第13話 正体

        ※ ※ ※



「先生、今日も残られるのですか?」


 長い髪を束ねていた紐を解きながら、アメジアは老父に声をかける。


 出入り口とは逆方向にあるドアへ向かおうとしていた老父は、アメジアの発言に立ち止まった。

 彼の真っ白な髪に、部屋の明かりのオレンジが照り映える。


「あぁ。気を付けて帰りなさい」


 植物をすり潰したような青臭さと、柑橘系の爽やかな香りが入り混じった、独特な匂いが蔓延する部屋。


 既に体中に染み込んでいるその匂いを振り払うかのように、老父は腕を軽く振った。

 そしてアメジアに振り返り温和な笑顔を向けた後、再びドアへと向かって歩き出した。


「先生。ずっと聞きたかったのですけれど……。一体、何をされているのですか?」


「アメジア。私がこれからやろうとしているのは、本職の調剤とは関係ないことなのだよ」


 ドアノブに手を掛けたまま、老父はアメジアに背を向けた状態で静かに答える。


「私が先生に教えをうた時から、先生はずっと『それ』をやっているでしょう? 先生は何をそんなに熱心にやっているのかと、今日ちょうどハーゲスと話したところなんです。こっそり私にだけ教えて頂ける……なんてことはダメですか?」


 アメジアは老父の背に、好奇心溢れる眼差しと言葉を注いだ。

 その視線に気付いたのかどうかはわからないが、老父はゆっくりとアメジアに振り返った。


「私がやっていることは、できれば他人には知られたくはないことなのだよ」


 てい良く断られてしまったと、アメジアは気落ちする。

 しかし肩を落としたアメジアに向かい、老父はさらに続けた。


「でも、君の口の堅さは私も良く知っている」


 アメジアは老父の言葉に顔を上げ、黙って頷いた。

 あまり他人と接するのが得意ではないアメジアはその性格が幸いしてか、今まで一度たりとも、秘密の類を他人に漏らしたことはない。


「だから、私は君を信用することにしよう。正直、今行き詰まっていてね。できれば君の知恵を借りたいのだが、大丈夫かね?」


 軽く聞いただけだったが、思いがけない展開になってしまった。

 アメジアの顔に満面の笑みが広がる。


「はい!」


 調剤師として尊敬している師の役に立つことができる――。

 アメジアは喜びを隠すことなく、威勢良く返事をした。 


        ※ ※ ※ 




 ベッドの上で、サフィアは背中の羽を潰さないように横向きになって、安らかな寝息を立てている。


 リーズとアメジアとラウドは、そんなサフィアを見守るようにして椅子に腰掛けていた。

 三者共、その顔は苦虫を噛み潰したかの如く歪んでいる。

 割れたままの窓から降り注ぐ月の静かな光が、室内を慰めるように優しく照らしていた。


 建物を脱出した直後――。


 サフィアはリーズを抱えたまま、ふらふらとよろめきながら森の中に倒れてしまった。そしてそのまま意識を失ってしまったのだ。


 結局ラウドがリーズとサフィアを抱え、リーズの案内の下、アメジアの薬屋へと戻ってきたのだった。


 サフィアの変わりきった姿を見るや否や、アメジアの顔は凍りついた。

 そしてベッドにサフィアを静かに下ろした後、初対面のラウドとアメジアは、互いに心ここに在らずといったぎこちない挨拶を交わし、今に至る。


「そろそろ、説明してもらおうか」


 ほとんど塞がりかけた手足の傷を確認しながら、リーズはぽつりと呟いた。


 何を、とリーズは言わなかった。

 だがそれは自分に向けられた言葉だとすぐに察したアメジアは、瞼をそっと閉じた後、小さく息を吐き出した。 


「見た通り、この子は人間じゃない」


 そんなことは今さら説明しなくてもわかる。

 反射的にそう声を上げたくなったリーズだったが、ぐっと堪えてアメジアの次の言葉を待つ。


「この子は、人の手で創られた存在。人工生命体ホムンクルスなの」

人工生命体ホムンクルス……」


 リーズは無意識に、聞いたことのないその単語を復唱していた。


「この子は私の調剤師としての師、エルマール先生が創り出した人工生命体ホムンクルス。私は……私は先生を、止めることができなかった……」


 サフィアの髪を優しく撫でながら、アメジアは言う。

 しかしその手は酷く震えていた。


「エルマール先生の奥さんは、子供を産み落とすと同時に命を失った。その子供を先生はとても大事に、男手一つで育ててきた。でも、ある日暴走した馬車に巻き込まれ、その子供は命を落とした」


 訥々とつとつと語りだしたアメジアを、リーズとラウドはただ黙して見つめる。


「それから、先生の人工生命体ホムンクルスの研究が始まった。失われた命を再び蘇生させることは不可能だと、流石にそれは先生もわかっていた。だから娘そっくりな存在を、自分の手で創ろう・・・という考えに至った」 


 そこでアメジアは、サフィアの手を片手でそっと握った。

 眠り続けるサフィアからは、反応は返ってこない。


「研究を始めて何十年も経った頃、ついに先生は、人間とほとんど変わらない感触の、人工筋肉を創りだすことに成功した」


 語りながらアメジアは、握ったサフィアの手と自分の手を、もう片方の手で包み込む。


「次に内臓、そして皮膚――。人間の物と遜色のない身体の部品が、次々とでき上がっていった。失った子供に、一人娘にもう一度会いたい。ただその一心で。先生はたった一人でそこまで創り上げた。でも……」


 サフィアの手を包み込んでいたアメジアの片手は、サフィアの傷口に巻かれた包帯へと伸びた。


「血液だけは、先生でも人間と似たようなものを創ることができなかった――」


 サフィアの腕から流れた白い血は、人工血液だった。


 血液だけではない。

 その白い髪からガラス玉のように綺麗な瞳、柔らかな肌まで、全てが人の手で創られたもの。


 アメジアはリーズに、この世の全ての人間は、サフィアの存在を知るべきではないと言った。

 それは誇張でも、ましてや虚言でもなかった。


 もしサフィアの存在が世に知られてしまったら、生に固執する人間の欲望に、たちまちサフィアは呑まれてしまうことだろう。


 突然アメジアは何かを思い出したのか、「そう言えば……」と呟きながらリーズへと顔を向けた。


「あなたに渡した薬、この子に飲ませた?」

「あ、忘れてた……。今すぐ起こして飲ませた方がいいか?」


 サフィアが攫われた直後に受け取った小瓶を懐から取り出しながら、リーズはアメジアの指示を仰ぐ。

 あの騒動で小瓶のことなど、リーズの頭からはすっかり消え去っていたのだ。


「いえ、目覚めてからでいいわ。それは正確には薬ではなくて『浄化薬』なの。血液を綺麗にするための、ね。この子にも人工の心臓はあるけれど、新たな血液を作り出すことはできない。だからそれを飲んで、血液を綺麗にする必要があるの」


「なるほど。この薬もその先生とやらが創ったのか?」


「ええ。この地方に大量に群生している、ナギエル草という植物が原料なの。生成の方法は、私も先生から教えてもらっていたから……」


 当時を思い出したのであろう。郷愁と悲しみを織り交ぜた複雑な表情でアメジアは言うが、語尾が次第に小さくなっていく。


 リーズは器用に小瓶の底を指でくるくると回しながら、サフィアに視線を移した。


「娘を失った悲しみに耐えられなかった人間が、サフィアという人間そっくりな存在を創り出した。そこまでは理解した。でも……。この、鳥みたいな羽は何なんだ?」


 リーズ達に背を向けるようにして眠るサフィア。

 その彼女の羽を見やりながら、リーズは怪訝な顔でアメジアへ疑問を投げ掛ける。


 アメジアは一瞬奥歯を強く噛み締めた後、細い声で呟いた。


「どんなに人間そっくりな物ができ上がっても、『中身』がないと、それはただの人形でしかない」

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