第19話 風の精霊

 リズム良く街道を進む、乗り合い馬車。


 リーズは姿を消して、その馬車の後ろを追いかけていた。

 その馬車の後部には、アメジアとサフィアが乗っている。 


 朝食を食べ終えた後、アメジアの言葉通り、すぐに三人は薬屋を後にしたのだ。


 荷物はアメジアの小さな鞄に数本詰めた、サフィアの浄化薬のみ。

 それはこの話し合いで全てを終わらせるという、アメジアの決意の表れでもあった。


 サフィアが外に出るのは、アメジアに連れられて研究所を出た時以来だ。

 そのせいかサフィアは、流れ行く景色全て見逃さまいと言わんばかりに、目を見開いて外を凝視していた。


 温かく穏やかな風が吹き、アメジアとサフィアの髪を靡かせる。

 空の下で見るサフィアの白い髪は、部屋の中より一層輝いて見えた。


 そんなサフィアの髪をぼんやりと眺めていたリーズだったが、不意に緊迫した表情になる。


(しまった。やはり飛ばずに、俺も無理やり馬車に乗れば良かった)


 ウィーネの奇襲を警戒して、馬車の後ろを飛びながら着いていくという選択肢を取ったリーズだったが、当然ながら飛ぶと人間に紛れずに目立ってしまう。


 リーズが対処を考える間もなく、頭上から低い声が降ってきた。


「おい、もしかしてお前、リーズじゃないか?」  

「あ。いや、俺は――」


 直球で名を呼ぶ男に、リーズは肩を震わせないようにするのが精一杯だった。


 顔を見せないために少しうつむいた状態で何とか誤魔化そうとするリーズだったが、それは無駄な努力でしかなかった。


「やっぱりそうだ。昨日の変な風も、お前がやったんだな」


 声の主は、リーズの行く手を遮るように降り立った。


 長身でがっしりした体躯たいくに、茶色の短髪といういでたちの男。

 屈強という言葉がこれほど似合う男はなかなかいないだろう。


 リーズ同様の尖った狐耳と、馬のような尻尾を持つ男。

 間違いなく、風の精霊だ。

 この地域担当の『選ばれた精霊』であろうことは火を見るより明らかだった。


 こうなるとさすがに弁明もできない。

 リーズは内心非常に焦っていた。リーズの頭の中に様々な考えが一瞬にして浮かぶ。


 初対面のはずのこの風の精霊が、なぜリーズの名前を知っているのか。

 既に自分は精霊界のお尋ね者として、有名になってしまったのか――。


 そう考えたリーズの掌から、嫌な汗が滲み出てくる。

 だとすれば、この精霊は直ちに精霊界へと連絡を取るだろう。


 勝手に人間界へ来た自分が強制的に戻されないようにする為には、この場をどう切り抜ければいいか。

 リーズは考えを巡らせるが、焦る心では全く何も思い浮かばない。


(最悪、強行突破をするしか――)


 心の中でリーズが覚悟を決めた直後。

 しかし男はさして驚いた様子も見せず、落ち着き払った態度で口を開いた。


「姉さんを捜しに来たのだな。やはり納得できんよなぁ……」


 男は、同情すら感じる言葉使いでリーズに言った。


 勝手に来たことを非難されるばかりだと思っていたリーズは、思いがけない男の言い方に面食らってしまった。


「俺を、追い返さないのか?」

「うーん、普通ならそうしないといけないのだろうが、お前の気持ちも理解できるだけにな……」


 男はそう言葉を濁して、明言は避けた。

 とりあえず今は見逃してくれるという意味だろう。

 リーズはひとまず胸を撫で下ろした。


「あぁ、自己紹介が遅れたな。既にわかっていると思うが、俺はこの地域担当の風の精霊だ。ただし臨時だがな」

「臨時?」


「お前の姉さんが行方不明になってから、急遽派遣されたんだ。だが臨時で来たはずなのに、既に七年経ってしまった」

「…………」


「で、つい先日精霊王様が捜索の打ち切りを決定しただろ? それで俺はどうなるんだとずっと知らせを待ってるんだが、一向に来やしない。全くどうなってんのかね」


 肩をすくめながら男は語る。

 彫りの深いその顔には、明らかに不満が滲み出ていた。


「悪いけどそれは俺も……」


「あぁ、すまんすまん。お前に愚痴っても仕方がないな。俺もお前には同情するよ。精霊王様は一体どうしてしまわれたのか……」


 この風の精霊も、精霊王に不信感を抱いていることを察したリーズは逡巡した。


 果たしてこの風の精霊は、ウィーネのことを知っているのだろうか。


 直接聞いても良かったが、この精霊が何も知らなかった場合、一から説明しないとならなくなる。

 そこでリーズは、遠回しに聞いてみることにした。


「少し、聞きたいことがある。あんたがこっちに来てから、何かおかしなこととか気付いたことはなかったか? どんな些細なことでもいいんだ。姉貴の行方を捜そうにも、情報がなさすぎて困っているんだ」


「おかしなこと……か」


 風の精霊は顎に手をやりながら、溜息と同時に呟いた。


「正直に言うと、ある」


 風の精霊の返答に、リーズは無意識に唾を飲み込んだ。

 言葉を挟まず、男の情報を待ち続ける。

 心を代弁するかのように、そわそわと尻尾が動いた。


「俺がこっちに派遣された直後、つまりお前の姉さんが行方不明になった直後の時のことなんだが。かなり自然の力が『崩れて』いたんだ」


 風の精霊が眉間に皺を寄せながら言った台詞に、同じくリーズも眉間に皺を寄せる羽目になってしまった。


 リーズもラウドと対峙した時に、精霊の力を使ってしまった。

 確かにあの時の力も自然の流れに影響を及ぼしたであろうが、あの程度では自然の力を『崩す』までとはいかない。

 自然の流れは、簡単に乱れてしまうほど脆くはないのだ。

 かなり大きな力を使用して、初めて影響が現れる。


「つまり、かなり大げさに精霊の力を使った形跡があったということか?」

「そういうことだ」


 そこで風の精霊は、胸の前で掌を空に向ける。

 間を置かず、すぐにその掌の上に大きな本が現れた。


『精霊の書』。


 それはいつ、どこで、どの程度の精霊の力を使えば良いのか、全てが記された魔法の書物だ。

 これがないと、精霊達は仕事をすることができない。


 風の精霊は、分厚い精霊の書をぱらぱらとまくりながら続けた。


「すぐさま、俺はこれに書かれてある自然の流れと、現実の流れを比較した。それで崩れていた属性はすぐにわかった。


「……風か?」


 リーズの問いに、しかし風の精霊は苦虫を噛み潰したような顔をする。


「半分、正解だ」

「半分?」


「風と、水だったんだ……。修正するのがかなり大変だったぞ。何しろ自然の力が崩れているなんて、そんなこと俺は聞いていなかったからな」


 風と水。

 男の口から出た単語に、リーズは思わず目を見開いた。

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