第11話 水の精霊

 浮遊術を駆使し、二人は濃い土の香りを放つ真っ暗なトンネルを、慎重に下りていく。


 ラウドが開けた穴は建物の天井を貫通したらしく、すぐに無機質な床が二人の目に入ってきた。


 明かりのない室内。

 しかし精霊に夜目など関係ない。

 二人は部屋を見回し、状況を把握する。


 下り立ったのは、サフィアの部屋の二倍ほどの広さの空間。

 その四隅の一角に、二人の目は否応なく釘付けにされてしまった。


「あれは……何だ?」


 呆然と呟くリーズの視線の先に転がるのは、薄汚れた不気味な人形の山だった。


 人間の大きさほどの物もあれば、手に収まるほどの小さい物まで。

 ありとあらゆる大きさの女の子の人形が、そこには転がっていたのだ。


 腕の取れた物、首の取れた物、胴体だけの物と状態は様々だが、全ての人形に共通していたのは、髪が白く、服を身に着けていない、ということだった。


 とりわけ、リーズは凍り付いていた。

 その白い髪には、見覚えがあったからだ。


「誰かの趣味の人形置き場、じゃねーのかな。お世辞にも良い趣味とは言えないけど」


 生気の無い目をしたそれらを手にとって見ながら、ラウドが呟く。 


「半分正解ね」

「――!?」


 突然聞こえた女の声に、リーズとラウドは揃って振り返った。

 そして声の主の顔を確認した瞬間、二人の顔は石のように強張こわばった。


 一体、いつ開けたのだろうか。

 僅かに開かれた部屋の扉の前で、一人の女が妖しい笑みを浮かべて佇んでいた。

 その肩に誰かを担いで。


 スッと通った鼻筋に、薄い唇。

 女の髪は水面みなものように揺らめいており、彼女の美貌を引き立てている。


 だがその顔、指先、全身に至るまで、彼女の皮膚は青かった。

 その皮膚の色は、水の精霊の証。


 水が苦手なリーズの背中に、反射的に悪寒が走りぬける。

 しかし、今はその嫌悪感に従っている場合ではない。


 彼女の肩に担がれぐったりしているのは、紛れもなくサフィアだったのだ。


「まぁ、派手に壊してくれたものね。この建物、半分以上山に埋まっている状態なのよ。崩れないか不安だわ」


 リーズ達が入って来た穴を見上げながら、水の精霊は言葉とは違い、どうでも良さそうな口調で淡々と言い放つ。


「何で……」


 呆然としながらも、リーズは水の精霊に向けて掠れた声を出した。


「何で、精霊のあんたが、その子を攫う?」

「どうして、精霊のあなた達がここに?」


 しかしリーズの質問に、水の精霊は質問で返した。

 彼女の言う『ここ』が、人間界のことなのか、それともこの建物のことなのか瞬時に判断できなかったリーズは、そこで言葉を詰まらせた。


「まぁいいわ。どういう経緯かは知らないけれど、あなた達はこの子を取り返しに来た。その認識でいい?」


 こくりと頷くリーズとラウドを一べつした後、水の精霊は小さく溜息をついた。


「まったく。どうして風の精霊は私の邪魔ばかりするのかしら」

「……何?」


 彼女が放った一言に、リーズは眉根を寄せる。


「邪魔? いや、俺以外の風の精霊だと?」 


 水の精霊は面倒臭そうにしばらくリーズの顔を見つめていたが、その双眸が見る見るうちに開かれていく。


「あなた、その顔……。ひょっとして、風の精霊、トルスティの血縁?」


 彼女の出した名前に、今度はリーズが目を見開いた。


「あんた、姉貴を知っているのか!?」


 声を大きくして問うリーズに、しかし水の精霊は何も答えない。

 彼女の青く薄い唇は、軽薄そうに端が上がっていた。


「答えろ!」


 その表情にリーズの神経は逆撫でされた。

 リーズの身体の周りに風が集まり始める。

 ラウドは風の力を使おうとしているリーズを咎めることなく、ただ金色の目で水の精霊を見据えていた。


「ん……」


 水の精霊の肩に担がれていたサフィアから小さな声が洩れたのは、その時だった。


「あら、あなたの声で目を覚ましちゃったみたいね。もう少し寝ていてくれた方が助かるのに」


 言い終える前に、水の精霊は肩に担いでいたサフィアを乱暴に地に落とす。


「うっ!?」


 突然体に走った衝撃に、サフィアは堪らず苦痛の声を洩らした。


「お前!?」


 サフィアに駆け寄ろうとするリーズを、しかし水の精霊は鋭い眼光で睨みつけた。

 冷気さえ感じるその視線に、リーズの足は意図せず止まってしまっていた。


「この子は、渡せないわ」 


「あ……れ? ここは? リーズ?」

「サフィア。そこを動くな。すぐアメジアの元へ帰してやる」


 リーズの姿を確認したサフィアは、自分の置かれている状況を理解しようと腕を付き、起き上がろうとしていた。


 リーズの腕に集まろうとする風が、彼女の白い髪を撫で、無造作に舞い上がらせていく。

 水の精霊は、さらにサフィアの背中を片足で強く踏み付けた。


「あぐっ!?」

「――っ!」


「力を使うのを止めなさい。でないと、この子がどうなっても知らないわよ? 私は『ある人』のためにこの子を連れてきただけで、私個人としてはこの子がどうなろうとも構わないの」


「――ッ」


 水の精霊の脅しに、リーズは歯軋りしながら集めていた風を仕方なく散らした。

 だが、水の精霊の表情はまだ変わらない。


「あなたもよ、土の精霊」

「ちっ」


 リーズの後ろで舌打ちを洩らしながら、ラウドもいつの間にか拳に溜めていた、オレンジ色のオーラを消し去った。


 二人から精霊の力が完全に消え去ったのを確認した水の精霊は、歪んだ笑顔を作りながら、人差し指をリーズへと突き出す。


 彼女の指の先に、小さな水の玉が出現し――。


 直後。

 その水の玉は目にも止まらぬ速さで彼女の指先から離れ、リーズの右の太腿を貫通した。


「ぐっ――!?」


 いきなりの水の不快な感触と激痛に顔を歪め、片膝を付くリーズ。


 さらに水の精霊は、リーズの左腿、そして左の二の腕に水の玉を立て続けに放つ。

 その両方がリーズの身体を貫通した。


 気を失いそうな痛みに、リーズは立つこともままならず、うつ伏せに倒れこんだ。


「リーズ!」


 サフィアが悲愴な声を上げる。


 倒れた親友を横目で見ながら、ラウドは顔を歪ませ、部屋に響くほど大きな歯軋りを立てた。その金色の目は怒りで染まっている。


「さて、次はあなた――」


 ラウドに言いかけた水の精霊の足元で。


 意識が自分から一瞬だけ逸れたその瞬間を見逃さず、サフィアは渾身の力を込めて身体を横に捻った。

 水の精霊の足は、サフィアから無機質な床へと移動する。


「――!」

「サフィア! 来るな!」


 リーズの切なる願いは、しかし少女には届かなかった。

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