難病遺伝子

葉月マコト

はじめに

 遺伝子。すべての生物は、遺伝子を持っている。人間の遺伝子は約22,000個。細胞の1つ1つの中には、核が入っている。核の中には、46本の染色体がある。46本の染色体の半分23本は父、残り半分の23本は母から受け継ぐ。

 私の父は、難病だ。厚生労働省によると、「治療がむずかしく、慢性の経過をたどる疾病もいまだ存在し、このような疾病を難病と呼んでいます」。とある。

 難病も、先天性のものもあれば、後天性のものもある。私の父方の一家は、40歳代になると出現するという型の、難病家系だ。

 「脊髄小脳変性症」。あまり聞きなれない病名かも知れない。書籍で言えば、「1リットルの涙」の主人公の病名がそうであった。映画化や、フジテレビでドラマ化もされた。

 主に小脳や脊髄の神経細胞が障害されることで発症する神経の変性性疾患を指し、小脳や脊髄が障害を受ける為、歩行時のふらつき、手の震え、ろれつが回らないなどの症状が出現。最終的には、脳の意識ははっきりしているにもかかわらず、寝たきりとなり、話すことも書くこともできない。そして、筋力がなくなり、咀嚼障害などが起こり、死に至る。

 残酷な病気だ。

 脊髄小脳変性症は原因に応じて分類されており、数十を含む病型が存在するとされている。要するに、その症状の病名を一括りに「脊髄小脳変性症」と呼ぶ。

 脊髄小脳変性症は日本の難病指定を受けている疾患の1つであり、全国で3万人以上の疾患者がいると報告されている。現在、脊髄小脳変性症を根本的に治療する方法は、無い。

 大きくは、遺伝性と非遺伝性の2つに分類されるが、私の父の家系は、私の祖母(父が若い時に他界)とその兄姉が発症し死に至っている事から、遺伝性であることはまず間違いない。

 そして、私には兄弟がいないが、年上の従兄弟に脊髄小脳変性症が出現してきた。恐れていた予想は的中した。

 私が中学生の時、父から病気の話をされた。当時はよく分かっていなかったし、当時の父の姿を見て、その時はそんなに異変を感じなかったからなのかも知れないが、年々進行する父の病気、そして、高校の生物の授業で遺伝について学んだ時には、もうすでに、私は恐怖していた。

 そして、私自身も、とうとう脊髄小脳変性症が出現してもおかしくない年齢となった。それまでの経緯を、自伝として纏めたいと思う。文才もなければ、訳の分からない用語も使うかもしれないが、ご了承いただきたい。

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