第7話 来客

        ※ ※ ※


「ふっふっふ。リーズ。これからは私のことを『様』付けで呼びなさい」

「いきなり何を言ってるんだ」


 家に帰ってきて早々、腰に両手を当ててふんぞり返る姉に、リーズは呆れながら返事をした。


 いつも変なテンションの姉だが、今日は一段と変だ――。

 リーズが心の中でそう呟いたと同時に、姉はビシッと天を指差した。


「何と! 次の精霊交代で、星の元へ行く精霊に、この私が選ばれたにょよ!」


 最後に噛んでしまった姉だが、リーズはそれにはツッコまなかった。

 いや、驚きでツッコめなかったのだ。


「マジで……? 姉貴が?」

「そうよ!」


 姉は再び胸を反らしてふんぞり返る。

 鼻から蒸気を出さんばかりに得意気だ。


「すげぇじゃん……」


 リーズは呆然としながら、何とか姉を称える言葉を搾り出した。


 風の精霊としての姉の実力はリーズも知っていたが、まさかこんなにも早く選ばれた精霊になるとは思ってもいなかったのだ。


「正直に言うと、自分でも今回はいけるかなーって、ちょっと思ってたりしたけど。まさか本当に選ばれるなんてね。そういうわけで、もっと姉を称えよ、そして崇めよ、我が弟よ!」


「へいへい。姉貴様は凄いです」

「あっ!? 何よその言い方。そんな薄情な弟にはこうだ!」


 すぐさま彼女の手に、緑色のオーラが集まり始める。


「ちょっ!? 家ん中で風の力使うの禁止! 親父に言うぞ!」


 照れ臭くて素直に言えなかったが、リーズは姉が選ばれた精霊になったのが本当に嬉しかった。

 身内として誇らしかった。


 そしていつか自分も、選ばれた精霊になるのだと改めて決心した。


        ※ ※ ※ 




 海上で突然吹き荒れた暴風のせいで、港ではちょっとした騒ぎになっていた。 

 

 小型の船が何艘か沖に流されてしまったらしく、港に戻すべく漁師や船乗りたちが声を上げながら奔走している。


 その船乗りたちが慌しく行き交う、港の倉庫街の一角――。


 リーズは倉庫の壁にもたれかかりながら、満身創痍で人間たちの様子を眺めていた。


 小麦色の前髪からはポタポタと海水が滴り落ち、先ほど自分が風で傷付けた全身からは、未だに血が滲んでいる。


 意識がほぼ飛んだ状態で海の中へと落ちたリーズだったが、全身にまとわりつく不快な水の感触と、傷口が海水に染みる痛みで即座に意識を取り戻し、何とか岸へと上がって来たところだった。


 以前寝ている間、姉に水の中に放り投げられたことのあるリーズは、水が大の苦手になってしまっていた。

 悪戯いたずら好きの姉からはそれ以外にも様々な悪戯を仕掛けられてきたが、あの水攻めの悪戯ほど効いたものはない。


 郷愁とやるせなさと。

 様々な感情を交えた息を吐き出したリーズは、先ほどのラウドとのやり取りを思い返す。


(さすがにあれはやり過ぎた……。霊力がもう残ってないわ)


 空を仰ぎながら、リーズは自分の行動に苦笑いを浮かべる。


(これでラウド以外の、他の精霊に見つかる可能性も上がってしまった。しばらくの間、空は飛べそうにないな……。自業自得とはいえ、ちょっとキツイかも)


 精霊は基本的に、『精霊の書』と呼ばれる書物に書いてある通りに力を使わなければならないのだ。

 それは、いつ、どこで、どのような精霊の力を使えば良いのかが記された書である。


 先ほどリーズはおもいっきり風の力を使ってしまったが、精霊の書にあそこであのような風の力を使う記述がされているはずがない。


 間違いなく、この地域担当の風の精霊は異常に気付いただろう。


 そんな中悠々と空を飛んでいては、捕まえてくださいと言っているようなものだ。

 しばらくは人間に紛れ、地上を移動するしか手段はない。


『あ、あの……。また、会える?』


 突如リーズの脳裏に浮かんだのは、白い髪の少女の顔だった。


『……あの子は、人間じゃない』


 続けざまに眼鏡を掛けた黒髪の女性の言葉が、脳内で再生される。


『だから……。良かったらですけど、あの子の話し相手になってください……。こちらの我侭なのは十分承知しています。それでも、これは人間じゃない精霊さんにしか、あなたにしかお願いできないの』


「……ここは利用させてもらうか」


 彼の内に芽生える、小さな罪悪感。


 そう、アメジアが彼に対してお願いしたことを、利用するのだ。


 他の精霊に見つかる危険性が極めて低い、人間の家を――。


 このまま外でのんびりしていたら、見つかるのは時間の問題だ。

 それに空を飛べないとなると、彼にとって拠点となる場所が必要だった。


 彼女の家は、他の精霊から姿を隠すにはまたとない場所である。


 そして何より、『人間ではない』というサフィア自身に対する好奇心があるのも事実だった。


(俺ってここまで最低だったっけ……)


 リーズは自嘲しながらも、ふらふらと立ち上がる。


 乾かぬ身体を引き摺りながら、彼は街中へ――サフィアとアメジアの住む薬屋を目指した。






 チリン、と来客を知らせる控えめな鈴の音。

 戸棚に並んだ薬を整列していたアメジアは、入り口へと顔を向けた。


「いらっしゃいま――」


 最後まで言い終える前に、アメジアは表情を凍らせ硬直した。


 入り口に佇む客、その男の姿を見て。


「久しぶりだね」


 その男――短い藍色の髪を持つ青年はアメジアに笑いかけた。


 普通の成人男性より、少しだけ線の細いその男。

 切れ長の目を僅かに緩ませた様子は、まるで狐のようだった。


「……どういったご用件で?」


 男に対し事務的な返事をし、再び戸棚の薬を整頓する作業に戻ったアメジアは、顔を向けることなく無機質な声で言い放つ。


「つれないなぁ。久々の再会だというのに」

「…………」


 何の反応も返さないアメジアに、男は小さく鼻を鳴らすと室内全体を見渡した。


「まさか、君がこんな街中に店を構えていたなんてね。人と接するのがあまり得意でない君のことだから、もっと田舎の辺鄙へんぴな場所にいるのかと思っていたよ」


 そこで初めて、アメジアは男の顔を真正面から見据えた。


「田舎は田舎で、人付き合いが濃いからね」


 言うアメジアの表情は、何の感情も示していない。

 恐ろしいまでの無表情だ。


「それで、君は今、独り暮らしなのかい?」


 店の奥の階段へ目をやりながら聞く男に、アメジアは目を僅かに細めた。


「プライベートな質問の前に、用件を言って欲しいのだけれど」

「これは失礼」


 アメジアに冷たく返された男は、しかし彼女の態度を全く気にすることなく、そこで満面の笑みを作った。


「ナギエル草を材料とした、『浄化薬』は置いていないかい?」


 目を見開き、小さく息を呑むアメジア。


 彼女が手にしていた小瓶が手からこぼれ落ちる。

 憐れな小瓶は音を立て、中身もろとも無残に割れ散らばった。


「おやおや、大丈夫かい? 商売道具はもっと大切にしないと」


 言いながらアメジアに近付こうとする男を、しかし彼女は鋭い眼差しで牽制し、男をその場にとどまらせた。


「うちには、置いていません」

「そうなのかい? 残念だ。今日はそれだけを聞きたかったんだ。これで失礼するよ」


 きびすを返し入り口のドアへ手を掛けた男は、そこで再びアメジアへと振り返り、口の端を上げた。


「また来るよ。それの片付けの際に手を切らないように、気を付けるんだね」

「あなたに言われるまでもないわハーゲス……」


 笑みを浮かべながら言う男、ハーゲスに、アメジアは通常よりもずっと低い声で答えた。


 ハーゲスが入り口のドアの向こうへ姿を消したのを見届けたアメジアは、小瓶の残骸が散らばるその場にへたり込んだ。


 脚に小瓶の破片が突き刺さるが、アメジアはまるで何も感じていないかのように動かない。

 いや、動かないのではなく、動けなかったのだ。 


 彼女の身体は、雪原の真ん中に裸で放り出されたかの如く震えている。

 アメジアは震える身体を止めようと、自身を強く抱き締めた。


(しっかりしなさい、アメジア。考えるのよ。これからあなたがしないといけないことは、何?)


 震える心と身体を叱咤するアメジア。

 だがその考えに答えを出す間もなく――。


 チリンッ。


 再び鳴る入り口の鈴に、アメジアは勢い良く顔を上げた。

 しかし――。


「…………?」


 そこには、誰もいなかった。


 今のは、風のせいだろうか。

 先ほどハーゲスが閉め切っていなかったのか――。


 そう思いドアを閉めようと立ち上がる。

 彼女の脚からパラパラと小瓶の破片が落ちていく。


 瞬間、彼女の鼓膜を聞き覚えのある声が震わせた。


「おいおい。大丈夫か脚? こけたのか?」

「え――」


 誰もいないのに、確かに声は聞こえる。


「サフィアお嬢さんの、話し相手が来ましたよ、っと」 


 そう言いながら、ドアにもたれ掛かる人影一つ。


 突然姿を現した全身傷だらけのリーズに、アメジアは目を見開いた。


「リーズさん!? その傷は――!?」


「いや……あんたと同じく? ちょっと派手に転んで。精霊にも効く傷薬って置いていたりする?」


 疲労を顔に浮かべながら、リーズは力ない笑みでアメジアにそう聞いたのだった。

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