第5話 追っ手

        ※ ※ ※ 


 ――また、ダメだった。


「失敗作」を部屋の隅に優しく置いた後、男は小さく溜息を吐いた。


 しかし今までと比べると、今回の物はかなり進歩した方だ。


 部屋に積み上げられたこれまでの「失敗作」を、愛おしげに優しく見つめながら、男はそう思った。


 これを始めて、一体何年経ったのだろうか。

 二十を過ぎた辺りから、男は数えるのをやめていた。


 期間など、時間など、そんなことはどうでも良かったのだ。


 ただ、これを完成させること――。


 それが出来さえすれば、費やした時間なんてものは男にとって些事さじでしかない。


 男はきびすを返し、「失敗作」の転がる部屋を後にした。


 男の顔には、疲れや諦めといったマイナスのたぐいは一切浮かんでいない。

 優しく穏やかな表情には、ただ希望のみがその皺に刻まれていた。


        ※ ※ ※





「さて……。どうしたもんかな」


 街の中心部、噴水広場――。


 勢いでやって来たはいいものの、どのようにして姉を捜索するのか全く考えていなかったリーズは、街の真ん中でただ立ち尽くしていた。


 白を貴重とした噴水の中央には、魚をモチーフにした銅像が、空に向かって跳ねるように佇んでいる。


 この噴水は、街の人間の待ち合わせ場所として利用されているらしい。

 何人もの人間が、落ち着きながら、或いはそわそわしながら、それぞれの待ち人を待っていた。


 露天商が並び、大勢の人間が行き交う賑やかな広場。


 しかしその中の誰一人として、リーズの姿に気付く者はいない。

 これが本来の人間と精霊の距離なのだ。


 人間は精霊の存在に決して気付かず、そして精霊もまた、人間には決して姿を見せることはない。


 太古より繰り返されていたその関係を、しかしリーズは先ほどあっさりと破ってしまった。


『その猪突猛進ぶりをもう少し何とかしたら、お前もすぐに星の元へと行けるだろうに』

 とは、他の精霊達のリーズに対する評価だ。


 そんな他人からの評価を知ってか知らずか、リーズは何の計画も立てずにここまでやって来てしまったことを、今さらながら後悔していた。


「とにかく、他の精霊に見つからないようにしないと……」


 選ばれた精霊でもないリーズが、人間界にいることをもし他の精霊に知られてしまったら――。


 結果はおのずと知れた。

 間違いなく、リーズは強制的に精霊界へと戻されてしまうだろう。


 そうなれば彼の本懐は遂げられることはなく、半永久的に姉の行方はわからぬままになってしまう。

 それは絶対に避けたいと、リーズはかぶりを振った。


「他の精霊から話を聞くっていうのは絶対に無理だし。そうすると、姉貴の気配をしらみ潰しに探していくしかないか……」


 これから自分がやろうとしているのは途方もないことだ、と自覚したリーズの口から、重い溜息が吐き出される。


「まぁ、いきなり姉貴の担当地域に当たっただけでも、ラッキーと思わなきゃな。まずはどこから探そうか」


 周りをキョロキョロと見回し、近くに自分以外の精霊がいないことを確認すると、リーズは静かに目を閉じた。


 ――ふわり。


 一呼吸置いた後リーズの足が地から浮き、彼の身体は徐々に空へと昇って行った。

 毛艶の良い馬のような尻尾が風に遊ばれ、優雅になびく。


「来た時はいきなりすぎてこっちの空気を全然読めていなかったけれど……。うん、慣れれば精霊界と大差無いな。風の力を使わなくても、問題なく飛べそうだ」


 リーズの足元から次第に遠ざかる、オレンジ色の屋根が連なる街並み。


 太陽の光を反射して眩しい屋根達から視線を逸らしたその先には、孤島の点在する穏やかな海が広がっていた。


「確か……東が海で北が砂漠、西が山脈って言ってたっけ?」


 アメジアの説明を思い出し、東西南北を把握したリーズは視線を足元へやる。

 下を見れば地上を歩く人間の姿は、既に蟻ほどの大きさにまでなっていた。


「まずは海から見て回るか。遮るものがないから、気配も捜しやすそうだしな」


 そう呟き、静かに海上まで移動した直後――。


 リーズは背後に、自分と同じ『風』の気配を感じた。


(もしかして、風の精霊か!?)


 焦りながら慌てて首を捻る。


 しかし、そこには風の精霊の姿はなかった。

 一羽のカモメが風に乗り、優雅に彼を追い越して行く。


「なんだ……鳥か……」


 リーズは心の底から安堵の息を吐いた。


 同時に彼はあることを思い出す。

 非常に微力だが、人間以外の動植物には、基本的に属性が備わっている、ということを。


 ほとんどの鳥は『風』の属性をその体に宿している。

 先ほどリーズが感じたあの気配は、間違いなくあのカモメのものだろう。


 しかしそうなると、益々姉の気配を捜すのは難儀しそうだ。

 鳥にいちいち反応していたらキリがない。


 リーズが思わず眉間に皺を寄せた、その時だった。


「見つけた」


 突如リーズの上空から、低い声が降って沸いた。


「――!?」


 リーズは反射的に声のした方へ顔を向け、そして――。


「がっ!?」


 目を見開き、苦痛の声を漏らした。


 その理由は、彼の鳩尾みぞおちにくい込んだ、拳より一回り小さな石。


 リーズは激痛をもたらしたその石を掴むと、海に向かって即座に放り捨てる。

 そして片方の手で腹を擦りながら、視線を上へと向けた。


 苦笑と悔しさの入り混じった、複雑な表情を顔に浮かべて。


 リーズの視線の先には、空に浮かぶ一人の精霊。


 その顔は逆光でよく見えなかったが、リーズはそれが誰なのか、瞬時に理解した。


「もしかしなくても、俺を追って来たのか。ばれるの早すぎんだろ。しかも――」


 その精霊は獅子のような尻尾を風に揺らめかせながら、ゆっくりとリーズのもとへ下りてくる。


「よりによってお前かよ、ラウド……」  

「…………」


 ラウドと呼ばれた精霊は、返事をすることなく、ただ金色こんじきの瞳に鋭い感情をたたえていた。


 乱雑に短く切り揃えた茶色の髪の男。


 左頬に浮き上がるのは、虎を彷彿とさせる模様。

 それは、土の精霊の証でもある。

 その模様は、彼の鋭い眼光をいっそう際立たせていた。


「オレは、精霊王様からの命令を受けてやって来た。何しに来たかわかるな?」


 抑揚のない声で、ラウドはリーズに問い掛ける。


「あぁ、俺を連れ戻しに来たんだろ?」

「だったら話は早い。帰るぞ」


「それはできない」

「…………」


 かぶりを振るリーズを、ラウドは表情なくただ見つめるばかり。


「精霊王様には悪いが、色々と思うところがあって俺は自ら姉貴を捜しに来た。

 本人を見つけられなくてもいい。小さな手掛かりだけでも欲しいんだ。

 だから少しの間だけでいい。今は見逃してくれないか?

 幼馴染のよしみで、さ……」


 リーズの切なる頼みに、しかしラウドは僅かに顔を歪めただけだった。 


「幼馴染だから、お前を良く知っているから、オレがお前を連れ戻すようにと命令がきたんだよ――」


 喉から吐き出すようにして紡がれたラウドの言葉は、抜けるような青空に包まれ、溶けていった。

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