第9話 連れ去る者

 傷の手当てが終わった後、夜が更けるまでリーズとサフィアの会話は続いた。


 とはいっても、会話の内容の九割は、精霊界に関することであったが。


 サフィアが精霊界について尋ね、リーズが答える。

 ほとんどそれの繰り返しだった。


 もちろんリーズが喋ったのは、リーズの周りの精霊関係など、人間が知っても問題ないことばかりだ。

 精霊界の機密に関することを喋ったのがばれてしまったら、さすがに命の保証はないだろう。


 聞き疲れたのか、ベッドの中でうずくまるサフィア。


 そのかたわらでリーズは椅子に座ったまま窓の外に視線を送り、紺色の空の中で瞬いている星をぼんやりと見つめる。


 精霊界とは違う色の空。しかし、この人間界の空もなかなかに美しい。


 精霊界――。


 その単語を引き金に、リーズの胸中にある想いが駆け巡る。


 なぜ精霊王は、突然姉の捜索を打ち切ったのだろうか。


 面会が叶わなかった王。何かを隠している気がしてならない。


 しかし精霊王の真意を探ろうにも、自分から精霊界を出てきてしまった以上、それは無理な話だ。

 リーズはひとまず、精霊王のことは頭の隅に無理やり押しやった。


 今考えなければならないのは、明日のことだ。


(ラウドが吹っ飛んで行ったのは西の方角。でも、今頃は血眼ちまなこになって俺を探しに海に戻っているだろうから、港へ行くのは得策じゃないな。明日は北の方角で姉貴の気配を探るか)


 心の中で明日の予定を組んだリーズは、サフィアの髪にそっと手を伸ばし、撫でた。

 少女のさらさらとした髪はリーズの指を通り抜け、ひと時の心地良い感触をもたらす。


 サフィアと会話をしてリーズが感じたことは、彼女は見た目よりずっと言動が幼い――ということだった。


 本は沢山読んでいるらしく、知識はある。


 だが家の中に閉じこもり、他人と一切接触していない生活が、彼女の人格形成に大きな影響を与えているであろうことはすぐにわかった。


 そして何より、サフィアが語った自身についてのこと。

 それが彼女の言動の幼さの大きな要因となっているのを、リーズは感じていた。


『私ね、記憶喪失だったの。

 気付いたら、薄暗い場所に座り込んでいた。

 自分が誰で、どこにいて、誰とどういうふうに過ごしていたのか、本当に何も覚えていなくて。

 でも不安で怯える私を、アメジアが優しく抱き締めてくれた……。そしてここで暮らすことになったの。

 すぐに私が病気に侵されていることがわかったけれど、アメジアは私のために毎日尽くしてくれている。

 アメジアは私を外に出せないのを申し訳ないって言うけれどね、私、本当にアメジアには感謝しているの』


 髪を撫でるリーズの手をむずがるようにして、サフィアは寝返りをうつ。

 リーズはそれを軽く笑いながら静かに見守る。

 そして、両腕に不恰好に巻かれた包帯に目を落とした。


 霊力の回復したリーズの身体からは、既に傷は消え去っていた。

 でもこの包帯を解いてしまうのが、何となく勿体ないと思ってしまったのだ。


(人間って、不思議だな……)


 精霊界で学ぶのは自然のことばかりで、人間については何ひとつ教わらない。


 姿を見せぬ相手のことを詳しく知っても意味がないと言えばそれまでだが、それに関してリーズの心の中に、釈然としないものが芽生え始めていた。


(ま、考えても仕方がない。俺が今やっていることは違法でしかないわけだが、それが他の奴らに知られることはないだろ)


 精霊は人間のことに関しては、基本的に無関心だ。


 中にはラウドのような例外もいるにはいるのだが、それはラウドがイレギュラーなだけで決して普通ではない。


 リーズの目論見通り、この場所が他の精霊にばれることはないだろう。


 しかし、リーズの心を漠然とした不安が侵食し始めていた。

 法を犯して人間と触れ合っている後ろめたさとは違う、もっと例えようのないもの。


 その不安の正体を突き止める前に、リーズはあることに気付いた。


「アメジアは何やってんだ?」


 既に夜のとばりは落ち、薬屋はとっくに閉店している時間だ。

 しかも彼女は、夕食も食べていた様子はない。


 ――いや、もしかしたら夜間も開けているのか?


 そういえば脚を怪我していたな、と思い出す。痛くて階段を上がれない可能性もある。


 リーズはアメジアの様子を見に行くため、サフィアを起こさぬように静かにドアを開けて階下へ向かう。


 ほどなくしてリーズが眉間に小さな皺を寄せたのは、薬屋独特の匂いのせいではなかった。


 階段を下りきったリーズの目に飛び込んで来たもの。

 カウンターの隅で透明な液体の入った小瓶を、大きな鞄に一心不乱に詰めているアメジアの姿だった。


 その様子があまりにも真剣だったので、リーズは多少面食らってしまったのだ。


 脚には包帯が巻かれているが、動きに支障はないらしい。


「何やってんだ? 手伝おうか?」


 大事な閉店作業の一つだと判断したリーズはアメジアに声をかける。

 が、次の瞬間、ぎょっとして固まってしまった。


 アメジアが今にも泣き出してしまいそうな、あまりにも悲愴な顔をリーズに向けたからだ。


「早く……早くここから逃げないと……あの子が……」


 そう言いながら、彼女は尚も小瓶を鞄に詰め続ける。


「え? どうしたんだ一体?」

「説明している暇は――。とにかく、日が昇る前にここを――」


 ガシャンッ!


 アメジアの言葉を遮るように、突如二階から窓ガラスの割れる甲高い音が響いた。


「――っ!?」


 アメジアの顔が瞬く間に蒼白く変化する。

 次の瞬間、疾風の如き速さで階段を駆け上がって行った。

 リーズも慌ててその後を追う。


 サフィアの部屋のドアを勢い良く開けたアメジアは、ペタリとその場で腰を抜かしてしまった。


「……あ……」


 無残に割れた窓ガラス。

 カーテンだけが虚しく風になびいている。


 そしてベッドの中で寝ているはずのサフィアの姿は、そこにはなかった。

 部屋はもぬけの殻となっていたのだ。


「サフィア……。そんな……」


 呆然とするアメジアの横を通り抜け、リーズは割れた窓へと駆け寄り、外を見る。


 見えるのは、人気ひとけのない煉瓦通りのみ。何の姿も確認することはできなかった。 


 だが何かを確信したかのように、リーズは落ち着いた表情でアメジアへと顔を向ける。


「アメジア。ここで待っていろ。サフィアは俺が連れ戻してやる。話は帰ってから聞かせてもらう」

「待って」


 窓に足を掛け、既に外に身を乗り出しかけていたリーズをアメジアが制止する。

 そして一つの小瓶をリーズへと投げた。


 片手でそれをキャッチしたリーズはしげしげと小瓶を見る。


 それは先ほど、アメジアが鞄に詰めていたのと同じ物だった。


「これは、いつも寝る前にあの子が飲んでいる薬なの。もしあの子を見つけたら、それを飲ませて」

「わかった」


 リーズは頷くと小瓶をふところにしまい、窓の外へと飛び出した。

 すかさず西の方角へと迷わず飛翔する。


(どういうことだ? どうして精霊・・が彼女を攫う?)


 全身で風を切り飛翔しながら、リーズは小さく歯軋りをした。


 先ほど窓枠に触れた時に、リーズは僅かだが精霊の気配が残っているのを感じたのだ。


 姉のものともラウドのものとも違う、別の精霊の気配を――。


(俺の居場所がばれたわけじゃなさそうだ。そもそも、ずっと俺は気配を消していたわけだし。仮に気配がばれていたとしても、こんな回りくどいことをせず、直接俺の元に来るはず。だとしたら……)


 そこでリーズは、飛翔速度をさらに上げた。


(初めからサフィアが狙いだった。そうとしか考えられない! だが、なぜだ? 何の目的があってこんなことを?) 


 その時後方から、彼のよく知る気配が一つ接近してきた。


 リーズはその気配の主に舌打ちしながら、吐き捨てるように言葉を投げる。


「くそっ、こんな時に。頼むから後にしてくれ!」


 その気配の主――ラウドがリーズの言葉に従うわけがなかった。


「お前、一体今までどこに隠れていたんだ!? もしや海中に沈んだのではと思って、さっきまで懸命に海の中を捜していたオレに謝れ!」


 金色の瞳を怒りで染め、ラウドはリーズに噛み付かんばかりに吼える。


「そんなこと知るか! それより一大事だ! 人間の女の子が精霊に攫われた!」


「…………は? お前、何を言って――」


「ついでだからお前も一緒に追え! いや、追ってくれるな? そうか、追ってくれるとはさすが俺の幼馴染! さすが俺の親友!」


「ちょっ!? 何も言ってねぇ! そもそもオレはお前を――!」 


 そこで突然、ラウドの顔色が変わった。


 ――怒りから驚愕へ。


「今、お前何て言った!? 人間の女の子だと!? お前……も、もしかして、触ったのか!?」


「いや、別に俺は――」


「おい、何だその腕の包帯。お前精霊だから、そんなもんしなくてもちょっと時間が経てば傷なんて治るだろ。まさか……」


 目聡めざとく腕の包帯のことを指摘され、一瞬だけしまった――という顔を作ったリーズだったが、その後は努めて無表情を装った。


「ノーコメント」

「なああああぁぁっ!? どういう意味だ!? 喋れ! 吐け! この猪突猛進バカ精霊!」


「誰がバカだ、変態精霊!」


 かくて騒々しい二人の精霊は、夜のエレオニアの空を西へけていくのであった。

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