第12話 血と羽と

 サフィアは脱出に成功すると、すぐにリーズの元へと走り出す。


 だがそれらの動作を、水の精霊がただ黙って見ているはずがなかった。

 サフィアの背に向けて指を突き出し、水の玉を出現させると――。


「させるか!」


 ラウドが水の精霊に向けて勢い良く小石を放つ。


 しかしその小石は、既に水の精霊の手から放たれていた水の玉の軌道を、僅かに逸らすことしかできなかった。

 逸れた水の玉は、サフィアの左腕を掠めて壁へと突き刺さる。


「うっ!?」


 痛みに呻きながらも、サフィアはリーズの元へ辿り着いた。

 そして水の精霊からリーズを庇うように、両手を広げて彼の前に立つ。


 彼女の空色の瞳の中に燃え盛るのは、怒りという名の炎。

 小さな少女は、全身から湯気を立たせんばかりに怒っていた。


「あらあら、勇ましいこと。腕から『血』が出ているというのに」

「……えっ?」


 水の精霊の指摘に声を上げると、サフィアの全身をまとっていた激しい怒りの気は、瞬時に霧散した。


「なっ!?」

「―――っ!?」


『それ』を見たリーズとラウドも、絶句する。


 空気が、時間が、感情が凍り、絶対零度の空間がその場を支配した。


 彼らの視線の先には、先ほど水の精霊に傷付けられてしまった、サフィアの左腕からポタポタと流れでる、血。

 

 その血が、彼女の血が、白かった・・・・のだ。


「あ――? え……?」


 呆然としながら、サフィアは自分から流れ出るその白い液体を、震える指先で触れる。


 彼女の奥歯は合わずカタカタと音を出し、空色の瞳は困惑と恐怖と絶望で曇っていた。


 リーズの視界の端に、部屋に積まれた無数の『白髪』の人形が映り込む。


『……あの子は、人間じゃない』


 そしてリーズの頭の中をぐるぐると駆け巡る、アメジアの言葉。


 なぜ、病気でもないサフィアをずっと家の中に閉じ込めていたのか。


 その意味を初めて理解したリーズの心の中は、掻き毟りたくなりそうなほどぐちゃぐちゃな感情で溢れていた。


(くそっ! 何ていう……!)


「ぁ――ぅ――」


 目の前の現実を受け入れられないのだろう。

 頭を抱え、喉から掠れた声を出すサフィアの瞳には、涙が溜まっていた。


「あら。もしかして、知らなかったの?」


 まるで嘲るかのように、水の精霊は歪んだ笑みをサフィアに向けながら彼女へと近付く。


「……い……や……」 


 サフィアは身体を震わせながら、小さく声を発した。


「それ以上近付くな」


 リーズは無事な右腕で這ってサフィアの隣に付くと、水の精霊を睨みつける。


 サフィアを、必ず連れ戻す――。


 アメジアとした約束が、傷付いたリーズを突き動かしていた。


「まぁ、私にはどうでも良いことだわ。さあ、早くあの人・・・の所へ行くわよ」


 リーズの言葉などまるで聞こえていないかと言わんばかりに、サフィアに手を差し伸べる水の精霊。

 しかしサフィアは頭を振ってそれを拒絶した。


「いや……いやあああああああああ!」


 絶叫するサフィアの身体から、突然強烈な風が吹き荒れた。


 部屋に無造作に積まれていた複数の人形達が、まるで紙屑のようにくうを舞う。


「――っ!?」


 突如吹き荒れた風をまともにくらってしまった水の精霊は、防御する間もなく壁に強く叩きつけられた。


「なっ!? 風!?」


 ラウドは飛ばされぬように姿勢を低くし、リーズは至近距離で風を出すサフィアをただ驚愕しながら見つめていた。


 さらにリーズ達は、信じられぬ光景を目の当たりにする。


 サフィアの背中から大きな羽が――まるで鷹のような茶色の羽が、服を突き破り生えてきたのだ。


(サフィア!? 君は一体……!?)


 風を身体にまとい声にならぬ泣き声を上げながら、サフィアはリーズの右腕を抱え、背中の翼を羽ばたかせた。


 初めて飛び立つ雛鳥の如くふらつきながら飛ぶその姿は、酷く頼りない。

 しかしそれでも、サフィアはリーズを抱えたまま、リーズ達が侵入してきた頭上の穴まで舞い上がる。


「逃がすものですか!」


 水の精霊が声を荒げ、腕の太さはあろうかという水流をサフィア達に向けて放つ。


 しかしサフィアの身体から放たれた強列な風が水流を迎え撃ち、その水流をいとも簡単にただの水へと変えた。


「そんな!?」


 一切手加減はしていなかった。

 その攻撃をあっさりと防がれてしまった水の精霊は、水流を放ったままの格好で硬直した。


 サフィアは顔をぐしゃぐしゃにして泣きながら、惨めで、哀れなほど泣きながら、それでも力強く、水の精霊に向かって風の塊を放ち続けた。


 ごっ――!


 風は、水の精霊を再度強く壁に叩きつけた。

 その衝撃で壁はみしりと音を立て、放射状にひび割れる。


 ぐったりと壁にもたれ掛かる水の精霊に、ラウドが小石を投げ付けた。

 小石が水の精霊の胸を掠った直後、岩のような材質の縄が現れ、彼女の身体の自由を奪う。

 捕縛の魔法を使ったのだ。


 サフィアは背中の羽を懸命に羽ばたかせ、リーズの腕を引っ張りながら部屋を後にする。

 ラウドも無言のまま、その後に続いた。


「…………」


 水の精霊は、捕縛の魔法を解いて彼らの後を追うことはしなかった。

 ただ、不気味なほど妖しい笑みを浮かべながら、静かに瞼を閉じただけだった。

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