って鼻に抱きついてきた。

 小さくて今にも潰せるはずのそいつの笑顔に、僕の目は釘付けになった。こいつなら、森を痛めつけないのかもしれない、と思った。




 それからは、そいつとは度々会う仲になった。後になってわかったが、人間たちは森の動物たちと違って言葉が通じないようだった。でもそいつは僕の意図を懸命に汲み取ろうとしてくれた。

 そいつは人間の仲間たちに節度ある狩りと伐採を提案し、その代わり僕も森の立ち入りを咎めることはしなくなった。



 人間の愚かな搾取がなくなって、僕とそいつは交渉役から友達に変わっていった。

 そいつは僕の背に乗って空を飛ぶのが好きだった。ちいさなそいつが吹き飛んでしまわないようにゆっくりと飛ばないといけなかった。それは僕にとってはちょっとしたストレスだったが、そいつの満面の笑みでそんなことは気にならなくなった。

 そいつはマメに森に通ってくれた。いつも色んな遊びを教えてくれた。僕は初めて感じる喜びで、毎日が楽しくて仕方なかった。



 でもそいつは、一年経った頃には顔にシワが混ざり、二年も経った頃には白髪になっていた。

 三年経つ頃には木の棒を支えにしながら歩いていた。

 僕は、空を飛んだら元気が出るぞ、と伝えたが、そいつはゆっくりと首を振るばかりだった。




 僕の脱皮の時期には、もうそいつは来なくなっていた。脱皮は時間がかかるからしばらく会えないと伝えたかったのに、あいつも薄情だなぁと思った。

 この四年で人間にもとやらがあると学んだから、僕もそれくらいにしか思わなかった。



 僕は山の噴火口に巣穴を作り、脱皮が始まるのを待っていた。新しい体になるのはいつもわくわくして楽しみだった。少し飛びづらくなった空も、艶がなくなった鱗も、脱皮さえすれば全て若返る。そうすれば、あいつをまた空に…………


 パリッ


 皮が、捲れていく。


 あれ、あいつって…………




 パリッ、パリッ


 皮がどんどん零れ落ちる。



 あいつって、誰だ…………?











 パリッと音がする。


 それは、皮が剥ける音。古い体を捨てる音。

 ……四十年に一度の、命を繋ぐ音。


 森の守護者であるドラゴンの一年は、人間にとっては十年にもなる。


 そしてドラゴンは森に生ける全ての命に公平でなくてはならない。

 必要な情報だけを残して、脱皮と共に四年間で絆を築いたものとの記憶も脱ぎ捨てる。




 ドラゴンの顔の皮が剥がれ落ちると共に、の記憶も剥がれていく。

 ハラハラとマグマに落ちていった記憶は、燃えて永遠に消えていく。



 新しい体となったドラゴンは、挨拶がわりに一声鳴く。いつもならなんの感情もないその声が、今年は悲しみを響かせた。

 ドラゴンの目には一雫の涙が浮かんでいた。でももう本人にも、その涙の理由は分からなかった。








 火山から轟くその声は、人里まで届いていた。


 は病院のベッドでそれを聞き、近くにいた看護師に嬉しそうに話しかける。

「ああ、あの子が鳴いていますね。きっと私を呼んでるんですよ。足が良くなったら早く会いに行きたいねぇ。」

「またその話ですか?ドラゴンなんて実在しませんよ。あの声はただの狼か何かでしょ。それにもう貴方の足じゃ……。」

 そこまで言って看護師は口を噤む。だが老人は気にすることなく窓の外を見つめ続ける。






 その日は一日中、咆哮が聞こえ続けたそうだ。

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僕とそいつ 白藤 桜空 @sakura_nekomusume

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