第10話 追跡

        ※ ※ ※ 


 男は、焦っていた。


 既に、九割は完成していると言っても過言ではない。

 もう少し。あともう少しなのに。


 だが歯痒いことに、最後のピースがどうしても、足りない。

 歓喜の瞬間はすぐそこにあるはずなのに、辿り着くことができない。


 幾つも床に転がった「失敗作」を撫でるその表情は、吹雪を全身で受け止めたかのように険しい。

 男は、苛立ちを募らせていた。


        ※ ※ ※ 




 場所は移り精霊界、精霊王の城――。


 ふう、と息を吐きながら、精霊王エンシオは木製の椅子の背もたれに体重を預けた。


 ここは彼の書斎である。

 目の前の机の上に形成されている小さな塔は、全て書類で形成されたものだ。

 その一番上の書類を手に取った精霊王は、羅列された文字列に目を通すことなく天を仰いだ。


「想定していた以上に、時間がかかりすぎてしまったな……」


 低い声でポツリと吐き出された言葉は、誰に聞かれることもなく白い天井に吸い込まれていった。






 街を抜けた先に広がるのは、南北を縦断するように連なる山々。

 この山の向こうはエレオニア地方ではなくなり、また別の精霊達の管轄になる。


 そんなことなど知る由もない二人は、少し北寄りの山へ降り立ち、サフィアを攫った精霊の気配を窺っていた。


「こっち方面だと思うんだけどな……」


 真っ暗な森の中を見回しながら、リーズは顎に手を置き、眉を寄せながら呟いた。


 あれからサフィアを攫った精霊を追ってここまで来たものの、つい先ほどその気配を見失ってしまったのだ。


 そんなリーズの横でラウドは力なく項垂うなだれ、ぶつぶつと何かを呟いていた。その背には負のオーラが渦を巻いている。


「信じられん……。人間と接触するとか。精霊憲法違反じゃないか……。しかも、お、女の子に触ったとか……」


 ここに来る途中、リーズは事情を説明するために、簡単にだが事の経緯をラウドに話したのだ。

 吐かされたと言った方が正しいかもしれないが。


 何かの呪いのように呟き続けるラウドは無視して、リーズは目を閉じ、神経を森に集中させる。

 だが――。


「ダメだ。わからん……」


 精霊の気配を微塵も感じることができず、リーズは頭を振り嘆息した。


「オレの夢をあっさり叶えやがって。何て羨まし――いや、けしからん奴だ。しかも精霊憲法違反してまでだぞ? 呪ってやる……。爪が一生ガタガタになる呪いをかけてやる……」


「おい、ラウド」


「そもそも、姉ちゃんを捜しに来たんじゃなかったのかよ? それなのに本来の目的も忘れて人間の女の子とイチャイチャしやがって……。全く、精霊の風上にも風下にも置けん奴とはまさにこいつのこと……」


「…………」


 先ほどからずっとこの調子のラウドに、リーズは大きな溜息を一つ吐き――。


 ラウドの獅子のような尻尾を、力を込めて思いっきり引っ張った。


「痛ってええええっ! いきなり何するだにゃーッ!?」


 引っ張られた尻尾を擦るラウドの目の端から、僅かに光る液体が滲み出ていた。

 口調も変わってしまうほど痛かったらしい。


「まぁ、その、精霊憲法違反したのは俺も言い訳しないけど。でもそろそろうじうじするのはやめろって」

「誰のせいだと思ってんだ!?」


「お前があの子を助けたら、手ぐらい握って貰えるんじゃねーの? 知らんけど」

「なっ――!」


 リーズが適当に言い放った言葉に、しかしラウドは異常なまでに反応した。


「そっ、そうか! その手があったか! よし、まかせろ! オレが絶対にその子を助けてやる!」


 ラウドは拳を握り目を異常に輝かせながら、力一杯そう宣言した。


 手を握るということは、即ち姿を人間に見せないといけないわけで。


 そうなるとラウドも精霊憲法を違反することになってしまうのだが、すっかり脳内に花畑が咲いてしまった土の精霊の頭からは、そんなことはすっぽりと抜け落ちていた。


「で、お前のやる気がみなぎって来たところで問題です。俺達が追っていた精霊の気配はこの辺りで途切れました。でもここは何もない山の中。さて、これから俺達はどうすればよいのでしょうか?」


 その答えを既に知っているのか、リーズは意地の悪い笑みをラウドへと向ける。


「オレの力が必要なら、最初からそう言え」


 ジト目でリーズを見ながら、ラウドは面白くなさそうに呟いた。 


「でも忘れるなよ!? オレはあくまでお前を連れ戻しに来たんだからな。その攫われた女の子を助けたら、ただちに精霊界へと帰る! いいな!?」


「へいへい」


 リーズとしては素直に帰る気はさらさらなかったのだが、ここで親友の機嫌を損ねると色々と面倒なので、とりあえず相槌をうつ。


 ラウドはリーズのその返事に若干不満そうな顔をする。


「頼むから、本当にこれ以上罪は重ねんなよ。『紡ぎの間』にお前が入るなんてことになったら、俺も目覚めが悪すぎるからな」


 紡ぎの間――。


 精霊界のどこかにあるとされる、重罪人を閉じ込めるための場所のことだ。


「……わかったよ」


 リーズの返事を聞き届けたラウドはすぐに目を閉じ、その場にしゃがみ込んだ。

 すかさず地に両手を付ける。


「大地よ。少しだけオレに教えてくれ」


 祈るように言葉を発したラウドの両手が、仄かにオレンジ色に発光を始める。

 間を置かずそのオレンジの光は、地を舐めるようにして放射状に広がり、瞬いた。


 森は、静寂に包まれた。

 鳴いていたふくろうも、羽を擦り合わせて求愛の音を発していた虫も、木々のざわめきさえも沈黙する。


 しばらく地に両手を付いた体勢で固まっていたラウドだったが、やがて静かに立ち上がり、リーズへと向き直る。


「どうだった?」


 問うリーズに、ラウドは僅かに口の端を上げた。


「ビンゴだ。ここの真下に建造物がある」

「マジか!? さすがお前! やるじゃん!」


 本気で称えているのか、はたまた貶めているのか、どちらかわからない口調でリーズはラウドを褒めちぎる。

 しかしラウドはリーズの反応に、眉間に皺を寄せただけだった。


「お前を疑うわけじゃないけれど、本当に精霊が女の子を攫ったのか?」


 ラウドの言葉の真意を、リーズは理解した。


 人間界に来ることが許されているのは、精霊界で修行をし、その実力を認められた選ばれた精霊のみ。


 勝手に抜け出して来たリーズと、彼を連れ戻しに来たラウドを覗けば、サフィアを攫ったのは既にこの人間界にいる精霊――即ち選ばれた精霊、ということになる。


「俺だって信じたくはないけど、確かにサフィアの部屋に残っていたのは精霊の気配だったんだ……。ちなみに姉貴ではなかった」

「……そうか」


 リーズの言葉に短く答えたラウドは、拳を強く握り締めた。


 彼の拳にまとわり始める、オレンジ色の光。

 暗い森の中で、ラウドの周囲だけが昼のように明るく照らされた。


「ここで悩んでいるだけじゃ、進展しないからな。ここから直行するぞ。これはお前を捕まえるために使った力だ、と精霊王様には報告しといてやる。感謝しろ」


 リーズにそう言うと、ラウドは小さく息を吸う。

 そして次の瞬間、地面へ向けて力の限り拳を振り下ろした。


 夜の静寂を切り裂く轟音。

 音に驚いた鳥達が一斉に夜空へと羽ばたき、鳴き喚いた。


 ラウドの拳から放たれたエネルギーの塊は、地面を深くえぐっていた。

 二人の前に、巨大な穴が出現していたのだ。


「なぁ、俺思ったんだけど」

「何だ?」


「建造物ってことは、どこかに入り口があるはずだよな? こんなに派手に壊す必要なかったんじゃ……」


 穴を覗き見ながら言うリーズに対するラウドの返事は、至極単純なものだった。


「だって探すの面倒臭いじゃん」

「…………」


 リーズは親友の言葉に、思わず眉間を揉みしだく。


 人間界で最初に会った時のラウドがそれらしくなかっただけで、彼は本来こういう性格なのだ。

 リーズも猪突猛進と言われているが、ここまで派手なことはやらかさない。


 しかし、やってしまったことはもうどうしようもない。

 リーズは覚悟を決めると、深呼吸をした。今はここに飛び込むしかない。


「行くぞ」


 言ったのは果たしてどちらだったか。

 声と同時に、二人はその穴へと飛び込んだ。

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