第20話 執念

「風は言うまでもなく、お前の姉さんのトルスティ。そして水はウィーネだ。俺はウィーネになぜ精霊の力を勝手に使ったのか問いただした。だが彼女は何も答えなかった」


「……他の精霊には聞いてみたのか?」


「無論、聞いたさ。だが火の精霊は普段マグマ管理で地中にいるし、土の精霊も二人には関わっていないから、なぜ勝手なことをしたのかなんて知らんだとよ。他の属性の精霊にも聞いてみたが、皆答えは同じだった」


 風の精霊は、その大きな肩を竦めながら嘆息する。


 選ばれた精霊は使命を全うするため、他の精霊とほとんど接触しないことが多いのだ。


 リーズの心がざわつく。


 姉は精霊の力を使い、そしてウィーネもまた精霊の力を使った。

 自然の流れを崩してしまうほどの力を。


 そして姉は行方不明になったが、ウィーネはそのまま人間界に居続けている。

 それが意味することとは一体?


 その答えまでリーズが推し量ることはできなかったが、ウィーネは姉に何があったのかを知っているのは間違いないと、リーズは風の精霊の言葉を聞いて確信した。


「俺がお前に話せるのはこれくらいだな。それで、ここからは俺の勝手な意見だが……」


 風の精霊は精霊の書を勢い良くパタンと閉じると、僅かに声のトーンを落とす。


「ウィーネは精霊王様の娘だが、精霊の力を勝手に使ってもお咎め無しというのは、やはり怪しいと思うんだ。それに加えて、行方不明のままのトルスティの捜索打ち切り。俺には精霊王様が、何か隠しているようにしか思えん」


「それは、俺も同感だ」


「ま、そういうわけで、俺はトルスティの行方がわかるまで、お前のことについてとやかく言うつもりはない。俺は臨時だが、一応選ばれた精霊でもあるんでね。精霊としての仕事があるから身動きができん。本当はお前に協力してやりたいんだが、それに関してはすまないな」


「いや、俺の事を見過ごしてくれるだけでも助かるよ。ありがとう」


 リーズは心から安堵した。


 風の精霊が見過ごしてくれる。

 それは、この地域をウロウロできるようになったということだ。これは姉を捜す上で大きな前進である。


 そんな喜びも束の間、ふと浮かんだ疑問を、リーズは風の精霊に率直に聞いてみることにした。


「そういや、どうしてあんたは俺の名前を知っているんだ? 初対面だよな?」


 風の精霊はそこで静かに笑うと、大きな手でリーズの頭を鷲掴みにする。


「俺は弟が大好きな風の精霊と、精霊界で共に修行していた仲なんだ。その時にお前の話はうんざりするほど聞かされた。お前を一目見て、すぐトルスティの弟だとわかったよ。顔立ちが良く似ている」


 くしゃくしゃとリーズの頭を乱暴に撫でるその様子は、まるで久しぶりに会った甥に接するような雰囲気だった。


 まさか姉が、外で自分のことを言いふらしていたとは。


 全く知らなかったリーズは急に気恥ずかしくなるが、なぜか男の手を払い除ける気にはなれなかった。


「そういえばお前、あの馬車を追っていたように見えたが、何かあるのか?」


 風の精霊はそう言うとリーズの頭から手を離し、遥か前方まで進んでしまっていた馬車を親指だけで指した。


「実はこれから、ウィーネに会いに行くところだったんだ」

「ウィーネに!? お前、何でまた!?」


「実は昨日、会ったんだよ……。姉貴のことを真正面から問いただす」

「そうだったのか……。くれぐれも気をつけろ」


「あぁ。それじゃあ」


 リーズは離されてしまった馬車を追いかけるため、空に浮く。

 しかし突然くるりと向きを変え、風の精霊の顔を真っ直ぐと見据えた。


「すっかり聞くのを忘れてた! あんた名前は?」


 このタイミングで名を聞かれると思っていなかった風の精霊は、ただ目を丸くする。

 そして口の端に小さな笑みを浮かべた後、一拍遅れて名乗った。


「ブロルだ」

「ブロル、ありがとうな! 本当に感謝してる」


 リーズは太陽のように眩い笑みをブロルに向けると、猛スピードで馬車の方へと飛んで行く。

 あっという間に、リーズは馬車に追い付いた。


 ブロルは小さくなったリーズの後ろ姿を見送ったあと、静かに天を仰ぐ。


「トルスティ。お前が言っていた通り、真っ直ぐな弟だ。どこで何をしているのか知らんが、早く帰って来い。リーズのことを肴に、また酒を呑もう」


 天に向かって吐いたブロルの小さな呟きは、青い空に溶けていった。







「ごめんなさい。ハーゲス」


 時間は、サフィア達が逃げ出した直後まで巻き戻る――。


 ウィーネは、建物の別の部屋で待機していたハーゲスの元へとおもむき、失態を詫びた。

 しかしハーゲスはウィーネの謝罪には反応せず、ギラついた目で虚空をただ見つめるばかりだった。


 ハーゲスはこの数年、ずっとアメジアの行方を追っていた。


 あの日。

 自分が研究施設を離れていたあの日に、エルマールは倒れ、そしてアメジアは人工生命体ホムンクルスを連れて消えてしまった。


 あまりの怒りに、思い出す度にハーゲスは震える。


 一目見た時から、ハーゲスはずっと目を付けていたのだ、あの人工生命体ホムンクルスに。

 エルマールの寿命が尽きた後、絶対に手に入れると決めていた。

 それなのに――。


 アメジアの潜伏先を、しらみ潰しに探しながら各地を回った。


 あの白い髪の人工生命体ホムンクルスを連れていればかなり目立つはず……。


 そう考え、聞き込みも徹底的に行った。

 だが成果は全く上がらなかった。


 ――そんな白い髪の少女は見たことがない。


 聞き飽きるほど、その言葉しか返ってこなかった。


 そんなある日、ハーゲスは研究所のあるエレオニアの街に戻ってみようと、ふと思い立った。

 それは何の根拠もない、本当にただの思い付きだった。

 ただハーゲスの頭の中に、灯台下暗し、という言葉が浮かんだからに過ぎない。


 結果、ハーゲスの思い付きは当たりだった。


 街中の小さな薬屋。

 堂々と目立っているわけでも、さりとて全く目立たず閑散としているわけでもない。

 街並みに溶け込み、完全に人々の生活の一部となっている、そんな薬屋にアメジアはいた。


 昼間アメジアにわざわざ姿を見せたのは、考えがあってのことではない。

 姿を見せたらアメジアはすぐに逃げ出すだろうと、そんなことはわかっていた。


 だが、ハーゲスは我慢できなかったのだ。

 どうしても彼女に宣言したかったのだ。


 自分は諦めていないと。

 人工生命体ホムンクルスを手に入れるまで、地の果てまで追い続けると。


 しかし人工生命体ホムンクルスを目前にして、またしても逃げられてしまった。

 しかも今回それを邪魔したのは、精霊だ。


「まさかアメジアが、精霊と通じているとはね……」


 ポツリと呟いたハーゲスの言葉に、ウィーネはピクリと眉を跳ね上げた。


「ウィーネ。邪魔をした精霊はどんな奴かわかるかい?」

「ええ、ハーゲス。邪魔をした精霊は二人。その内の一人はわかったわ」


 ウィーネの美しい青い顔に笑みが広がる。

 おぞましいほどの妖艶な笑みが。


「邪魔をしたのは風の精霊、トルスティの弟よ」

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