第7話

 昼八つ(午後二時)、遊女達はお風呂や髪結い、化粧を済ませ、昼見世が始まる。この日は、お凛と梅の新造出しまで一月を切ったということもあり、紫の客としてきている千歳屋に、二人揃ってお礼の挨拶のため座敷に呼ばれていた。


「いやいや楽しみだな、お凛の新造出し。何しろこの見世どころか、吉原中探したってこれほどの器量良しはいないからな。まあ、さしずめ梅はお凛の引き立て役ってところだな。舞や小唄が得意だそうだから、新造になったらせいぜい頑張ってくれ」


 あからさまにお凛と比較し小馬鹿にしたような言葉を放つ千歳屋に、梅はなんとか顔色を変えぬよう一生懸命愛想笑いをする。


「しかしお前は、いっそのこと遊女よりも芸をみがいて芸者になったほうがいいんじゃないのか?」「いやいやご冗談を千歳屋様、千歳屋様には本当に感謝しております。これからもどうぞご贔屓にお願い致します」


 すかさず梅と千歳屋の間に入った源一郎のへりくだった物言いに、千歳屋は満足そうに頷く。


「何々、お凛のためなら300両かそこらの金おしくもなんともないわ、突き出しもわしがやらせてもらうぞ。まあ、梅の突き出しまでは面倒見切れないがな」


 そう言うと、さも楽しそうにわっはっはと笑い出し、そこにいた者も皆、千歳屋に追従するように一緒になって笑いだす。梅も、泣きそうになるのをこらえてなんとか笑みを浮かべる。 そんな中、お凛だけは唇を噛んで俯いたまま、決して笑おうとはしなかった。




 暮れ六つ(午後6時)夜見世が始まり、遊女達は下の見世場に並んで客寄席を始める。 

 いつもと変わらぬ日常のはずが、その日は、見世番をしている源一郎のところへ、お吉が血相を変えてやってきた。


「源一郎、おまえ、胡蝶を見なかったかい?」

「知らねーな、またどっかふらふらとほっつき歩いてるんじゃねーのか?」

「まったく!夜見世が始まってるっていうのに何やってんだか!あの子が張見世にいるのといなんじゃ、客の入りが全然ちがうんだよ」


 源一郎とお吉の言葉に、遊女達が口々に騒ぎ出す。


「胡蝶姉さんなら昼見世までいたよ、客もとってたし、ほら、あの有名な絵師の光楽さん」

「いいよねえ、あんな男前で才能のある男が常連客だなんて、胡蝶姉さん羨ましい」

「ほんとだよね、ほら、何年か前の「全盛美人競玉楼佳乃紫」の絵なんてすばらしかったじゃない」「よく言うよ、絵の良し悪しなんて全然わかっちゃいないくせに」


 きゃっきゃと楽しげ話す遊女達を尻目に、源一郎はどうしようもない不安に襲われる。胡蝶には前科があるという父親の言葉が、ふと源一郎の頭をよぎったのだ。そうこうしてる間にも、客は次々とやってくる。


「とにかく、あたしは忙しいんだから、佐知を呼んで二人で胡蝶を探しておいとくれ。まったくちょっと売れっ子だからってずのぼせやがって!見つけたら…」

「胡蝶がどうしたって?」


 と、お吉が胡蝶を罵ってるところへ、突然、胡蝶の一番の上客であり、玉楼もずっと世話になってきた高野屋のご隠居がやってきて、お吉は慌てて愛想笑いを浮かべる。


「これはこれはご隠居様、お久しぶりでございます。」

「胡蝶は今日はいないのかい?」

「いや、それが…」


 口ごもる源一郎とお吉に、高野屋は意外な言葉を口にした。


「まあいい、ところでここの禿でお凛というのがいるだろう、ちょっと会って話しをしたいのだが」

「え?お凛ですか?確かにいますが、あれはまだ新造出しのすんでない禿で客の相手は…」


 源一郎が言い終わらぬうちに、高野屋はがっはっはと笑いだす。


「わかっておるわ、わしをあの千歳屋の小せがれといっしょにしてくれるな。胡蝶から聞いたぞ、随分派手にやったそうじゃないか。胡蝶がそのお凛とかいう禿に世話になったらしいから、御礼がてらにちょっと会っておこうかと思ってな」


 源一郎はしばらくどうしようか考えたが、ほかならぬ高野屋の御隠居様の頼みならということで承諾することにした。お凛も、源一郎の頼みに最初は嫌な顔をしたが、胡蝶の常連客だと言うと少し安心したらしく、首を縦にふった。




 お凛が座敷に入ると、そこには、小柄で優しそうな顔をした老人がちんまりと座っていた。その老人は、お凛がやってきたことに気が付くと、ニヤリと笑みを浮かべ、お凛を値踏みするようにじろじろと見やる。

 不思議なことに、お凛は、その老人の笑みには、千歳屋の薄笑いに感じるような悪寒を全く感じなかった。


「なるほど、お前がお凛か。まあ高尾には劣るが、確かに、千歳屋の小せがれが夢中になるのもわからないではないな」


 千歳屋という言葉を聞いた途端、お凛は思わず顔を歪める。すると高野屋は、ほっほっと笑いながらお凛に言った。


「名前を聞くだけでも嫌か?しかしお前は、それだけ千歳屋のことを嫌っているくせに、胡蝶をかばうために無理矢理千歳屋に媚をうったらしいな。

いいかい、女っていうのは自分のために男に媚をうるんだ。欲しいものを手に入れ、相手を自分の意のままにするために、女は男に媚をうる。お前ほどの上玉なら、気のない男にもちょっとその気にさせてやれば、男達は嬉々としておまえの欲しいものをなんでも与えてくれるだろう、それが花魁の手練手管というものだ」


 お凛はしばらく黙って高野屋の話しを聞いていたが、突然真っ直ぐ高野屋を睨みつけると、挑むように言いはなつ。


「私の欲しいものとは何ですか?なんでもとはなんですか?この着物も、櫛も、私の本当に欲しいものに比べたら、なんの価値もない。男に媚をうって手に入る物なんてたかがしれてる、くだらない、なんの価値もない偽者です。

自分にも男にも嘘をついて偽者に囲まれて暮らすなんて、考えただけで気持ち悪い、吐き気がする!」


 お凛のあまりにも強い口調に、高野屋は目を丸くする。


「いやいやこれは驚いた、胡蝶から聞いてはいたが、まさかここまで遊女にむいてないとはな。しかし不幸な女面してうじうじしてない気の強さは気に入った。もしもうじうじ泣いていたら、可哀想だから千歳屋から助けてやろうと思ってたんだがのう」


 お凛は、高野屋が本心で言っているのか探るように高野屋の顔を見つめたが、その表情を見て、やはり単に意地悪で言っていることに気が付き憤然とする。


「揶揄うのはやめてください!私はあなたのような爺さんに助けを求めるほど困っちゃいませんから!」

「なんじゃいその言い方は、可愛くないのう」

「可愛くなくて結構です」


 お凛の憎まれ口を笑いながら、高野屋はお凛に忠告でもするように言った。


「まあ、おまえにとっては千歳屋の新造出しと突き出しは、花魁になるための最初の試練みたいなもんじゃな。せいぜい頑張って乗り越えることだ、そうしたらわしもおまえに色々と目をかけてやろう。わしはどんな試練も乗り越えて這い上がってくるような美人で根性のある女が好きなんだ、胡蝶のようなな」


 お凛はいらぬお世話と言いながらも、高野屋の言葉で、胡蝶のことを思い出す。


「胡蝶姉さん、どこへ行ってしまったんだろう。昼見世まではいたのに…」


 心配そうなお凛をよそに、高野屋はそしらぬ顔で答える。


「さあなあ、鬼にでもさらわれたんじゃないか?」

「え?鬼?」


 びっくりしてお凛が聞き返すと、高野屋は声をひそめてお凛に耳打ちする。


「出るんじゃよここには、美しい男の姿をして女を騙す恐ろしい鬼が。お前達のような馬鹿でガキな禿や新造などは、ころっと騙されて食われしまう」


 お凛は神妙な顔で話を聞いていたが、そんなお凛の様子を、高野屋は突然指をさして笑いだす。


「信じてやんの、やっぱり禿は馬鹿だねー」


 高野屋の子供のような言動に腹を立て、お凛はいい加減にしてくださいと高野屋の膝を叩く。高野屋は、大袈裟に痛がるふりをしながら格子を開け見世の外に頭を出すと、「ここに凶暴な禿がいるぞ」などと大声で叫んだ。お凛は慌てて高野屋を力任せにひっぱり、頭をひっこめさせる。


 すると高野屋は、そのままお凛の膝の上に頭を乗せ、ああ気持ちいなどと言って狸寝入りをしだす。 

 膝枕の体勢のまま、頭をどけようとしない高野屋に、お凛はまったくとため息をついたが、なぜかそんなに嫌な気はしなかったので、無駄な抵抗はやめ、そのままほうっておくことにした。


 開いた格子の隙間から空を見上げると、先ほどまで雲に隠れていた満月が、はっきりと暗い空に浮かんで見える。お凛はその美しさに見惚れたが、じっと見ていると、そのまま引きずり込まれてしまいそうな妙な感覚におそわれ、急に恐ろしくなり目をそらす。


(美しい男に化けた鬼とは、この月のようなものだろうか)


 無意識に高野屋の頭を撫でながら、お凛はふと、そんなことを思っていた。

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