第8話 共通点

 ひんやりと冷たい感触に驚き、リーズは思わずピクリと身体を小さく震わせた。


「あ、痛かった? ごめんなさい」


 リーズの反応に、サフィアはピンセットで掴んでいた消毒液の染み込んだ綿を、彼の身体から即座に離した。


「あぁ、いや。大丈夫だ。冷たいからちょっとびっくりしただけ」


 軽く笑いながら、リーズはサフィアに続きを促す。


 リーズは今、サフィアの部屋で背中を出して座っていた。


 精霊にも効く傷薬が当然置いてあるはずもなく。


 リーズは人間が怪我をした時にする治療法、即ち消毒液をサフィアに塗ってもらっている最中だった。


「効くかわからないけど、とりあえずやるだけやってみて」とあの後アメジアに消毒液を渡された。


 続けて「私は店番があるから」と二階に追いやられたリーズは、初めて見る消毒液の使い方をサフィアに聞くしかなかったのだ。


 正直、リーズは身体を休める場所が欲しかっただけで、アメジアに言ったことは軽い冗談のつもりであった。


 精霊に効く薬などあるわけがないと、お互いにわかった上でのやり取り。

 うまい具合にアメジアにやられたな、と後でリーズは思った。


 再び現れた精霊に、サフィアは歓喜しながらリーズを迎え入れ、消毒液の塗布を申し出たというわけだ。


 冷たい感触のすぐ後に傷口が染みる感覚は、リーズにとって初めて経験するものだ。

 これが当たり前だなんて、人間はなかなかに我慢強いのかもしれない、と、消毒液が塗布される度にリーズは思った。


「それにしても、どうしてこんな怪我を?」


 サフィアが背中越しにリーズに問う。


 聞かれるだろうなと何となく察していたリーズは、少し逡巡したのち、ゆっくりと口を開いた。


「いや、ちょっと。他の精霊と衝突しちゃって……」


 自分で傷付けたと言う気にならなかったリーズは、真実ではないが嘘でもない言い回しで明言を避けた。


「そうなんだ。精霊さんって凄い力なんだね」


 素直にリーズの言うことを信じるサフィアに、リーズは頬を掻きながら「まぁね……」と歯切れの悪い返しをすることしかできない。


「はい。背中は終わったよ。次は腕とお腹をやるね」


 言いながらリーズの正面へと回るサフィア。

 そして作業しやすいよう、木製の床に両膝を付けた。


 左腕の傷に消毒液を塗るサフィアを、リーズは改めてじっくりと見る。


 陶磁器のように白く透き通った肌は、触れれば柔らかそうだ。

 至近距離なせいか、白い髪から漂ってくる甘い香りが彼の鼻をくすぐる。

 ガラス玉の如き透明な空色の瞳は、今は穏やかさで溢れていた。


『……あの子は、人間じゃない』


 アメジアの言葉が、何度もリーズの頭の中で繰り返される。


(でも、精霊とは明らかに違うし……。それじゃあ、この子は何なんだ?)


 思わずリーズは直接聞いてみたい衝動に駆られたが、アメジアはサフィア自身はその事実を知らないと言っていた。


 ならば、そのことは口にすべきではないだろう。


 リーズがそんなことを考えていると、先ほどの消毒液とは違う感触が左腕に走った。


 冷たいけど、温かい、そして柔らかい感触――。


 リーズが今まで感じたことのないその刺激は、彼の快楽中枢を容易たやすく刺激した。


「うぉっ!?」


 思わず驚愕の声を上げたリーズに、サフィアは肩をびくっと震えわせながら彼から手を離す。


 サフィアの手には包帯が握られていた。

 どうやら彼女の手がリーズの腕に触れたらしい。


「ご、ごめんなさい。私、巻くのは上手くなくて――」

「い、いや。考え事をしていただけだからさ。あの、驚かせてその、わ、悪かった」


 リーズはしどろもどろになりつつ、何とか弁明する。


『人間の女の子って凄く柔らかいらしーぜ!? オレ、人間界に行ったら絶対に触ってやるんだ』


 突如リーズは、精霊界で友人が言っていた言葉を思い出す。


 リーズの親友、ラウドの言葉を。


 ラウドは、可愛いものに目がない性格だった。

 とりわけ人間の女の子に反応するという、多少困った性癖の持ち主であるが、リーズにとってはその辺りは割とどうでも良いことだった。


 彼の言葉に偽りはなかったんだと一人納得するリーズは、ラウドに対して若干後ろめたさを感じていた。


 まさか親友の野望(?)を、思わぬ形で自分が叶えてしまうとは。


 それと同時に、この柔らかい感触――やはり彼女は人間なのでは? という疑念が強くなる。


 人間ではないと言うのは、アメジアの歪んだ願望に過ぎないのではないか。

 サフィアを外に出せない――というアメジアの罪悪感が生んだ妄想の可能性をリーズは疑っていた。


 精霊の中にも、病気の家族の面倒を看ている者はいる。

 そして世話をしている内に塞ぎ込んでしまった精霊がいることをリーズは知っていた。


 種族は違えど、その辺りの感覚はきっと人間も似たようなものに違いない。


 四苦八苦しながら包帯を巻く少女を、リーズは複雑な表情でただ見つめる。


 不意に、サフィアの姿に姉の姿が重なった。


(そういえば、姉貴も不器用だったっけ)


 幼い頃転んで足を怪我をした時、姉が必死の形相で手当てしてきたことを思い出す。


『放っておけばすぐに治るよ』


 そう言って拒否するリーズを、しかし姉は一喝した。


『あんたはまだまだ、精霊力が小さいじゃない。治るのを待っていたら一週間はかかっちゃう。その間に化膿したらどうするの』


『いや、大丈夫だって――』


『化膿して、傷口がじゅくじゅくになって、悪い毒がリーズの体の中に進入しちゃって、それですっごく高い熱が出ちゃって、命に関わるようなことになったらどうするのっ。そうか、リーズは姉の悲しむ顔が見たいのね。そうなのね。ううう、お姉ちゃん泣いちゃう』


 よよよよ……とわざとらしく膝から崩れ落ちる姉を見て、リーズは溜め息を吐きながら渋々と了承したのだが――。


 姉の手当ては非常に乱暴、かつ大雑把で、リーズの傷口が逆に開いたのではないかと思うほどだった。

 いや、本人は終始真剣な顔だったので、単に不器用なだけということはリーズもその時にわかっていたのだが。


 足に巻かれた包帯はまるで毛糸の玉のようになっており、その後の数日間の生活は、リーズにとって非常に辛いものであった。


 その姉を彷彿とさせるサフィアの不器用さに、リーズはそっと笑みを浮かべていた。

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