第11話

 翌朝、いつもより早く目覚めたお凛は、すぐに梅の寝床を確認する。しかしそこに梅の姿はなく、布団は冷たいままだった。 お凛は、隣で起きあがろうとしている篠の袖を掴み、切羽詰まった声で尋ねる。


「やだ、なんだいこの子は急に」

「梅ちゃんここにいた?」

「見てないし知らないよ」

「…そんな」


 篠の言葉にお凛は青ざめる。梅は一人であの部屋に篭ることがあっても、必ず自分の隣に戻ってきてくれた。なのに今、梅の姿はどこにもない。 

 もう迷ってなどいられないと、開かずの間へ向かおうとしたその時、お吉が突然、遊女たちの部屋に入ってきた。


「いつまでもだらだら寝てんじゃないよ!とっとと起きな!!ここに胡蝶を見かけたやつはいるか!」


 恐ろしい形相で声を上げるお吉に女達は静まりかえったが、胡蝶の名前を聞いた途端、皆一斉にざわつき始める。


「胡蝶姉さんがどうしたんですか?」


 遊女の一人がお吉に尋ねると、お吉はまくしたてるようにことの次第を話しだした。 

 昨日の昼見世以降、胡蝶の姿が見えなくなったこと。最後に訪れた客は有名な絵師で胡蝶の常連客だったが、最近酒と色に溺れ悪い噂が出始めていたこと。胡蝶の上客である高野屋が来ていたため、中々おおっぴらにはできなかったこと。 

 お凛は昨日、佐知から聞いていたので取り乱すことはなかったが、自分にとって大事な人間が、二人も一遍に姿が見えなくなったことに呆然とする。


「お凛、あんた胡蝶から何か聞いてないかい?」

「え?」


 心ここにあらずの状態で返事をするお凛の様子に、お吉は表情を幾分和らげ心配そうに尋ねてくる。


「どうしたんだいお凛、体の調子でも悪いのかい?真っ青じゃないか」

「いえ…別に…」


 お吉に本当の理由など答えられるはずもなく、言葉少なに俯くお凛の代わりに篠が答えた。


「お凛は胡蝶姉さんより梅のことが気になるみたいで、梅はどこって朝から聞いてきて…」

「なに?梅までいないのかい?全くあの子は、お凛のおかげで立派な新造出しができるってのに、禿の分際でどこいったんだ!」

「いえ、梅ちゃんは早く起きてお風呂場に行ったんです」


 お吉の剣幕に、お凛は慌てて思ってもいない言葉を言う。


「そうかい、まあそんなことより今は胡蝶だ!あんたもね、新造出しと突き出しが終わったらしっかりこの見世を背負ってもらわなきゃ困るんだから、いつまでも子供みたいに梅梅言ってんじゃないよ!」


 吐き捨てるように言った後お吉が出て行き、女達の緊張感は一気に解けたが、同時に皆胡蝶の話題で色めきだした。


「胡蝶姉さんついにやったね」

「私は前から、あの子は絶対また何かやらかすと思ってたんだよ」

「光楽さんとかけ落ちかな、二人で愛の逃避行なんて素敵」

「馬鹿なこと言ってんじゃないよ、お吉さんに聞かれたらあんた折檻されるよ!足抜けしようとした女がどんな目に合うか知ってるだろ?」


 女達が思い思いにしゃべる中、お凛は今度こそ部屋を抜け出した。


 


(やっぱり昨日のうちに迎えに行けばよかった。早く連れてこないと…)


 気味の悪い部屋だと、お吉が開かずの間に近づくことは滅多にないと知っているが、自分が先に行って梅を見つけ出さなければ、梅が酷い目にあわされてしまう。だが、中庭が見える廊下を抜け急ぎ足で歩くお凛の肩を、突然誰かが掴んできた。


「お凛!」


 その手の主は遣手の佐知で、お吉ではなかったことにいくらかホッとする。


「どこへ行くんだい?」


 お凛は、梅を迎えにいくのだと言ってもいいものか迷った。源一郎が寝せておけと言ったのは、あくまで昨日のことだ。もし今朝になっても梅が戻ってきてないと言ったら、今度こそ梅は佐知に折檻されてしまうかもしれない。


「佐知さんこそ、ここで何をしているんですか?」

「お吉さんにもう一度だけ廓の中をよく探すように言われて今来たとこさ。楼主はさすがに、もうとっくに外へ逃げちまってるだろうと見て、若い衆や忘八達に追わせてるよ、あんたは?」

「私は…」


 佐知にごまかしはきかないと観念したお凛は、梅が昨日部屋に帰ってこなかったことと、これから開かずの間へ梅を向かえに行くことを佐知に告げる。


「でもお願いです!梅ちゃんに折檻しないでください!必ず連れてくるんで!」


 縋るように頼むお凛の姿を佐知は黙って見ていたが、少しすると大きなため息をつき口を開く。


「あんた、なんだってそんなに梅を庇うんだい?他人のために何かしたって、ここではなんの得もないよ」

「じゃあ佐知さんはなんで、胡蝶姉さんが逃げたこと、昨夜のうちにお吉さんに知らせなかったんですか?」

「何あんた、私を威そうってのかい?」


 そんなつもり微塵もなかったが、お凛は言葉を詰らせ佐知を見上げる。


「胡蝶にはね、昔間夫に熱上げて見世にお代を払えなくなった時、何度か助けてもらったのさ」

「…」

「年はあの子の方が随分若いが、なぜがやけに馬があってね。まあ、遊女としては随分差がついちまって、今の私は、もう女ですらないが…」


 それだけ言うと、佐知はもう一度ため息をつき、独り言のように呟いた。


「こっちの部屋を見に行ったって誰もいないのわかってるからね、私は他のところを探しに行くとしよう」

「…」


 そのままお凛に背を向け去っていく佐知に、お凛は泣きそうになりながら頭を下げた。お凛にとって、佐知は恐ろしい遣手の中の一人でしかなかったが、今回のことで、その印象が大きく変わる。


(ありがとうございます)


 一人心の中で呟き、お凛は再び開かずの間へ向かう。しかしそこで見てしまったのだ。梅が見知らぬ男と、抱き合うように眠っている姿を…。


  

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